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用明陵(春日向山古墳)と推古陵(山田高塚古墳) 学会が立ち入り調査

2012年02月24日 | Weblog
 日本考古学協会など16学会の研究者が23日、宮内庁が推古天皇陵に指定する山田高塚古墳(大阪府太子町)と、用明天皇陵に指定する春日向山(むかいやま)古墳(同町)への立ち入り調査をした。
 学会側の要望に応えて、宮内庁が両陵墓の墳丘外側に限って観察を許可した。 古代の天皇陵に研究者が正式に立ち入るのは、昨年の応神陵古墳(誉田御廟山〈こんだごびょうやま〉古墳、同府羽曳野市)に次いで2度目。
 山田高塚古墳は東西約63m、南北約56mの方墳で、東西に並ぶ石室2基の存在が推定されている。
 春日向山古墳は東西約67m、南北約63mの方墳で、墳丘の周囲には幅10mの空堀と高さ2mほどの外堤がある。

 この日、日本考古学協会の茂木雅博・茨城大名誉教授(考古学)ら16人が参加し、ともに3段ある墳丘の1段目を歩いて調査し、古墳の墳形や保存状況などを観察した。 両古墳とも残りがとても良い。 頂上部は、用明陵はピラミッド形、推古陵は平らであることが確認され、斜面が急勾配なため、盛り土を棒で突き固める「版築」工法を用いた可能性が指摘された。
 山田高塚古墳の墳丘南側斜面では、約20年前の宮内庁の調査で見つかった石材2点が、東西に3~4m間隔で埋まっていたのを確認し、2つの石室が存在した可能性が高まった。 石材には加工された痕跡もあったという。
[参考:共同通信、朝日新聞、読売新聞、産経新聞]

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キーワード:誉田御廟山古墳、御廟山古墳、応神天皇陵、応神陵、春日向山古墳

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