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file.132 Hank AARON 02【ハンク・アーロン02】

2007-01-07 | hank aaron
【アトランタへ】
Hank AARON

1966年、チームはミルウォーキーからアトランタへ移った。
その年、アーロンは、打率.279、44本塁打、127打点で二冠王に輝き
新天地でのデビューイヤーを飾った。
68年は、メジャー史上屈指の投高打低の年、
さしものアーロンもこの年ばかりは29本塁打に終わり
打点も、86と低調に終わった。
が、ドン・ドライスデールとサンディ・コーファックスから
「バッド・ヘンリー」と呼ばれる程だった投手泣かせの打撃は
衰えを見せず、35歳の69年には打率.300、44本を打つなど、
メジャー最高の打者として君臨し続けた。

アーロンは、アトランタへの移転の頃から
本塁打狙いの打撃にシフトしたと語っているが
その本数は、別段増えたわけではなく
むしろ、相変わらずの安定性を誇っていた。

ライバルのウィリー・メイズは、71年には引退、
最高の相棒だったマシューズは既にチームを去っていたが
ダレル・エヴァンスや、オーランド・セペダ、リコ・カーティーといった
好打者がアーロンの脇を固めていた。

年齢が40に近付くにつれ、安定した活躍を続けるアーロンの
通算本塁打が700近くにまで達してきた。
打率.298、38本塁打を放った70年にはまず、3000本安打を達成、
71年は打率.327 47本塁打 118打点と、衰えを知らない猛打を見せつけ、
72年にはメイズの660本塁打を抜き去り
73年には700本に到達、
この年、39歳にして打率.301、40本の本塁打を放ったアーロンには
当然の事ながらベーブ・ルースの714本超えの期待がかかる。
73年のシーズンを通算713本で終えたアーロン。
彼のキャリアでも最高の瞬間が翌74年に待っているわけだが
同時にそれは、苦悩の日々でもあった。
そして、その苦悩の日々は73年のシーズンから
既に始まっていたのだった。