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牧之原市・宮下遺跡 中世前期では県内最大の人工池発掘

2012年02月23日 | Weblog
 牧之原市教育委員会は22日、同市坂部の宮下遺跡から、南北35m、東西20m以上、深さは1・7mに及ぶ中世前期(11世紀末〜12世紀前半)に造られたものとみられる県内最大規模な園池を発掘したと発表した。
 池は昨年発掘された建物に近接した場所で地表から約20~30cm掘り下げた所から見つかった。 池の中央付近には中島があったことから、庭園の池とみられる。中島を持つ人工池跡としては、県内最古という。
 池の底からは、建物焼失後に廃棄されたとみられる多量の礎石のほか、「福万(よろずにふくきたり)」「寿」といった吉祥句が書かれた墨書土器が約200点出土した。 また地層から、池は少なくとも2回大きな洪水にあっていることがわかった。 その後、建物が焼失したため、礎石を池に捨てて、新たな建物を建設するために池を埋め立てたと見られるという。
 これまでに宮下遺跡では、日本最古の六角卒塔婆や、祭事など宗教的な儀式に使われたとみられる「柱穴(ちゅうけつ)内礎石建物」が発掘されており、市教委は宗教的な意味合いの強い遺跡と見ている。
 建物と池の配置や池の形態が、奥州藤原氏の『柳之御所遺跡』(岩手県平泉町)と類似しているという。 宮下遺跡もこの地域に力を持った武士か貴族の館(たち)だった可能性があるとしている。
 現地説明会が25日(土)午前10時半と午後1時半から開かれる。
 市教委は、この地域にいた豪族の勝間田氏や相良氏との関連を調べたいと話している。
[参考:静岡新聞、中日新聞、毎日新聞、朝日新聞]

過去のニュース・情報
 2011.7.7宮下遺跡 六角形状の卒塔婆 同形状では日本最古と確認
 2011.3.10宮下遺跡 平安時代末から鎌倉時代初期の県内最大規模の「柱穴内礎石建物跡」が見つかる
 勝間田氏
 相良氏
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