来年1月の担当学習会
案内文完成!
社会的差別に苦しむ人に対して、「信心は現実を引きけることだ、与えられた人生を引き受けなさい」と応える時、この教えはどのように働いてきたのでしょか。
それは、次の三つのことを引き起こす
・苦しむ人はそれ以上語ることをしなくなる、語る場を奪う。
・苦しみや悲しみの原因に向き合うことをしなくなる。
・教えるもの(私はわかっている)と教えられるもの(あなたはわかっていない)の二つに分けてしまう。(今年、二月に行われたハンセン懇交流学習会より)
「ありのままを受け止める」という教えは、どうしようもない現実に苦しむものに時に「救い」「力」をあたえてくれるものであるが、一方でそれは理不尽な差別を肯定させるものではなかったか。 社会的差別の現実を信仰の課題として捉えることができず、差別されるものに対して、「その理不尽な現実」を受け入れるということを前提に 「救われる」ことを説いてきた責任は大きい。今回、差別の現場、教学の立場から、3名の発題を受け、話し合いを深めたいと思います。
どんな話が飛び出すか・・・・とても楽しみです!