WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

炭焼き

2007年11月29日 | 今日の出来事
 今日、まつたけ十字軍・炭焼きチームの炭出しがあるので、自分でも焼く時の参考にするために見に行ってきた。
 
火曜日に焼いて冷ましてあったのだが、小雨が降ったにもかかわらず上部に被せた土の表面が乾いていて暖かい。少し不安がよぎる。

 窯を開けてみると赤い火が見えた。どうもまだ燃えているようだ。あわてて水をかけたがほとんどが燃えてしまっていた。
 

 窯のどこかに隙間があり空気が入り込んでしまったようだ。
考えられる原因は、
 1)窯上部に被せた土の層が薄かったということ。10cmくらい被せてあったが、炭焼きチーム周田さんの話では「ネットなどで作り方を見るとどれも30cmくらいは被せている」とのこと。どうも土の層が薄くて乾燥して隙間ができてしまったようだ。
 2)煙突と窯の継ぎ目の隙間埋めにまいていたダンボールが燃えて隙間ができてしまった。
 3)窯の内部を覗いてみると、焚口のブロックと窯のドラム缶との間にも隙間が見つかり、そこからも空気が漏れていたようだ(下の写真)。
 

 空気の遮断を完璧にしないとだめだということで、対策として1)焚口と窯の接続部を耐火煉瓦とセメントで固めてしまう、2)煙突と窯の隙間をセメントで固めてしまう、3)窯上部に被せる土の層を少なくとも30cm以上にする、の3点を改良し再挑戦しようということになった。

 今日は、焚口を耐火煉瓦で組み、窯と焚口や煙突との隙間をセメントで塗り固め、炭化時の密閉性を良くするため焚口のふたも密着するようセメントで整えた。
 
 今週土曜の活動日に再挑戦の予定である。
それにしても、火曜日の炭焼き時には温度推移や煙の変化までは完璧だったので残念であった。炭化時の密閉・空気の遮断をかなり注意深く完璧にしないとだめだということが分かった。炭焼きも奥が深い。

不思議なオーブンレンジ

2007年11月27日 | ビンボー技
 以前、故障したデジカメについてでも書いたが、丈夫で長持ちし故障しても安く直して使い続けられる物こそが、環境によい商品だ。
 もう数年使い続けているオーブンレンジが、2年ほど前に故障した。「暖め」がきかなくなったのだ。
 「危険なので開けないでください」の警告を無視してカバーを取り外し、修理しようとした。断線やヒューズくらいなら直せるが、最近の電化製品はほとんど電子基盤により制御されていてそこの故障だと素人にはお手上げだ。コネクターの接触などあちこち調べたが、結局、故障箇所は分からずあきらめて組みなおした。しかしあきらめきれず、最後にもう一度だけと電源を入れてテストしてみたところ、なんと直っていたのだ。

 その後、1ヶ月に1度くらいの頻度で「暖め」がきかなくなるが、カバーをはずしてわけも分からず適当にそこらをいじってまた組みなおすと直っているという、面倒ではあるが使えている情況が繰り返されている。おかげで新しく買い換えるというムダなことはせずにすんではいるが..。
 適当にいじると直るのはなぜかは分からない。不思議な話だ。いじったショックで接触が回復するとか、どこかにたまった静電気が放電されて回復するとか、何か原因はあるはずだ。どうも原因が分からないままというのは気持ちがスッキリしない。もし、電気・電子に詳しい方で原因に心当たりがあればぜひ教えていただきたいです。

宇治田原の古呂柿

2007年11月26日 | まつたけ
 宇治田原の山本山でマツタケ研究会が行われた。今回は、長野県上伊那市のマツタケ生産農家の藤原さんも見えてご自身の経験に基づく「マツタケ山作りのコツ」のレクチャーもあった。
       

 さて、宇治田原ではお茶の生産が有名だが、もう一つの特産品、古呂柿の生産が真っ最中であった。晩秋の風物詩、5階建てくらいの「柿棚(正確な名称不明)」にはオレンジ色の古呂柿が敷き詰められ、寒風にさらされて甘さの増した干し柿に生まれ変わろうとしていた。なんとも良い景色だ。

