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韓国・江華・高麗宮城 初めて痕跡が現われる

2009年02月27日 | Weblog
 高麗正史に高麗が蒙古抗争期、江華島に開城宮城に次ぐ規模で作ったとされる「江華・高麗宮城(강화 고려 궁성)」が初めてその痕跡を表わした。
 財団法人民族文化遺産研究院は江華郡が計画する高麗宮跡復元計画の一環として、昨年12月26日から朝鮮後期外圭章閣址が位置する江華郡江華邑743-1,302-2番地一円の2千㎡に対する発掘調査を行い、高麗宮城の跡を捜し出したことを27日明らかにした。
 この一帯では高麗時代大規模建物があったことを推定させる大型石築壇と石列、塀墻が現れて、高麗時代中・後期青磁類と瓦類をはじめとする多くの高麗時代遺物が発見された。
 今まで、江華・高麗宮城は各種記録にその派手な記録を伝えるが、これという考古学的跡は発見されなかったという。
[参考:聯合ニュース]

●江華島(こうかとう)
 ソウル特別市の北西、南北休戦ライン近くにある島。仁川広域市に属する。
 1232年、江華島への遷都が行われ、このとき造営されたのが江華山城。1270年、高麗は江華島を放棄。開城に遷都した。

●年表 (蒙古による高麗侵略と元寇)
1227年のチンギス・ハーンの死去
1231年:モンゴルによる第一次高麗侵略が起こる。
1232年:高麗の武臣の崔瑀が、開京(開城)から江華島に遷都させる。
1233年:金の首都開封、モンゴルによって陥落。(翌年、金朝滅亡)
1270年:高麗・元宗は、蒙古から戻り旧都・開城に着いたが、三別抄が公私の財貨を持ち出し、百官の妻子を人質として連行し珍島に移ったが、その後に蒙古が進軍し焦土となり、結局江華島に戻ることができず、そのまま遷都せざらるを得なかった。
1271年:モンゴル、国号を「元」と改める。
1273年:元・高麗軍、三別抄を平定。元が耽羅(済州島)を領有する。
1274年:元・高麗軍による第一次日本「征討」(文永の役)
1281年:元・高麗軍による第二次日本「征討」(弘安の役)


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