WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

凍泉たまご?

2019年07月09日 | すごい人たち

 日本の”食”や”技”、”芸”大好き外国人を日本に招待するという番組で、おにぎり大好きポーランド人を日本に招待しておにぎりの名店で修行体験してもらう、というのをやっていた。

東京にある行列のできるおにぎり屋(確か、荻窪の「ぼんご」?だったと思う)のおかみさんの発案で、生卵を冷凍し解凍すると黄身がまん丸のまま半熟卵のようになるという。 おにぎり大好きポーランド人もとっても美味しいと言っていた。

これは試してみないわけにはいきません。(このところネタ不足だし😅) で、やってみた。冷凍玉子は殻にヒビが入っていた(そりゃそうだわな。てか、お試しになんで10個まるまる使うのよっ!て、後で気づきましたが後の祭り)。

解凍してみた。確かに黄身がまん丸のピンポン玉様!箸でつまめるほど!


醤油を少しかけておにぎりにしてみた。うまし!! とろっとろの温泉たまごよりはちょっと固めかな。でも、半熟感たっぷりでとてもおいしかったです。

 たまごを60~70℃でゆっくり温めると白身はそのまま、黄身は半熟の「温泉たまご」ができるのですが、冷凍することでも「温泉たまご」ならぬ「凍泉たまご?」が作れることが分かった。これは大発見、ボンゴのオバちゃんすごい! なお、白身は固まらないままなので、もったいないからそのまま飲んじゃいましたが、10個もあればメレンゲにするといいかも。

ちなみに、「温泉たまご」と「半熟たまご」の違い、分かりますか?気になった方はご自分でググってください。

それにしても我ながら、ヒマ人😞


<大坂なおみの英語講座>

2018年09月08日 | すごい人たち

ーーテニスの大坂なおみ選手がいよいよ明日全米オープン決勝を戦いますが、

<大坂なおみの英語講座>

4大大会で初めての準決勝進出。その感想を問われた大坂は、
「大きな意味がある。でもベスト8の方が感情が高ぶった。いつもそこが目標だったから」
と泣いて喜んだ8強入りとの違いを語った。

「今はまたビジネス(business)に戻ったような気がする。また集中し直して一生懸命頑張らなきゃ」
と意気込みを示した。

 開幕前の会見ではこんなことを言っていた。
「テニスが楽しいと感じられなくてジョブ(job)になっていた」
3月のBNPパリバ・オープン優勝以降、周囲からの大きな期待を持て余し、重圧に押しつぶされそうになっていたからだ。

 ビジネスとジョブ。どちらも似たようなものに思えるが、現在の大坂の心境は以前のようなネガティブなものではないという。
「ジョブは楽しめない。こなすだけのもの。ビジネスは誰かにやらされるものじゃない。だから何かがあっても楽しめる。私はそう考えてる」
と2つの違いを説明した。
(suponichi annexより)

ーー勉強になりました。


NHKラヂオの高校野球実況中継女性アナがスゴイ

2018年08月11日 | すごい人たち
100回記念の高校野球で京都代表平安高校はサヨナラ勝ちで甲子園100勝目をゲットしました。おめでとうございます。
 
もさることながら、NHKラヂオの女性実況アナが素晴らしかった。淀みのない的確で分かりやすいアナウンス、声もよく通って耳の悪くなった年寄りにも大変聞き取りやすかった。さぞかし頭の良い方だろうと思ったら、東大航空宇宙工学専攻と経歴もユニーク。菊川怜なんか目じゃない。いっぺんでファンになりました。
次の実況担当は8月14日の第1試合とのこと。

「甲子園レジェンド始球式」

2018年07月07日 | すごい人たち

今日の京都新聞によると、高校野球100回記念で「甲子園レジェンド始球式」が企画されているとのこと(写真)。


野球の野の字も知らないタレントなどに始球式をさせるよりはとても良い企画だと思います。
一番古い方は第31、33回の”怪童”中西太さん、かすかに記憶に残っています。

松井、桑田、太田、牛島、水野、中西清起さんらは見てみたい。爪先立ちするほど足を高く上げるゆったりとした水野さんの独特の投球フォームは今も目に浮かぶ。板東英二はいらんかな。ちょっと残念だが清原が呼ばれることはないだろう。マー君、ダルビッシュ、そして大谷君も、いずれ見られると嬉しいけど、それまで生きてられるかな?


