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テトキチワールド

 松山在住のテトキチの食べたり、旅したりの記録。ときどき、シャム社長のおともをします。

中欧ぐるりん⑤~寒々としたオシフィエンチム

2013-03-19 09:23:52 | 海外旅行
 クラクフからオシフィエンチムへ移動。



 オシフィエンチム駅前で昼食です。ポーランドの名物料理の巨大ロールキャベツが出てまいりました。



 具にはお米とかも入っていて、かためにひっつきあっていました。日本風のロールキャベツの方がおいしいかな。



 オシフィエンチムというとピンときませんが、あまりにも有名な「アルバイト・マッハト・フライ」の標語が掲げられた門をもつアウシュヴィッツ強制収容所があった街です。



 当時の収容施設が建ちならびます。この日は、前の日とは打って変わり、小雨模様の肌寒い日であったので、よけい不気味な雰囲気が漂いました。



 ユダヤ人などの殺害に使われた毒ガス(チクロンB)の空き缶です。



 ここに送り込まれた人々の義足の山です。この他に鞄の山、靴の山、眼鏡の山など、さまざまな生活用品の山が展示されています。撮影禁止でしたが、髪の毛の山やそれを用いて編まれたカーペットなんていうものまでありました。



 アウシュヴィッツはイスラエルの学生たちの修学旅行に組み込まれるそうで、時折イスラエル国旗を体に巻きつけた若い人を見かけました。



 犠牲になったユダヤ人の肖像写真が一面に掲げられていました。



 11号棟は反抗的な収容者の懲罰に用いられた場所だそうです。11号棟と10号棟の間にあるこの壁で銃殺が行われたとのこと。「死の壁」と呼ばれたそうです。花が手向けられています。



 この煙突がある場所が、死体の焼却施設です。



 焼却炉が残っています。



 アウシュビッツのそばにあるビルけナウ強制収容所にも回りました。



 列車で到着したユダヤ人たちは、ここですぐに処刑されてしまう人と重労働を課す人にわけられたそうです。



 テレビドラマの唐沢版『白い巨塔』のロケにもつかわれていました。シャム社長は、『白い巨塔』を見ていたはずなのに記憶にないといっていました。寒さの中で重苦しい雰囲気の見学を終え、この後、チェコに向かいました。


中欧ぐるりん④~初めてのポーランド

2013-03-18 09:32:25 | 海外旅行
 ウィーンからチェコを突き抜けてポーランドへ。ポーランドに足を踏み入れるのは、私も初めてです。「灰とダイヤモンド」のアンジェイ・ワイダ監督の国にやってきたかと思うと感慨もひとしおです。ここは古都クラクフです。ヴィスワ川の向こう岸に見えている波打つ屋根の建物は、磯崎新氏設計のマンガミュージアムです。マンガといっても、いわゆるコミックではなく、ポーランドのヤシェンスキ氏が収集した浮世絵などの日本美術のコレクションが展示されているそうです。



 ヴィスワ川の川岸に立つドラゴン像。昔、ここにドラゴンが棲みついていて美女を食べていたそうです。そのドラゴンを退治した靴職人の説が伝わっているといいます。ドラゴンは、5分に1回、口から炎を吹きます。近くで並んで写真をとれなかったことを、シャム社長は悔しがっていました。



 ということで、ドラゴンはクラクフの象徴になっており、おみやげ品もドラゴンの意匠が多いです。



 クラクフが生んだ最近の有名人といえば、なんといっても「空飛ぶ教皇」ヨハネ・パウロ2世です。世界中を訪問し、キリスト教徒なんかほとんどいない日本にまでやってきたことを覚えています。当時、「ローマ法王が日本を訪問するのは、これが最初で最後であろう」と言われていましたっけ。



 クラクフ最大の観光名所がヴァヴェル城です。そのヴァヴェル城の大聖堂にクラクフの司教座が置かれています。ヨハネ・パウロ2世は、ここの大司教をいていたとのことです。ここは、中も見学しました。撮影は禁止です。



 そしてヴァヴェル城の王宮の中庭へ。王宮の中には入りませんでした。残念。



 ヴァヴェル城から中央市場広場に移動する途中にあったヨハネ・パウロ2世が住んでいたという家です。



 世界遺産になっているクラクフ旧市街の中心の中央市場広場です。広場の向こうに立っている黄色とレンガ色の配色がなされた大きな建物は織物会館です。1階はみやげもの屋さんが並んでいます。



