WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

アメリカは歴史の浅い文明国?

2009年01月21日 | 今日の出来事

 昨夜から今朝にかけてのマスコミはオバマ大統領就任式一色であった。それはまあ、別にどうってことはない。

 しかし、異なる局のキャスターやコメンテーターが同じような気になるコメントをしていた。「アメリカは(たかだか200年ちょっとの)歴史の浅い文明国ですから...云々」

 ちょっと待って。オバマは確かに黒人(もっともハーフらしいが)初のアメリカ大統領ではあるだろう。しかし、黒人とてその帰来には不幸な歴史こそあれ、アメリカ大陸にとっては白人より新しい外来民族であることに変わりはない。
 アメリカ大陸にももともと先住民がいたという大事な事実を、この方々はまったく認識されていない。

 もう20年ほど前、知人の元教師は「帰ってきたナバホ」という本で、“インディアン”のナバホ族の歴史と民俗を世に紹介していた。彼らは、南米のインディオや日本のアイヌ同様文字を持たなかったため、その歴史をたどるには残された遺跡と口伝に頼らざるを得ず、謎に包まれた部分も多く研究する人も少ないが、独自の立派な文明を築き上げていたことは紛れもない事実だ。

 私は、西部劇が大好きである。初期の白人礼賛の勧善懲悪、マカロニウェスタンにありがちな荒唐無稽なありえないガンプレイを割り引いても、その大陸的単純明快な娯楽性と開拓者精神には大いに惹かれるものがある。ブーム末期の西部劇映画(「許されざる者」など)や近年製作された新しい西部劇物(「ジェシー・ジェームズの暗殺」など)の中には考えさせられるものもある。
 残念なのは、先住民族の視点で作られた西部劇というか“アメリカ先住民族版時代劇”のような作品が、私の知る限りは皆無であることだ(どなたかもしご存知だったらぜひ教えていただきたい)。

 アメリカに先住民族の大統領が現れる時代は来るのだろうか。その時こそほんとうの「チェンジ」が始まるだろう。


「人間性」と資本主義・共産主義

2009年01月20日 | このごろ思うこと

マツタケ山より無念の撤収風景

 不況を口実にした“派遣切り”などに、口だけでなく体を張って対処している共産党に入る人が若者を中心に増えているというご時勢を反映してか、「カンブリア宮殿」というTV番組で共産党の志位委員長が作家の村上龍氏、タレントの小池栄子さんと対談していた。あの聡明そうな村上氏にして「共産党が政権をとったら私は小説を書き続けられるんでしょうか?」などと珍妙な質問をしていた。街頭で「資本主義と共産主義」を選ばせ、当然?のことながら圧倒的に資本主義が選ばれる、ヤラセみたいな投票をやって共産主義のネガティブイメージを浮き上がらせようというニクイ演出ではあった。

 共産党の「ルールなき資本主義からルールある“経済”へ」というスローガンに、村上氏は、「ルールある“資本主義”へ」と言わず「ルールある“経済”へ」と言っているのは、「“ルールある経済”=“共産主義”を目指しているのではないのか」などと言わずもがなの揚げ足取りで噛み付いていた。
 それに対し志位氏は、「共産党はまず資本主義の枠内でルールを守らせることを目指している」が、「マルクスが『資本論』ですでに指摘していたように、いい資本家、悪い資本家など資本家の人間性に関係なく資本主義という経済システムは利潤第一とならざるを得ず、いずれ矛盾をきたす」としていた。

 私もその通りだと思う。しかし、村上氏ばりに揚げ足を取らせてもらえば、「人間性」なるものに論拠を置けば「いい共産党員、悪い共産党員など個々の共産党員の人間性に関係なく、共産主義というのは言論統制、頑張っても報われない世界にならざるを得ない矛盾を含んでいるのではないか」という論も成り立つことになる。
 爾来、ことほどさように資本主義vs共産主義の議論はいつもかみ合わないままであった。

 自動車各社がレイオフを始めたとか、百貨店の売り上げが4%減だとか、「物が売れない」と騒がしい。しかし逆に見れば「ものを買わなくても十分生活できる」ことの裏返しではないか。
 確かに、派遣切りによって明日の生活にも困る人たちが数万人規模で生じる可能性は高いし、何らかの緊急臨時対策は必要だろう。しかし、数千万人、大半の国民はTVインタビューでもニヤけながら不況を憂う余裕はあるのだ。
 問題は、ものを買うことでしか生活の向上感・充実感を感じることのできなかったこれまでの生き方を、必要最小限のものを買うだけでいかに向上感・充実感の得られる生き方に転換していくか、というところにある。そして、こうした生き方のできる社会システムへの転換は、間違いなく“環境にいい”社会の実現にもつながっていくだろう。