庶民も楽しんだ和算

2018年05月03日 | すごい人たち

「京都府立丹後郷土資料館」で開催中の『春季企画展「丹波の算法少女-楽しみながら学ぶ和算と算額-」』に行ってきました。
  (4月28日(土)~6月10日(日)毎週月曜休館)

”和算”とは江戸時代に日本で独自に発達した”数学”で、”算額”とは和算の問題と答を絵馬にして社寺に奉納したものです。江戸時代、武士から庶民まで多くの和算家(和算の研究者)が活躍し、関係する書物もたくさん出版されました。特別な道具やお金がなくても知的好奇心と探求心さえあれば身分に関係なく親しめる和算は、庶民の間でもゲーム感覚で広く楽しまれたようです。

 「算法少女」は、そんな時代に発行された和算書の一つで、和算研究者により著者は江戸の町医者”千葉桃三”とその娘”おあき”ではないかと推定されています。そうした時代背景と「算法少女」発刊のいきさつを、児童文学者の遠藤寛子さんが小説に書かれました(1973年 岩崎書店、2006年 ちくま学芸文庫所収)。小説「算法少女」はその後コミック化され(2010年 月間コミック乱)、2015年にはアニメ化もされました。こうした普及の努力もあって、小説「算法少女」は2018年度日本数学会出版賞を受賞されました。

 ところで、和算書「算法少女」の発刊は1775年(安永4年)、おあきさん13歳!のころとされています。あの天才浮世絵画家”葛飾北斎”は1760年(宝暦10年)生まれ。とすれば”葛飾北斎”と”おあき”さんはほぼ同い年、”葛飾北斎”とその娘”お栄”さん(画号 応為)もほぼ同時代の人ということになります。町衆と町娘が活躍できた江戸時代の下町は案外、現代よりも「男女共同参画社会」だったのかもしれませんね。

 私も、ひょんなことから初期和算書の1つ「塵劫記」と「算額」に触れる機会があり、小説「算法少女」を知りました。和算というユニークなテーマに、封建身分制度の時代背景や江戸庶民の暮らし、少女の淡い恋も絡めて描く小説としての面白さにも惹かれました。
 アニメ化された「算法少女」が、5月3日と6月2日の2回だけですが「丹後郷土資料館」の企画展で上映されると知り、これは見逃せない機会と何はともあれ見に行ってきました。

 アニメ「算法少女」は、エンターテイメントとしても面白いだけでなく、和算という世界に誇れる日本文化に、子供たちだけでなく大人にも興味を持ってもらうための啓蒙ツールとしても大変良くできた作品だと思いました。アニメ化プロデューサーの三村さんによると、「大人の事情」により残念なことに、アニメの上映はアート系独立映画館や自主上映頼みで、なかなか広く一般の方々に観ていただく機会には恵まれていないようです(アニメ「算法少女」オフィシャルサイト)。

丹後歴史資料館。なかなか立派な建物です。
なんと65歳以上は入館料無料!太っ腹~!(一般200円 でも安い!)

企画展「算法少女」のチラシ。アニメ「算法少女」パンフ表紙。

アニメは13:30から。先着30名に整理券発行。1番だった!

以下に展示されている和算書と算額の一部を紹介します。

「塵劫記」
先駆けとなった江戸時代の代表的な和算書。岩波文庫にも所収されています。

開かれているページはネズミ算の解説。
有名な類題に「米問答」があります。
庄屋が小僧に「よく働いてくれるので米を褒美にやろう。いかほどが良いかな?」
小僧「では今日はコメ一粒をください。明日は2粒。あさってはその倍、1年間毎日倍々に増やしてください」
庄屋「欲のない奴じゃ。分かったそのとおりくれてやろう」
1年後、庄屋は小僧に米約200俵(2の364乗粒)をやるはめになったとさ。

「古今算法記」

「算法知恵の輪」
算法の基礎を解説。現代の小学校算数教科書にあたる?解説にある「油分け算」、なかなか楽しい。

「探賾算法」

「算法新書」

こちらは算額の例。天橋立近くにある智恩寺には算額が複数残されている。

京都市左京区岩倉にある同志社高校では、数学教育に算額作りを取り入れているそうです。
自分で問題を作ってみる創造的な数学学習と和算文化を多角的に学べるとても良い試みだと思います。

施設名本来の丹後地方の郷土歴史に関する常設展示も充実していました。その一部をご紹介します。

銅鐸。レプリカですが実際に鳴らすことができます。

本館横に移設されている「永島家住宅」。
昔の暮らしがよみがえります。アニメ上映はここで行われました。

手回し式洗濯機!?

