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明日香村・飛鳥寺西方遺跡 飛鳥時代の掘立柱建物跡が初出土

2015年02月06日 | Weblog
 奈良県明日香村教委が5日、飛鳥時代(7世紀)に重要な儀式や饗宴が催された飛鳥寺西の「槻の樹(つきのき)の広場」とされる飛鳥寺西方遺跡で2棟の掘立柱建物跡が初めて確認されたと発表した。
 周辺に広がっていた砂利敷きの下から、柱穴(長さ33~116cm、深さ30cm)が2013~14年度の調査で計23個確認され、2棟の建物(東西16.7~17.5m、南北4.8m)が約6m離れて東西対称に並んでいたと判断した。柱穴に焼けた赤っぽい土で埋っていたほか、穴の大きさや形、柱間の長さにばらつきが多いことから、仮設の建物だったとみられる。
 壬申の乱(672年)の際の軍営施設か、東北や南九州の人を接待した饗宴施設の可能性があるという。
 2013年の調査で柱穴が見つかっていたが、一列だったため塀の跡とも考えられていた。
 日本書紀には、広場に「槻」(ケヤキの古名)の巨木があり、中大兄皇子(天智天皇)と中臣(藤原)鎌足が出会った場所と記されている。その後に即位した孝徳天皇が臣下に忠誠を誓わせたほか、東北の「蝦夷」や九州南部の「隼人」らを招いた饗宴なども行われたとされる。
 現地説明会は8日(日)午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:読売新聞、毎日新聞、産経新聞、共同通、静岡新聞]

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