歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

五反田散策 もうひとつの薬師寺展 と 三猿庚申塔

2008年06月09日 | Weblog
先週6日に、五反田へ散策に出かけました。目的は、薬師寺東京別院で開催されている「もうひとつの薬師時展」です。
折角行くのだからと周辺を調べ、島津邸にあった英国人J・コンドル設計の洋館(今は清泉女子大本館)、池田山公園、そして薬師寺東京別院の3ヶ所へ行くことにしました。地図で見る限り、距離の長いところでも旧島津邸と池田山公園が500mであり、総距離は多く見積もっても1.5~2kmとふんで出かけました。さらに、三浦雄一郎さんならぬ、片足に2kgずつの錘をつけて歩きました。
そうしたら、目的地はそれぞれ島津山と池田山という二つの小山の頂上の方にあって、しかも周囲は豪邸だらけ。道を間違えると、50mから100mと続く屋敷の塀を逆戻り、それを何回も繰り返してヘトヘトになってしまいました。
最初は、旧島津邸へ向かいましたが、途中でお寺に通りかかり中を覗いてみました。宝塔寺という天台宗のお寺でした。お寺の中に庚申塔があって、寛文八年と読めました。そして下の方に三猿の彫刻がありました。(写真) 家に帰って調べると、寛文八年とは1668年でした。ご存知のように、三猿は「見ざる、聞かざる、言わざる」を表現したものですが、江戸時代の庚申塔には申(さる)との連想により庚申信仰とも結びついて、三猿像が彫られることも多かったそうです。また、「見ざる、言わざる、聞かざる」は、8世紀ごろ、天台宗の教えとして日本に伝わったものだという説があるようです。このお寺も天台宗でした。
日本で最古の三猿塔は茅ヶ崎市輪光寺の庚申塔といわれてきました。真言宗のお寺のようです。昨年8月に三重県伊勢市で「三猿庚申塔」(個人蔵)に室町時代の「永享十二年(1440年)」の銘があるのが見つかり、これが最古になる可能性があるそうです。(読売新聞より)
次に、旧島津邸ですが、邸宅の後ろの部分でしょうか、大きく立派な洋館に出会いましたが、出入り口は閉鎖されており、清泉女子大の正門に向かいました。残念ながら関係社外立ち入り禁止になっており断念しました。
次に向かったのは池田山公園です。こちらの方も迷いに迷って、途中で「ねむの木の庭」を通りました。中を見るときれいに手入れされた庭になっていて花が咲いています。中に入ってよく見ると、皇后陛下美智子様のご実家・正田邸の跡地でした。年配のご婦人方が入れ替わり拝観されていました。池田山公園は、国分寺にある殿ヶ谷庭園を少し小さくしたような感じでしょうか。岡山藩池田家下屋敷の一部分の跡です。もみじがあり、秋には紅葉できれいなのではないのでしょうか。
次には、途中道に迷って交番でいただいた案内図に福澤諭吉の墓所跡である常光寺があったので、遠回りでしたが立ち寄りました。福澤諭吉の墓は、現在は麻布・善福寺に移されているので記念碑だけが残っています。
最後に、薬師寺東京別館です。重要文化財の十一面観音菩薩立像が三体もあります。そして直ぐ手に届く場所で、真近に見れます。その他にも重要文化財が10点ほど、真近で見れました。鎌倉時代の作ではありますが、大津皇子座像も展示されており、じっくりと拝見しました。
 ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
磐余池(吉備池・百済大寺跡)の石碑に書かれた大津皇子の和歌が思い出されました。
次の日には、筋肉痛が出るのではと心配しましたが大丈夫でした。

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