 今の「不況」といわれる情況は、むしろそうした転換を行う絶好のチャンスと捉えるべきなのではないだろうか。日ごろ環境をうたっている「環境団体」は今こそそうした転換を訴えて出るべき時なのに、日ごろの威勢はどこへやらほとんど全く声が聞こえてこない。やはり所詮ビジネスとしての「環境運動」でしかなかったということなのだろう。資本主義の今の世の中、“善意の環境運動家”の人間性など「ごまめの歯軋り」にもならない、いやむしろ貪欲にそれをも利用して、TVCMに見るまでもなく、「環境」をウリにして儲けようというあくなき利潤追求のビジネス、商品は巷にあふれかえっている。

 昨年、整備のかいあって30本以上のマツタケ発生を見た山域の所有者から「今後入山するな」とクレームがあった。先週、まつたけ十字軍新年初日の活動は無念の撤収作業とあいなった。

 まともな歴史観を持つ者なら、数万年前、原始人類が現れた頃には「土地や山の所有」など概念さえも存在しなかったことを理解することはそう難しいことではない。     
 江戸のころ、幕府や藩による土地や山の領有はあっても私有などというものはなかった。山(里山)は地域住民の共有財産で、みんながそこからエネルギー源や建材としての木材、きのこや動植物などの食材など日々の生活の糧を得ていた。「環境」も維持されていた。
 明治維新で国有化された山は、天皇によって地域懐柔策として再下賜され(当時は国も山も国民までもが天皇の所有物であった)入会林地となり、戦後さらに個人への払い下げによっていつしか私有化されていったのである。

 資本主義か共産主義かの要諦は月並みな言葉だが「生産手段の私有か共有か」にある。言論、表現、自由の統制は資本主義でも共産主義でもあるだろう、人間という、良くも悪くも感情と知恵を持つ(いわゆる「人間性」)にいたってしまった動物に付きまとう永遠の課題であると思う。むしろ、理不尽なアメリカやイスラエルに自爆テロまでして身を挺して抗している“過激派”の連中より、あまり考えることも無く気づかないままに共産主義に漠然とした恐怖感を植えつけられ、飼いならされている資本主義下の人々のありようの方が危ない気がする。

 ところでこれは上記とはあまり関係ないことではあるが、「ツリークライミング」、「ツリークライム」という用語は、「ツリークライミングジャパン」とかいう団体の登録商標で勝手に使ってはいけないらしい。これも資本主義の産物。なんだかなあ


トング、なんとか見つけました

2009年01月14日 | ログハウス

トング。
ヤフオクに29,000円で出ていた。しかし、1個ではあまり役に立たない。
国内では見つからず、米の通販サイトで見つけた。2個分送料込みで約610$。幸か不幸か円高の今のレート(1$≒90円)だと約55,000円なので、まあヤフオクのよりは安い。これにすっか。

S志さん、アドバイスありがとうございました。スチールとハリマ興産のHP見ましたが見つけられませんでした。


車庫証明

2009年01月09日 | 今日の出来事

今日はヒマなので連発。

 ログハウス作り用に必要な期間を考えると、レンタルより買った方が安いと言う計算結果が出たのでポンコツユニック(クレーン付きトラック)を買った。名変をしないといけない。そのためには車庫証明が必要。幸い、伐採に一緒に行ってくれたYさんが自分の敷地を提供してくれた。ありがたいことだ。で警察へ行くと、「そこは遠くてダメ。あなたの住所地から2km以内でないと車庫証明は出せない」という。で、近所2km圏内の空き駐車場を当たったが6m超のトラックを置かして貰える所がない!エライこっちゃ、どうしよ


なぜログハウス?

2009年01月09日 | ログハウス

 さて、私はなんでログハウスを建てるのでしょう?

 自然の中で田舎暮らしがしたいから?趣味としておもしろいから?老後の楽しみ?
まあ、どれも当たっていますが、最大の理由はできる限りお金を使わずに自分の力で何かを作る事に意味があると思うからです。まず生きるうえで基本的な衣食住はできる限り自分で作る、作れる人が偉い。誰もが取り組む野菜作りはご多分にもれずやりました。味など問わなければ食い物はナントカなる。衣もなんとかなるだろう。ならば住、それがたまたまログハウスなだけです。それは別にログハウスでなくてもよい。お金をふんだんに使えば、命を買う以外はたいていのことはできます。お金を使って何をやったって、自慢にもならない。できてあたりまえ。

 お金ってなんでしょう?稼いだお金は、自分の力、能力の証し?今の世の中そう洗脳しますし、私も一時そう思っていた時期もありました。でも、はたしてそうでしょうか?お金を稼ぐということは必ず環境になにがしかの負荷をかけざるを得ません。お金を持っている(使う)ということは、どれだけ自分が環境に負荷をかけてきたかの証し、指標にしかほかならないという気がしてなりません。

