寺嫁な日々

嫁・妻・母・坊守として日々感じた事、大きな声じゃ言えない本音の所・・・お話しします

6月同朋の会

2010-06-02 01:20:55 | 
6月同朋の会
丁度田植えシーズンで参加者は少なく、5人
でも、少人数ゆえのとっても濃い話がいろいろ出来て良かった



地域のお講が段々無くなってきている
・・・・という話から
「次世代に伝えていく」ということについて話が弾む

嫁がちっとも仏法に関心を持たないと嘆く某ご婦人
受け継いで欲しいものは仏のみに留まらず
田んぼ、畑、草取り、料理、姑である「私」がやってきたこと全て
「私」は前世代から、問答無用で「これをやれ」と言われ、
黙ってそれに従い、受け継いできた
そういう、91歳のご門徒の婆ちゃんは、怒りでもなく、自嘲でもなく、自慢でもなく
ただ、そういう時代やったからなぁ・・・・・・と
そして、若いモンには押し付けられんもんね、
若いモンには今の時代のやり方が有る、私は黙っとる・・・・と

「それは三従ですよ」
とは言えなかった・・・・・・。

本日の参加者は、みんな私のお姑さん世代
本物の姑も同席してるし
この話題の間、若いもんの私はなんかとっても居心地が悪かった
言いたい事は山ほどあったが、言えなかった
そういう空間だった・・・・・。


そしてもう一つ
段々、消えていったもの
「よう、参っておくれましたなぁ~、あんた」という挨拶
実は、私は、お寺の人間が、法座に参ってきたご門徒さんにいう挨拶だと思っていた。
寺族はホスト、ご門徒はゲストという壁を意識させる嫌な挨拶だなぁと・・・・。
だけど、そうではなくて
以前はご門徒さんたちが互いに掛け合っていた挨拶であった
もちろん寺に住むものも、門徒の1人として挨拶しあう
同朋みなで取り持つ「講」の名残を感じる言葉やねぇ~
復活させたいけど
「そういう時代」のなかで消えていくんだろうか


それにしても
座談はやっぱりいいな
出来ればこれぐらいの少人数が話しやすいけど
彼岸や報恩講の法座でも、ちょっとの時間でいいから
座談の場が作れたら、いろんな事を確かめ合うことができるかなぁ
と、思ったことでした

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2 コメント

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時代 (らん)
2010-06-03 15:06:57
伝わるものは伝わっていくし、
伝える人が必要がないと思えば、伝わっていかないでしょう。

うちの報恩講のおときも私の代になって変りました。これを誰かが継いでくれれば嬉しいけれど、
強制する気もしない。
消えるものは消えていく。

お念仏も伝えたいと思う人が本気であれば伝わるし、
もし、伝わらないとすれば、それまでのもの。
今の時代はすごいスピードでものごとが変化しているように思います。
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らんさんへ (寺嫁)
2010-06-04 00:13:44
そうですね
♪どうにもならないことなんて
 どうにでもなっていいこと♪
ブルーハーツの歌ですが・・・・好きな歌です

大事な事は私が受け継ぎたいかどうか・・・だと思っています
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