 私は柿が大好きである。近年は多くの野菜・果物が年がら年中出回って、四季のある日本の良さが薄らぐ中で、秋限定の季節感を感じさせてくれる数少ない果物の代表格だ。しかも安い。「人工栽培マツタケ」と同様「柿のハウス栽培」なんてのも聞いたことがない。そんな野暮なものが出回らないことを願う。

 「クリスマス向けハウス栽培のイチゴが石油高騰でピンチだ」と報じられていたが、業者さんには悪いけれど、そんな無駄なエネルギーを使って高く売ろうなんて浅ましい商売はこれを機会になくなればよい。石油が高くなって誰も使わなく(使えなく)なってしまえば「石油依存の温暖化社会?」を心配する必要もなくなるのでは?。PETボトルもプラスチックゴミ問題も車の温室効果ガス排出問題も一挙解決だ。「そんなことになったら北海道とか寒い地方の人が困るじゃないか」という声も聞こえてきそうだが、あれ?、地球は温暖化するんじゃなかったっけ?^_^;

デッキ屋根工事

2007年11月24日 | ログハウス
 屋根工事もようやく最終段階のデッキに入った。来週専門業者さんに予約中の水切り板工事があるので、下地は今日中に仕上げておかないといけないため突貫工事で、なんとか仕上げたときにはもう真っ暗であった。

 途中、コンパネが足りなくなるハプニングがあったが、なんとかゴマカシた。ごまかし方はナイショ。大屋根のときは下からはったコンパネを、当初、デッキでは上からの方がやりやすそうな気がして上からはり始めようとしたところ、伊田さんから「下からはった方が何かあってもゴマカシが効く」と聞いてその通りにしたが、なるほどその通り下からはった方が、合わなくなったり足りなくなっても上でいくらでもなんとかなる(ゴマカシが効く)ことが分かった^_^;。

西部劇と保安官国家アメリカ

2007年11月23日 | 映画(西部劇など)

 私は西部劇が好きである。勧善懲悪、単純明快、ある種日本の時代劇にも共通する予定調和的安心感もさることながら、大平原の暮らしとカウボーイのかっこよさに単純に憧れていた。その原点はテレビ番組、中でも「ララミー牧場」だった。

 殺された父の後を継いで牧場を営むスリム(ジョン・スミス)とアンディ(ロバート・クロフォード)のシャーマン兄弟、彼らを助けるジョーンズおじさん(ホギー・カーマイケル)、その牧場へふらっとやってきて住みついた流れ者カウボーイのジェス・ハーパー(ロバート・フラー)、しばらくはならず者との牧場を守る戦いがメインであった。ジェスの早撃ちガンファイトには胸躍らされたものだった。経緯は忘れたがその後、ジョーンズおじさんがいなくなって代わりにデイジーおばさんが加わってからはファミリードラマのような展開になった。

 番組冒頭、西部の大草原映像をバックにながれるテーマソング「♪ララミー ララミー 白い雲が 飛んでゆく ここは西部の 大草原 ならず者は 寄せつけぬ ...」。ドラマ終了後には、淀川長治さんの映画解説とあの有名な「サヨナラ、サヨナラ」のニギニギ挨拶。

 昭和30年代、テレビではアメリカから輸入された西部劇がテレビ映画や劇場映画でたくさん放送されていた。「ライフルマン」にライフルマン=ルーカス(チャック・コナーズ)の子供役で出ていたジョニー・クロフォードはロバート・クロフォード(アンディ)の弟であったことは後で知った。
 そして「ローハイド」。カウボーイの一人、ロディを演じていたのがクリント・イーストウッドだった。子供心にはララミー牧場のジェスやライフルマンのルーカスほどのインパクトは無かったらしく、ロディ=イーストウッドというのも後で知ることになる。

 と、前振りが長くなったが、イーストウッド監督・主演の「最後の」西部劇映画「許されざるもの」にみる「保安官国家アメリカ」が今回のテーマである。

 「許されざるもの」は1992年の公開、イーストウッド自身が「最後の西部劇」と言ったというほど力を入れた作品で、私は、「ダーティハリー」なんかよりよほど味わうところの多い名作だと思っている。実際、西部劇映画で唯一、アカデミー作品賞、監督賞をダブル受賞している。イーストウッドがこんな西部劇を作ってしまったものだから、以降、単純なエンターテイメントとしてのB級西部劇は作れなくなってしまった。