 TVであるクリエイターが「この世に無いものを作る事に意味がある」と言っていました。私も同感です。私(あなた)が、この世に存在したからこそ生まれえたものを作る(創る、造る)ことにこそ、私が(あなた)この世に生まれた意義がある。誰でも作れるもの、誰かが作れるものを作っても意味がない。

 私(あなた)が、この世に存在したからこそ生まれえたもの、その究極のものは私(あなた)の子供たちです。

 そうした意味で次に価値あるもの、それは芸術だと思います。とりわけ文学。小説とか。紫式部がいなければ源氏物語はゼッタイにこの世には存在し得なかったし、ドストエフスキーがいなければ「罪と罰」はゼッタイに存在し得なかった。
 その作家がいなければ決して存在し得なかった世界、物語を生みだす..、作家とはすごい人たちだと思います。

 科学者をエライと思い、なりたいと思っていたこともありました。でも、自然はすでに人間の存在などに関係なく連綿としてあるわけで、科学者はすでにあるものを見つけたり変化させたりしているだけです。まあ、ないよりはマシですが、尊敬するほどのことでもない。

 次にスゴイと思うのは音楽家。絵画、彫刻、工芸のたぐいは、他の人でも似たようなものは作れますから少し劣りますね。

 私もできれば私にしか生み出せない世界を描いてみたい。けれど悲しいかな今のところムリっぽい。なのでとりあえずログハウスや丸太彫刻をやってみます。でも、将来(もう、先行きは長くないけれど)できることなら全く新しい誰にも書けなかった世界を小説に書いてみたい。それが私の夢です。


カラマツってそんなに悪い木?

2009年01月09日 | ログハウス

「カラマツでログハウスを建てる」というと皆が皆、
「カラマツは暴れる(ねじれる、割れる、そる)」とか、「トゲだらけで皮をむくときにいっぱい刺さる」とか、「ヤニが止まらず雨漏りのように落ちてくる」とか、とにかく悪口ばかりでいい話は一つもない。みんな本当にカラマツで建てた経験があるのだろうか?なんだかカラマツがかわいそうになってきた。よし、こうなったらカラマツの名誉回復、ゼッタイにカラマツでログハウスを建ててやる。

 ちなみに山梨県森林組合連合会によると、県産カラマツ丸太の平均的市場相場は太さ20cm以上、長さ4mモノで立米1万円くらい。1本あたり1,600円(太さ20cm)~3,000円(太さ30cm)くらいか、杉とそんなに変わらない。これは原木市場での価格だから末端価格はもう少し上乗せされるのだろう。

 ところで、私のログハウスを建ててもカラマツ材はあまりそうなので、「よし一丁わしもカラマツで建ててみよう」というお方、いらっしゃいましたらお分けします。価格や引き取り条件は相談の上で。


伐採は大変

2009年01月09日 | ログハウス

 年末年始、元森林組合職員のUさんと、木材販売業Yさんの2人の木のプロの応援も得て、ログハウス建設用のカラマツの伐採に行ってきた。

 現地は、戦後に植林されたカラマツ林が木材価格の低迷で整備されずに来た放置林で、「きれいな林に整備する」ことを条件に必要な木を無償でいただけるというありがたいお話、のはずだったが...。

 あらためて伐採というのは大変な仕事であることを思い知らされた。私は、マツタケ山整備で枯損松など太くてもせいぜい元径20cm位の伐採をやったことがある程度のドシロート。現地の木は大半が元径30cm以上、高さ20以上はある木で、中には元径50~60cm位のものもあった。
 この巨木が伐倒されたとき、私は、雷のような轟音と地震のような地響きに、ただただあっけにとられて呆然と見ているだけであった。こんな巨木の伐採は、伐採のプロUさんがいたからこそ可能になった。これが敷地内の木を全て刈り取ってしまう「皆伐」なら、片っ端から切っていけば良いわけでもう少しやりやすかっただろう(それでも重労働に変わりはないが)。

 しかし、「きれいな林にする」ためには、「皆伐」してツンツルテンにするなどもってのほか。林の保全と景観上残すべき木を傷めないように避けながら周辺の木を伐採しなければならない。これが体力と頭脳と技術を駆使しなければ不可能な大変な作業だったのだ。

 私の場合、半分くらいいわゆる“かかり木”にしてしまって、その処理にUさんの手を煩わせてしまった。“かかり木”の処理にはねらい通りに伐倒できた場合の5倍以上の時間がかかってしまう。結局、今回は一週間で伐採はほぼ終了できたが、伐採した材を森から出すところまでできなかった。近いうちにまた出しに行かないといけないがこれもまた伐採以上に大変な仕事になりそうだ。

受け口を切って       追い口を切りクサビを打つ

木が傾き始める

この繰り返し

3人で200本近くは伐採しただろうか。
そのうち私が伐採したのは30本くらい、かな?