寺報やっと完成!
産みの苦しみもさることながら
今回も住職と編集者(坊守)の伝えたい事、編集、言葉の選び方
全てで衝突・・・疲れます・・・・。
編集後記は私の独断で書ける感話スペース
・・・ということで・・・・・
▼3月11日以来、未だ、多くの方々が苦しみの渦中におられることに心が痛みます。一方で、気がつけば、以前と変わらぬ生活をし、震災の痛みを忘れそうになる私ですが。直接の被災者ではない私自身も、喪失感、無常、無力感、そして原発への不安・不信が、心におりのように溜まったまま、今年が終ろうとしています。▼毎年、この時期になると一年を振り返る「今年の漢字」が話題となります。今年はまさに「震」「災」の年でしたが、過去には、阪神・淡路大震災の年に「震」、天災が相次ぎ、美浜原発事故の有った年には「災」が選ばれています。ネット上の予想では「原」「被」「放」「波」「難」「乱」などのネガティブな字が挙がっています。人間の「驕」「傲」りや「愚」かさにも改めて気づかされました。だけど、願いとしては絶望的な漢字は選んで欲しくない。生きていく希望、再び立ち上がる力となる「一字」を選んで欲しいという思いもあります。。「絆」「祈」・・・震災をきっかけに多くの人が意識した言葉です。みなさんはどんな言葉が思い浮かびますか?▼2011年はまた、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の年でした。お念仏は災いが起こらないようにと「祈」る教えでは有りません。震災を機に改めて見直された「家族の絆」や「地域の絆」は、何よりもの支えとなる一方で、一歩間違えばまた、愛する守らんとするために被爆差別のような排他的な危険性も孕んでいます。お念仏の教えは、苦しみや悲しみを抱えたままのあなたに、「立ち上がる力を与えるぞ」と励まし、寄り添う言葉です。その事を真宗門徒の課題として与えられた年でもありました。「念」あるいは一字といわず「南無阿弥陀仏」の六字を今年の漢字にと思います (坊守)
※本山の「原子力に依存する現代生活」を問い直す姿勢表明を添付
このたびの大震災に直面した私たちは、重ねて大事な問題の提起を得ております 。「原子力に依存する現代生活」の問題であります。これは、まさに地球規模で、全世界が直面している「人間の方向」の問題であり、表象するトレードオフの論議に象徴されますように、デリケートでかつ緊要な課題であります。日々、放射能飛散と被ばくの痛ましい現実から、「原発」の誤謬性を思い知らされることであり、したがって極力、丁寧な議論が必要な重大課題でありますが、連日の報道等では、どうしても誰かを悪者にしなければおさまらない、人間の悲しさが表出しております。
いま私たちは、真宗門徒として、「教えられる」ということを、この問題への取り組みの基としなければなりません。金子大榮先生の「やりなおすことのできない人生であるが、見直すことはできる」とのご教示は、教えに照らされてはじめて為せるという意味でありましょう。みずからの生活は、みずからの都合で、人間の考えの延長で見直すことはできません。宗派といたしまして、まず「学ぶ」という姿勢、「聞 く」ということを堅持してまいりたいと思います。決して自己関心に沈んだ正義を振りかざすことなく、「目の前のひとりの人と語り合う・聞き続ける」。それを、私たち自身が、ここに始められるかどうかにかかっているのであります。「教えられる自分が明らかになるということだけが、教える法(仏法)に応えることである」(安田理深)。謙虚さをもって聞思し、積極的な学びを呼びかけ、展いてまいる所存であります。
ただ、携帯からツイッターってのがなんかまだ、馴染めなくて
もっぱらPCからなので
リアルタイムにつぶやきが聴けず、一日分まとめて・・・みたいな事が多いので、RTのタイミングのがしちゃうんですよね
だからツイッターのメリット殆どなし!
ブログと変わんない・・・笑
安原総長とご親戚・・・そうなんだ~
門徒数というより、9月の末から異常にご葬儀が連続したのです。連続5件葬儀はもう頭がジャングルグルグルでした。
おまけに納骨堂と鐘楼堂の落慶と廻檀が続いてるのでこの秋はほとんど休み無し…。あ、寺である事自体がもうほぼ休みナシ状態ですよね。
〉金子、安田両先生の…
ややこしいことなんですよねー。これが。
僕も人から聞いた話ではあるのですが。
あ、ちなみに安原晃宗務総長はウチの祖父の実家のご住職ですー
kobaちゃんのツイート見てるけど、法務めちゃくちゃ忙しいよね!
総門徒数の違いなんでしょうか?
まとまった時間が取れないのは困りますよね
添付した表明文は本山の宗会で安原晃宗務総長が発表されたものです
今年の夏ぐらいかな
本山のホームページのトピックスのところに載ってます
>金子、安田両先生の言葉を引用しつつも曽我先生・・・
ゴメンネ疎いので良くわからないです
寺報の編集…ホントに骨が折れますよね。
ウチは僕が作って住職や坊守、嫁のコーナーを設けてその原稿だけもらうようにしてます。だからある意味楽ですが、寺務の合間にやるので時間がかかるのがたまに傷。
添付の『原発に依存する…』は本山が出してるやつでしたっけ??
金子、安田両先生の言葉を引用しつつも曽我先生の言葉を引用しないあたりにお東の特性というか過去を引きずってるのかな?という感を持ちました。