 昔は酒の勢いを借りて殺人、列車強盗など悪の限りを尽くしたマニー(イーストウッド)は、今は亡き妻に出会って改心してからは酒も絶ち、牧場を営みながら子供2人とつましく暮らしていた。しかし、昔の悪行の思い出は今も彼を苦しめる。      
  ある町で、娼婦がカウボーイに顔と体を傷つけられ、娼婦仲間がカウボーイに賞金をかけた。マニーの昔のうわさを聞いた若いキッドが、賞金目当てにマニー(イーストウッド)を誘いに来る。子供達の将来のために金が欲しいマニーは、悪党時代の仲間ネッドも誘い3人で町にやってくる。マニーが若いカウボーイを撃ち殺し、娼婦を傷つけた張本人はトイレで排便しているところをキッドに殺されてしまう。「5人殺したことがある」と強がっていたキッドは、初めての殺人の重さにすっかり参ってしまう。
 町の保安官ビルは、無法者を許さない強者だが自身の冷酷さは自覚していない。殺人に嫌気がさして途中で降りたネッドを捕らえ、仲間の名を吐かせようと拷問して殺してしまう。怒ったマニーは酒をあおり、保安官ビルとその仲間を撃ち殺しにやってくる。その復讐劇はよくある西部劇そのものだが、その後のアニーの苦しみを暗示して終わる。

 初期の西部劇は、インディアンとの壮絶な戦いや、ありえないようなガンファイトで見せる作品が多かった。そこにはアメリカという国の成立の歴史が反映されているように思える。よく言えば開拓と独立の歴史である。しかし裏を返せば、銃で先住民を抑圧し、無法者を制圧し、女王の国から独立を勝ち取った、銃頼みの歴史であったのだ。だから西部劇では、インディアンは闇雲に突っ込んできては面白いように銃の餌食になるし、正義の味方のガンマンは、無法者に対し超人的ガンファイトでさらりと殺人をやってのけるし、女王の権威で属国にしようとする宗主国UKに銃で対抗して独立戦争に勝利する。

 「許されざるもの」は、保安官ビルの銃という力によってもたらされる秩序の欺瞞性を暴き、人として殺し殺されることの意味を、マニーの苦悩やキッドの戸惑い、賞金をかけられた若いカウボーイを通して問い、娼婦、カウボーイ、ネッド、そして最後はマニーに殺されるビルを通して復讐の連鎖の不条理さを訴え、控えめながらも問題提起した、単なるエンターテイメントではない最初で最後の異色西部劇であった。

 前にも書いたが、アメリカ映画では西部劇に限らず、銃で命を奪うことへの想いなど清々しいくらい皆無で、とにかく銃を撃ち殺しまくる。こうしたメンタリティーは、アメリカの世界戦略と政策にも色濃く反映している。まさに、アメリカこそが正義であり、銃の力で世界に秩序をもたらす「保安官」たらんとしているのだ。イーストウッドはこの映画を通して、そんなアメリカに異議申し立てをした。彼は共和党員でありながら、2003年のイラク侵略戦争開戦にも反対を唱えている。世が世なら「赤狩り」にあっていたかもしれない。


「吉兆」事件が示したもの

2007年11月19日 | このごろ思うこと
 「船場吉兆」の賞味期限貼り替え、牛肉産地偽装、鶏肉表示偽称が問題になっている。問われているのは有名料亭のモラルのようであるが、はからずも事件の裏返しで露呈されたものがある。それは、「美食家」を自認するお歴々の舌がいかにいい加減なものであったかということだ。
 もしこの事件が明るみに出なければ、今もニセ但馬牛、ニセ丹波地鶏は高値で売られ、高級食としてありがたがられていたことだろう。実に滑稽な話だ。他の名品、高級店とされているものにも似たり寄ったりのものもあるかもしれない。

