歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

徳川12代、13代将軍の正室・浄観院と澄心院の墓誌が見つかる 2.9m四方の最大の大きさ

2008年06月10日 | Weblog
浄観院、楽宮喬子(さざのみやたかこ)女王(1795~1840)
12代将軍・徳川家慶の正室 京都の宮家・有栖川宮織仁親王の王女
澄心院、一条秀子(寿明姫)澄心院(1826~1850)
13代将軍・徳川家定の正室 一条忠良の娘

現在NHKで放送中の大河ドラマ「篤姫」では、篤姫は13代将軍・徳川家定の正室であるが、浄観院・楽宮喬子は12代将軍・徳川家慶の正室であり、澄心院・寿明姫は13代将軍・徳川家定の正室である。
浄観院は1840年、澄心院は1850年に逝去している。1856年になって篤姫は初めて江戸城大奥に入る。
その浄観院と澄心院の墓誌が上野・寛永寺で見つかったとの報道である。
墓誌の大きさは、2.9m四方、重量約5トンで現存する最大の大きさ。
木棺には水銀朱が充填されていたため、遺骨や副葬品は朱色に染まっていた。
水銀朱は虫よけだったのではないかと考えられるという。
水晶製の数珠や、水晶の容器入りの仏舎利、金銅や黒漆塗りの厨子に入った念持仏などの豪華副葬品が出土。
大奥が相当の実権を握っていたことの大きな裏づけになる。
ちなみに、篤姫こと天璋院は明治16年(1883年)に東京の一橋邸で死去し、上野・寛永寺に家定の墓と並べて埋葬されている。
[参考:毎日新聞、読売新聞、朝日新聞、共同通信など]

2012.10.29 追記
 2008年6月に、徳川幕府12代将軍・家慶(いえよし)の正室・浄観院(1795~1840)の墓から出土した念持仏2体(注1)が10月27日から11月18日まで修復した元興寺文化財研究所のある元興寺(奈良市)で初公開される。
(注1) 木製の阿弥陀如来立像(3.3cm)と不動明王坐像(2.8cm)で、ともに厨子(高さ8~9cm)に納められていた。仏像本体は、鎌倉~室町時代初期の作。
[参考:朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 浄観院
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 五反田散策 もうひとつの薬... | トップ | 前原市泊リュウサキ遺跡  ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事