WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

マツタケ狩りの秘策は若い女性か子供連れ?

2007年11月04日 | まつたけ
 某町観光協会主催の「マツタケ狩りハイク」に、ムスメと彼氏を連れて行ってきた。町名は書かない、そのわけは後ほど。
 
集合場所風景。わざとピンボケにしてある。

で、ムスメがマツタケを「見つけた」 \(^o^)/\(^o^)/ \(^o^)/

ようやく今年初めてのマツタケにありつけた。
お吸物と茶碗蒸しでありがたくいただいた。おいしかった。


 さて、どうして町名を明かせないのかというと、別に公表を止められているわけではない。
 今回の収穫も、実は自分達で見つけたのではなく、見つけさせてもらったのだ。

 案内されたマツタケ山の情況は、それは悲惨なものだった。まつたけ十字軍でマツタケ山再生の勉強をさせてもらっている身からすると、とてもマツタケが採れるとは思えない、はっきり言ってすでにマツタケ山としては死んでしまっている山だった。しかし、都会暮らしでマツタケの取れる山がどんな山かも、現在の里山の荒廃のこともよく知らない人達、とりわけ子供達は何も知らず無邪気に一生懸命マツタケを探していた。

 そりゃー、他にいくらかでもマツタケが生える、もう少しましな山もあるのだろう。「そんな山に素人を入れてシロを踏み荒らされてはたまらん」という気持ちも分からないではない。けれど、マツタケ狩り参加者を新聞で一般募集し、参加費も取った上にそんな山に案内して100%ありもしない自生マツタケを空しく探させる。いくら単なるお祭りイベントだといってもこれはあまりにヒドイ。

 それでも一応、数人はマツタケにありつける仕掛けはある。いわゆる「置きマツタケ」だ。主催者側であらかじめ他で採れたマツタケを山の数ヶ所に置いてあるのだ。参加者はおよそ150人くらいだから30人に一人くらいは当たる計算。
 でも同じ人が何本も見つけたり、見つけ残しがあったりしてはうまくない。そこで、置いたマツタケを一人が何本も見つけないように、また残らず発見されるように、頃合を見計らって先回りしていたスタッフが自分の持ち場の置きマツタケが見つけられるように適当に参加者をそれとなく手招きしたり、声をかけたりして誘導するわけだ。

 写真はスタッフの手助けで1本ゲットしたムスメ。ヒモで囲まれたマツタケ狩り許可領域はすでにアカマツの墓場状態だ。生き残っているアカマツはわずか10本余りで腐植も厚く積もっている。これではまつたけが生える方が不思議なくらい。私は早々にガッカリしてあきらめた。
 

 もうお分かりだろう。町名を明かせない理由も、私達がマツタケを1本手にできたわけも。スタッフも男、採る気満々のオジサンやオバサンよりはどうしても若い女性や子供達を喜ばせたくなるのは人情というものだ。で、わがムスメはスタッフに手招きされて首尾よく1本ゲットできたというわけなのだ。まあ、例え「置きマツタケ」だろうとマツタケはマツタケ、ありがたくいただいて帰りおいしくいただいた。

 しかしマツタケのおいしさとは逆に、この後味の悪さは何だろう。たまたま若いムスメを連れて行ったから他の参加者を出し抜いてゲットできたというバツの悪さもさることながら、こんな詐欺まがいのことをやっていたのでは、参加者の田舎の町に対する印象も悪くなりこそすれ決して良くはならないし、里山の荒廃と対策の必要性に対する都会の人たちの理解も得られない。

 実際、このイベントはもう数年続いているそうだが、今年は募集500人に対して参加者はわずか150人程度だった。参加者の大半がマツタケにありつけず、ありつけても全て「置きマツタケ」で他人を出し抜くかスタッフの気を引かないとゲットできないとあっては、いささか白けムードが漂っていたのもしかたない。このままではこのイベントも、「置きマツタケ」探しの出来ゲームだと割り切って参加してくる人だけしか来なくなり年々ジリ貧となっていくことだろう。もちろん私達ももう二度と行くことはない。