 日本人はブランドや権威に弱いし、周りに迎合しやすい。「高級」とされるものをありがたがり、「マズイ」と思っても裸の王様よろしく自分の味覚を疑われるのが怖くて「ウマイ」と言ってしまう。自称料理自慢が作ったものには「マズイ」とは口に出せず「ウマイ」と調子を合わせてしまう。そんな料理は往々にして多くが食べ残されていたりする。

 人間の味覚は結構いい加減なものだし、地域の文化や習慣によっても「ウマイ」「マズイ」と感じるものは違ってくる。あのマツタケもヨーロッパ人は大半が「マズイ」と食わないそうだ。重要なのは、味の好みは人それぞれであるということを認めることなのだ。身近にあって自分がおいしいと思う食品を素直に食べればよい。
 「高級」とされるものや「有機」ブランド、有名店に高い金を出してありがたがったり、わざわざ海外まで行って買ってきたり輸入したり、そんなことをして無駄なエネルギーを浪費していることも「地球温暖化」に少なからず寄与しているのだということを、環境にうるさい方々でさえ概して自覚していない。

11月17日 教科書に無いノウハウ

2007年11月19日 | ログハウス

 前回コンパネをはった西側屋根に断熱ボードと防水用アスファルトルーフィングをはった。西側屋根工事の時は初めてなので要領が分からず、講師の伊田さんの作業をら手伝いながら要領を覚える感じだったが、今回は古田さん、榎原さんと受講生3人ではった。だいぶ要領も分かり、チームワークも良く思ったより短時間で作業を終えられた。これでとりあえず雨はしのげるようになった。後は水切り板と屋根材をはれば屋根は完成だ。
 高所恐怖症の私は、屋根工事をやりだした頃は立つのもやっとだったが、だいぶ慣れてきた。命綱のロープを付けて45度勾配の屋根を走り回れるようにもなってきた^_^。慣れというのは恐ろしいものだ。チェンソーの時もそうだったが、慣れてきた頃が一番危ない。来週から調子に乗って落ちないように気をつけよう。

 一般にログハウス講習会というと、ノッチを刻んで丸太壁を積むところまでやって終わるケースが多いようだが、丸太壁を積むのは正直そんなに難しいことではない。屋根工事はやはり難しい。これはログハウスに限らず建築一般に言えることだと思う。どのような屋根にするかをしっかり想定した上で基礎工事から柱、梁、壁工事を計画しないといけない。建築で学ぶべきは細かな技術もさることながら、こういう構想力をつけることが大切だと痛切に感じる。
 そしてもう一つ大事なこと、それは構想通りに行かなかったり、材の加工があわなかったりした場合のゴマカシ方だ(^_^;)。この長い長い?講習会で講師の伊田さんから学んだ、ログハウス教本にも書いていないもっとも有意義だったものは、この「ゴマカシ方」であった。やりながら自分なりに新しいゴマカシ方を工夫したところもあった (^^ゞ。これさえ習得しておけば少々の失敗も恐れることは無い (^_^)。

 考えてみると、それって今の学校教育の問題点にも通じるものがあるように思う。指導要領に縛られた、いわゆる教科書的・教条的なことしか教えない教育では想定外の事態に対処する応用力、対応力が育たない。それこそがよく言われる「自立して生きる力」なのに。「ゆとり教育」「総合学習」はそうした力をつけることを目指したはずではなかったのか。
 ところが先日の文科省教育審議会では、「ゆとり教育が学力低下を招いた」として、英語などの授業時間を増やしたりして以前の教育に戻すのだという。「点の取り方」「競争の仕方」ばかりを教える教育がいっそう推し進められることが懸念される。蜜を独占する女王と少数の蜂、そのまわりには大勢の規格品的働き蜂、落ちこぼれてヤケクソになり他の蜂を刺しまくる狂い蜂、すでに兆しが見えつつある博打資本主義と格差社会の究極の姿がその先に見えるような気がする。地球温暖化なんてのどかな心配より、そっちの方がよっぽど危ない気がするのは、わたしだけ~?
 