 中央市場広場にある聖マリア教会。ミサ中だったため、入口からちょっとだけしか入れませんでした。



 モンゴルのポーランド侵攻の際、モンゴル軍に気がついたラッパ手が聖マリア教会の塔から事態を知らせるラッパを吹き鳴らしたのだそうです。



 それにちなんで、今では1時間ごとにラッパが吹き鳴らされます。ツアーなので、ラッパが鳴らされるちょうどいい頃合いに広場に到着させてくれます。



 ここらへんでは、3月8日が「女性の日」になっていて、女性に花を贈る習慣があるのだそうです。ということで、広場には花屋が多数出ていました。日本のお花屋さんも取り入れれば売上増になるのではないでしょうか。



 クラクフのもう1つの観光名所といえば、ダ・ヴィンチの「白貂を抱く女」を所蔵するチャルトリスキ美術館です。「白貂を抱く女」は10年以上前に日本にもやってきました。私は横浜で見ました。その時の図録です。



 現在、チャルトリスキ美術館は修復中で閉館していました。まあ、ツアーなので、開館していても入ったかどうかはわからないのですが。いずれにせよ、ポーランドが誇る名画を、日本で見て、ポーランドでは見れないという事態になりました。

中欧ぐるりん③~ウィーンでボラれた?

2013-03-17 09:48:54 | 海外旅行
 早くも3都市目。オーストリアのウィーンにやってきました。屋台のソーセージがたまらなくおいしそうであります。しかし、買い食いもままならいのがツアーの哀しいところです。指をくわえて見送りました。



 ウィーンの象徴・シュテファン寺院です。巨大な建築物です。中はミサの最中でした。



 さて、夕飯にはウィーン名物・ウインナ―シュニッツェルが登場しました。でも、なんだかお肉のたたき方が甘いようで、あまり引き伸ばされた感じがしません。カリカリ度が足らないので、ふつうのトンカツみたいでした。しかも、トマトケチャップで食べてもいいというような説明入りでした。ケチャプをつけると、まったく別の料理みたいでした。あれは、なんだったのだろう。日本人観光客向けの食べ方指南だったのだろうか。



 翌日の観光は、定番のシェーンブルン宮殿。内部の見学経路が前と多少変わっていました。ここはシャム社長もすでに見学済みです。だから個人で他の場所に行く、ということができないのがツアーのつらいところです。



 そしてベルヴェデーレ宮殿。外側だけ見て記念撮影をして終わりです。一歩内部に入れば、クリムトの「接吻」があるのですが、またもや目前の引き返すことに。いつか中に入りたいものです。



 「セセッション」の幟が見えますが、キャベツの王冠をかぶったような特徴的な建物は分離派美術館です。ここもクリムトらの絵画が展示されています。が、時間がなくて入場できず。単に集合場所に指定されただけです。



 分離派美術館の斜め向かいに、ナッシュマルクトという簡易なつくりの飲食店が軒を連ねている場所があります。



 ウィーンでの昼食は自由だったので、このナッシュマルクトの中の1軒でとることにしました。



 土地の名物料理にこだわるシャム社長のご希望で、細切りにされたクレープ入りのコンソメスープであるフリタッテンズッペを。



 そして昨晩のシュニッツェルが気に入らなかったということで、またもやウインナーシュニッツェル。こだわりますねえ、シャム社長。たしかに昨晩のものより、お肉が引き伸ばされている感じがして、大きさも倍ぐらいありました。カラッと揚がったころも自体に味があり、バターが香ります。



 ということで、シュニッツェル自体はおいしくいただきました。問題はお会計です。10ユーロのシュニッツェルを頼んだつもりだったのですが、17ユーロ請求されていました。なぜだろうと思って、品書きをよく見ると「ウインナーシュニッツェル 10ユーロ」の他に、「ウインナーシュニッツェルとジャガイモのサラダ 17ユーロ」という1行がありました。これを持ってこられたわけです。単純計算で、シュニッツェルの上にちょこんと置かれたしょぼいサラダが7ユーロ(約900円)ぐらいしたわけです。なんのこっちゃ。
 注文するときは、単に「ウインナーシュニッツェル」としかいいませんでした。そうすると、サラダつきをもってくるのがウィーンではふつうなのでしょうか。それとも、観光客に高いものをもってってやれとばかりにボッたのでしょうか(まあ、ぼったうちにはいらないかもしれませんが)。ここらへんのことろが、ウィーン事情に通じているわけではないので、わからないところです。これからは、キチっと品書きの品名を指さしすることにしよう。
 


中欧ぐるりん②~ちょっとだけブラチスラヴァ

2013-03-16 13:15:29 | 海外旅行
 2日目。早くも次の国へ。ハンガリーとスロヴァキアの国境です。バスは停まりません。パスポートを見せる必要はありません。パスポートの判子の数を自慢したいシャム社長は、えらく不服そうでした。



