明日香村教委は23日、「槻の樹の広場」(日本書紀では「槻樹之下」)跡とされる飛鳥寺西方遺跡で、飛鳥時代(7世紀後半)の本格的な建物跡が初めて見つかったと発表した。
建物跡は東西11m、南北6.5m以上で、9カ所の柱の抜き取り穴が東西は3・6m間隔、南北は3・3m間隔で並んで見つかり、柱を埋めるために掘られた穴の深さは約90cm、柱は直径約20cmでしっかりと造られていた。格子状に柱を配した総柱(そうばしら)建物のように、倉庫によくみられる構造という。 高床式で、広場で行われた供宴などに関連した施設の可能性もあるという。
同遺跡では壬申の乱(672年)で軍営用に仮設された建物跡は見つかっているが、本格的な建物跡が確認されたのは初めて。場所は広場の南限付近と推定される。
現地説明会が26日午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、読売新聞]
2017.2.28追記
2/26の現地説明会に約1200人が参加。 [参考:奈良新聞]
過去の関連ニュース・情報
飛鳥寺西方遺跡
建物跡は東西11m、南北6.5m以上で、9カ所の柱の抜き取り穴が東西は3・6m間隔、南北は3・3m間隔で並んで見つかり、柱を埋めるために掘られた穴の深さは約90cm、柱は直径約20cmでしっかりと造られていた。格子状に柱を配した総柱(そうばしら)建物のように、倉庫によくみられる構造という。 高床式で、広場で行われた供宴などに関連した施設の可能性もあるという。
同遺跡では壬申の乱(672年)で軍営用に仮設された建物跡は見つかっているが、本格的な建物跡が確認されたのは初めて。場所は広場の南限付近と推定される。
現地説明会が26日午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、読売新聞]
2017.2.28追記
2/26の現地説明会に約1200人が参加。 [参考:奈良新聞]
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