雲海No.5 おにゅう峠

2007年11月15日 | 雲海百選

またまた雲海ネタで恐縮ですが。
 天気予報では昨日、今日と雲海日和、明日から天気は崩れるとのこと。昨日は所用があったので今日、また朝4時起きで行ってみた。今回はなんとか見ることができた。悪くは無いが、正直、期待したほどではなかった。一応No.5でエントリーしておくが100選に残るかどうかはわからない。

1)おにゅう峠から。
水墨画のようではあるが、あまりおもしろみは無い。
 

2)峠を200mほど下ったところから。(あまり面白くないので若干加工)
 
 林道が開通した4年前から何回も来ているという地元の方が一人、撮影されていた。その方の話では、「今日はもう一つ。昨日の方が雲が多くてまだましだった。けれど最近は以前ほど雲海ができにくくなってきている気がする。以前は雲の量も多く、朝日で焼けてもっときれいだった。」とのことであった。この方は雲海好きのアマカメラマンで大江山にも撮影に行ったそうだ。
 おにゅう峠の雲海を知るきっかけとなったK新聞の写真も似た景色で、ここから撮影したもののようだ。

3)さらに100mばかり下った場所では大勢の人たちが撮影していた。どうやらここがベストスポット?らしい。個人的には 2) のほうがよいと思った。
 

4)さらにさらに50mほど下った別の場所から。

 色づき始めた山の紅葉(黄葉)がきれいだった。日が昇って少し薄くなってきた雲も、雲の湖の下に紅葉が透けて見える水面のようで、また違った趣があった。 個人的にはこれが一番好きかも。

 2)のポイントで出合った常連の方の話では、「雲海シーズンは10、11月で、たまに6月に見られることもあるけれど、それ以外ではまず出ない。」とのことだった。 No.2赤岳、No.4富士山では夏真っ盛りでも見られた。
 どうやら低山で見られる雲海と、高山で見られる雲海とは異なると考えた方がよさそうだ。低山の雲海は、一定の気象条件がそろった時に谷あいに発生する霧雲で、このような条件がそろうのは10、11月にほぼ限定されるようだ。これに対し、赤岳、富士山といった2000m超級の高山で見られる雲海は“本物”の雲で、雲ができる大気層より高く登れば、雲さえあれば年中必ず見られる。
 低山の雲海は雄大さでは高山の雲海にはかなわない(安曇野の雲海は例外的に雄大だった)が、時期限定という希少性と山や植生、日照など雲以外のものとの組み合わせで多様な姿を見せてくれる、というコレクション的な面白さはではまさっているのだろう。そうしたところが、カメラマン達が高山の雲海より低山の雲海により魅せられる理由なのだろう。まあ、低山の方がアプローチしやすいというのもありそうだが。


雲海No.4 富士山

2007年11月13日 | 雲海百選
雲海4連発!。
日本一の富士山頂は、「島」になる山もない大海原。2000年8月登山時の写真。

遠くに“犬かき”で泳ぐゴジラ?
 

ラドン対ゴジラ?
 
昼間でも雲海。雲の上にも雲
 

ごらんの皆様、お薦めの雲海スポットをぜひご紹介ください。

雲海No.1 大江山(京都府福知山市)

2007年11月13日 | 雲海百選
 ありそうでない「雲海百選」。そこで今日から「雲海百選」プロジェクトをスタートすることにした。第1号は福知山市大江山。画像はyuyuさんからパクった。(無断転載すいません m(。。)m、そのうち自分でも撮りに行きます)。大江山の雲海写真ではmockidaさんというプロ顔負けの方もいる。
 

 さて、天気予報によれば今日は雲海日和のはず。で、滋賀県朽木(現高島市)おにゅう峠の雲海をエントリーしようと、朝4時から眠い目をこすって出かけた。けれど、残念ながら今日は雲海は見られなかった。雨が上がるのが予報より遅く、かなり風も強かったためだろう。いつか条件のよさそうなときに見に行って撮ってくるつもりだ。もっとも、近隣住民の方のブログでも結構紹介されているので見たい方はそちらを。さすがに見ず知らずの方の写真をパクるわけにもいかない。キーワード「おにゅう峠、雲海」でヒットする。
 
おにゅう峠は滋賀県と福井県の県境で、林道を福井県側に下ると小浜に出る。鯖街道だ。小浜側のふもとには「水源の森百選」の案内看板が掲示されていた。なんだか「なんとか百選」の安売りだ。「水源の森百選」よりは「雲海百選」の方があっても良いと思うのだが..。