 スロヴァキアの首都ブラチスラヴァの中心、フラブネー広場です。この広場に面して日本大使館もあります。いわば一等地にあるわけです。長椅子に腕をのせるナポレオン軍の兵士の銅像が建っており、記念撮影の場所になっていました。この地の娘さんと恋に落ちてフランスへ帰らなかったナポレオン軍兵士の話が伝わっているのだそうです。



 スロヴァキアには一日一日が、それぞれ名前の日になっていて、その名前の人に花を贈る習慣があるのだそうです。この日は、「ラドスラフ」さん、あるいは「ラドスラヴァ」さんの名前の日のようです。「この国で花屋をやればもうかる」と、誰でも考えることを、シャム社長は口に出して悦に入っていました。



 パパラッチの銅像。



 配管工で、下から覗いているという意味合いもある銅像。これらの銅像は、ナポレオン軍兵士像と異なり、なんの意味もないそうです。単なるまちおこしの一環で、置いたら面白かろうということで行われたものだそうです。みんな記念撮影をしていたので、銅像を置いたのは成功だったのでしょう。



 緑モスならぬ緑マック。なぜ緑なのか聞いてみると、国民の健康志向の強まりに応じて、野菜類をウリにした店舗を示しているのだそうです。



 聖マルチン教会。塔が鈍重な印象を受けるロマネスク様式です。



 教会の塔のてっぺんには、金メッキの大きな装飾品がのっていて、これが有名なのだそうです。



 あまり見るところがないご様子のブラチスラヴァ最大の見どころ、ブラチスラヴァ城です。四隅に塔が建っているので、「ひっくりかえした机」との別称があるそうです。ところが、建築当初の建物は一度焼け落ちてしまい、これは復旧したもの。最大の観光名所が、ニセモノかよお、という感は否めません。



 ということで、昼食を含めて3時間弱のブラチスラヴァ滞在でした。この後、すぐにウィーンを目指しました。こんなんで、スロヴァキアを訪問した国に数えていいのであろうか。新しい法皇さまが決まったヴァチカン市国の方が、よっぽど長い時間いたけどなあ。ブラチスラヴァは、ウィーンから日帰りオプショナルツアーが出ていますが、けっこう微妙です…。

中欧ぐるりん①~ブダペスト

2013-03-15 10:38:26 | 海外旅行
 ドナウ川です。シャム社長とハンガリーのブダペストにやってまりました。前回、個人旅行でくたびれはてたシャム社長は、今回はラクちんなパック旅行を選びました。



 漁夫の砦の前に建つイシュトバーン大王像です。ハンガリー建国の父とされる王様です。右手に持つ十字架は横棒が2本あります。これがハンガリー王家の特徴です。



 大王像と向かい合うように建っているのがマーチャ―シュ教会です。歴代ハンガリー王の戴冠式が行われた教会だそうです。



 入場料を支払って中に入ってみました。一度、オスマントルコに占領された時、モスクになったそうです。ですから、内部はイスラムの文様とキリスト教のフレスコ画が混交しています。ハンガリー王の王冠の模造品が展示されていました。ホンモノは国会議事堂にあるそうです。



 ちょうど衛兵の交代に出くわしました。先頭の隊長は、身長が190センチを越える偉丈夫でした。



 衛兵がサングラスをかけているのが、なんともいえません。



 銃を回転させる交代の儀式です。



 王宮の丘を、漁夫の砦からさらに南に進むと、かつての王宮前に出ます。そこから、ブダとペストを結ぶ最も有名な橋であるくさり橋がよく見えます。



 現在は美術館になっている王宮の前では、なにやらテレビ番組らしきものの収録が行われていました。芸能界に疎い私とシャム社長にはわからなかったのですが、この方はどなたでしょうか。日本以外の東洋の国のタレントさんなのでしょうか。



 くさり橋を渡ってペスト側へ。国家議事堂の前のコシュート広場に設置されているこのオブジェは、ハンガリー動乱の犠牲者の慰霊塔だそうです。上部のへこんだところで、蝋燭がともされていました。



 夕飯にハンガリーの名物料理グヤ―シュ。パプリカで味つけされたスープでした。ちょっとピリっとします。



 こちらは魚のフライ。ハンガリーは内陸国なので、鯉のフライなんかが名物料理らしいのですが、こちらはマスか何か、食べやすい魚でした。目が細かい衣でした。



 スーパーには、ハンガリー料理になくてはならないパプリカがいっぱい。



 ポテトチップスも、当然パプリカ味。



 ハンガリーワインといえば、エゲルが有名。別名「牡牛の血」ということで、ラベルに牡牛の姿があしらわれています。



 エゲルワインは、松山のステーキ店「アクアラング」で飲んだことがあります。それと同じラベルのワインもスーパーの棚にありました。あのときは、非常に貴重なものを飲んだ気がしていたのですが、現地ではごくごくふつうに売られている安ワインでした。現地価格もわかってしまいました。