歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

天理市・ヒエ塚古墳 箸墓古墳とほぼ同時期の築造の可能性

2017年02月17日 | Weblog
 天理市教委が16日、大和古墳群の北端にある天理市萱生(かよう)町にある前方後円墳「ヒエ塚古墳」の後円部が、想定より10m大きい直径70m規模であることが分かったと発表した。
昭和52年と平成14、25年に行われた測量・発掘調査の結果、全長約130m、後円部は直径約60mと推定されていた。平成25年度の調査で埴輪が出土せず、今回も見つからなかったことから、埴輪が普及する前の古墳時代前期前半(3世紀後半~4世紀初め)に築造された可能性が高まった。箸墓古墳(桜井市、全長280m)とほぼ同じ時期の築造。
 今回、後円部北側で行った調査で、後円の周囲を囲う周濠(幅約5.8m、深さ約50cm)と墳丘を覆っていた葺石を確認。これらの位置から、後円部は想定より大きい直径70m規模であることが分かった。
 発掘調査現地説明会が19日(日)午後1時~3時30分に行われる。
[参考:奈良新聞、産経新聞、読売新聞、NHK奈良ニュース、天理市HP]

過去の関連ニュース・情報
 ヒエ塚古墳
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いわき市勿来町 伊勢両神宮神社

2017年02月17日 | Weblog

 勿来駅前に八幡太郎義家騎馬像が建っています。そばには、「吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな」の歌碑もあります。(標高6.6m)


 ここから、陸前浜街道沿いに北へ約300mの所に、伊勢両神宮への裏参道があり、「村社 伊勢両宮」と刻んだ石柱が建っています。(標高9m) 現在は、ここから100m先に車が通れる道ができているのでこちらが利用されています。
また、本来は東からの入口が表参道のようです、
 参道を登ると、広場に至り、さらに階段と鳥居が見えます。(標高27m) 階段の手前には説明板が建っており、神社の由来が書かれています。

伊勢両宮神社 の由来
 所在 いわき市勿来町四沢字伊勢林5番地
 祭神 内宮 天照皇太神 外宮 豊受大神
 伊勢両宮神社 は、文禄年間、窪田山城守家盛の叔父道通なる者、松山寺住職宥長上人と協力して、伊勢国渡会より、勧請せるものという。
 一説に岩城下総守親隆公の志願による、との伝えもある。神域は、伊勢山城あるいは鬼岡館といい、前九年の役(永承六年)に源義家の陣せし所という。
 また神域西方には、伊勢林前遺跡があり、縄文時代後期から古墳時代に至るまでの土器等が、発見されている。


 階段を登ると二の鳥居があり、その先、左(西)に内宮、左(東)に外宮が鎮座しています。(標高32m)


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東松山市・将軍塚古墳 3次元地形測量と地中レーザー探査による非破壊調査を実施へ

2017年02月17日 | Weblog
 東松山市教育委員会は十五日、同市下野本にある前方後円墳「将軍塚古墳」の形状や内部構造を調べるため、早稲田大学考古学研究室の協力で三次元地形測量と地中レーザー探査による非破壊調査を行うと発表した。
 調査は27日から一カ月かけて行われる予定。

 将軍塚古墳から約1km南の反町遺跡(同市高坂)では、4世紀ごろに大集落があったことが分かっている。
 反町遺跡の西側にある高坂古墳群からは2011年、県内で初めて「三角縁神獣鏡」が発掘された。

東松山市にホームページでは、将軍塚古墳を県内第2位の大きさ(全長115m、後円部の高さ15m、前方部の高さ8m)とし、築造年代は5世紀後半から6世紀前半のものと推定としている。
[参考:東京新聞、東松山市HP]

過去の関連ニュース・情報
反町遺跡
高坂古墳群


東松山の将軍塚古墳 市教委と早大研究室が3次元測量調査へ




キーワード: 野本将軍塚古墳、野本1号墳
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