「環境」と「持続可能...」の「グローバリズム」

2007年11月12日 | 環境・エコ・共生・持続・温暖化とか・・

 私も参加している「まつたけ十字軍」は、足の踏み場もないほどマツタケが生えた昭和30年代のアカマツ林を再生することが里山の再生につながる、として活動している。京都市では、古都らしい景観を保つ観点から「松枯れ」「ナラ枯れ」を防ぐ必要性が叫ばれ、その観点から活動している市民団体もいくつかある。
 一方で、貧栄養の山に成立するアカマツ林は病虫害によって荒廃しやすく、土砂の流出などの被害を招きやすいため、植生豊かな林相に変えるほうがよい、という考え方もある。温室効果ガスのCO2を森林に吸収させるために広葉樹林を増やすべき、と唱える向きもある。
 杉林を守れ、原生林を守れ、熱帯雨林を守れ、...森と山を守ろうという根っこのところだけは共通しているのだろう。まあ、「平和はだめだ、戦争をしよう」なんて表立っていう人間はまずいない(心の底はいざ知らず)のと同様、「森を壊せ、山を壊せ」などと言う人間もまずいない。考えてみるとみんなそれなりに一理あるのだ。そして大義名分の行き着くところはおしなべて「地球温暖化」であり「環境」であり「持続可能な...」だ。アジア各国の会合でも1500万haの森林を復活再生させようと話し合われたらしい。
 最近の地球規模での世をあげてのこうした傾向になんとなく「?」を感じるこのごろである。どうも本質的な問題を糊塗するために「持続可能な社会」などという実体のはっきりしないお題目に誘導がなされているような気がしてならない。
 中南米で起きつつある新しいムーブメントには「地球温暖化」だの「持続可能な社会」だの「テロとの戦い」だのといった裏で糸引かれているような胡散臭いスローガンは無い。単刀直入、反米、反貧困、反富の集中だ。どうもそっちに目を向けさせたくない勢力の情報操作にみんなうまく乗せられているのではないのだろうか。
 先日、戦後の日本に対するCIAの情報操作と自民党支配へのテコ入れ策動の資料が米議会で公開されたことが小さく報道されていたが、不思議なことにそんな重大な問題も日本ではマスコミはじめまったく問題にしていない。


ログハウス西側屋根工事、バレーボールワールドカップ

2007年11月10日 | ログハウス
 今日から第3期スクールが始まった。第3期生は3名。1、2期生は引き続き西側屋根工事でコンパネをはった。
 片岡さんからまたまたお米をいただいた。ビンボー暮らしには本当にありがたい。

 帰宅したらちょうどバレーボールワールドカップ 日本vsポーランド戦をやっていた。フルセットのシーソーゲームでからくも日本は勝利した。この一勝は大きいが、実力伯仲のためかなかなか面白い試合だった。
 中でも日本のリベロ、佐野優子選手。レシーブ専門の地味な役どころなのだが、長身のポーランド選手のとてもひろえそうもないような強烈なアタックを驚異的な反射神経でひろったり、他の選手がこぼしたボールを猫のような身のこなしですくい上げる。バレーボールはアタックだけではないことを華麗なプレーで表現している姿は光っていた。
 アマゾネスをずらりと並べたような欧米のチームは、金で買い集めた4番クラスをずらり並べた巨人のように、勝って当たり前だ。そんなチームの試合は2、3回なら凄いなと思って見るが、だんだん飽きてくる。日本チームはセッターの竹下選手と佐野選手の2人が身長160cm前後と小柄だが、それぞれのポジションでは代わるもののない第一人者の専門プレイヤーだ。栗原、木村、高橋他の選手もそれぞれの個性あるプレースタイルを持っていて、彼女らのコラボレーションで作っていくコンビバレーは、見ていてとてもひき込まれるものがあった。
 先ごろ、野球「星野ジャパン」の候補選手が報道されていたが、そんな「コンビ野球」とでもいえるようなチームを目指しているような選手構成で、面白い試合をしてくれそうな期待感が高まる。