 


本当に強い 平野早矢香選手

2014年05月05日 | すごい人たち

誰もが一度はやったことがありながら、なぜかマイナーなスポーツ、卓球。
マイナーなのは、日本人が認めたくない中国がダントツ強いからなのだろう。残念な国民性ではある。

今、卓球世界選手権団体戦が開催中。
弱い男子はさておき、昨日の女子準決勝、香港に勝てば中国との決勝戦という試合を日本はみごと3-1で勝ちあがった。その立役者は平野早矢香選手であったのはまちがいない。

確かに石川選手も愛ちゃん欠場の中、エースとしての重責を果たしてよく頑張ったし、準々決勝オランダ戦では石垣選手の頑張りもあった。しかし、平野さんの驚異的な粘り勝ちには、これがほんとうに「強い」ということなのだと思い知らされた。

2戦目で1勝1敗、3戦目。負ければ絶体絶命の崖っぷち。2ゲーム先取され0-2。私は正直、終わったと思った。
しかし、ここから平野選手はまさかの巻き返しをやってのける。3ゲーム目を12-10で取ると勢いに乗って4ゲーム目を11-2と圧倒。しかし、最終第5ゲーム、一時は最大5ポイント差、今度こそ終わったと思った。ところが諦めず10-10に追いつき、みごと12-10とフルセットを勝ちきったのだ。

とかくビジュアルでもてはやされがちなスポーツ。卓球も例外ではなく、愛ちゃん、佳純ちゃんが人気で、平野選手は“卓球の鬼”と言われるほど試合中の表情はきびしい。しかし彼女は本当に卓球が好きな真のアスリートだった。2度も「終わった」と勝手に諦めた自分が恥ずかしくなった。すっかり平野選手のファンになってしまった。


芋煮会

2012年11月17日 | すごい人たち

綾部のとある集落で行われた「芋煮会」にまつたけ山の仲間ともどもご招待いただきました。

主催のUさん、85歳!。
夏にも大変お世話になったのでフクロウのカービングをお礼にプレゼント。

開催場所は、元大工の棟梁Uさんが私費を投じて作られた「つどいの家」(“家”と書いて“こや”と読ませる。そのココロはいずれまた)。地域の方に私設「公民館」のように開放されています。

庶民家庭に生まれたUさんは、大工の棟梁として財を成し、引退後は「公徳心」、「ボランティア精神」で地域貢献の活動をしておられるとのこと。

でも中には「バブルに乗っかってうまいこと儲けおって」とやっかむ向きもあるとの裏話もされていました。確かにバブルの運もあったのかもしれませんが、何億、何百億とあくなき儲け追求に邁進する強欲な連中に比べればどれだけマシか。
失礼ながら、天寿をまっとうされるときに、これらの資産を一族に引き継ぐのか、ほんとうに地域のものとされるのかどうかでそのお気持ちの真偽が試されることになるでしょう。

芋煮。

地域の方が集まって餅つき。

まつたけ山仲間。

カラオケ大会

翌日は、お礼にみんなで周囲の草刈り整備をしました。

 


ノーベル賞

2012年10月10日 | すごい人たち

周知のとおり、ノーベル生理学・医学賞をiPSセルの山中さんが受賞した。

そして昨日は、物理学賞に米のワインランド氏と仏のアロシュ氏。
2人は量子物理学の定説「不確定性原理」を打ち破る、原子1個、光子1個の観測・操作方法を開発した。この方法を応用することで137億年で5秒しか狂わない時計だとか、半導体コンピューターの1万倍の処理能力を持つ量子コンピューターの可能性を示した。
この業績に比べれば、日本の一部が受賞を期待したブルーレーザーなんぞ“屁”みたいなものでしかない。ノーベル賞選考委員会もなかなかやるもんだ。
もっとも137億年で5秒しか狂わないことを証明するには、それ以上に正確な時計が必要なはずなのにどうしてそう言えるのかが分からないけれど

この2つの大発明・発見には、個人的に大いに期待するところがある。

私は緑内障。視神経細胞がだんだんと死んで減っていくという病気。iPSセルで視神経再生が可能になれば治るかもしれない。現に「加齢黄斑変性症」という似たような病気の再生治療研究が理化学研究所の再生医療研究部門ですでに行われているらしい。もっとも私が生きているうちにはムリっぽいが。

処理能力が格段に早く、情報操作を目的とした介入が極めて難しい量子コンピューターが実現すれば、1億人の民意が瞬時に判断可能なシステムが実現できる可能性がある。欠陥だらけの代議制度は不要になり、政党も存在する意味が無くなり「一党独裁」の概念自体が消え去る、文字どおり革命が起こることになるだろう。


紀州雑賀衆のこと

2012年04月19日 | すごい人たち

前回、「四季の郷クラフト市」会場で出会った“武将”について、『紀州藩は徳川御三家なのになぜか紋が“下がり藤”』などと我が無知と不勉強をさらけ出してしまいました。お恥ずかしい限りです。

会場で知り合った地元の出展者さんからご指摘とご教示をいただきました。大変勉強になりました。以下、教えていただいたお話と自分でも改めて調べてみたことをまとめます。これでようやく写真の“コスプレ”が理解できました。

戦国時代、織田、豊臣、徳川はじめ源氏、平氏、藤原氏などを祖とし天下を争った有名武将達以外にも、各地方に独立系のユニークな豪族集団が割拠していた。紀州を拠点に活動していた雑賀衆もその一つ。昨年末、三重県長島市の「なばなのさと」へ行った折、「輪中」という独特の集落を形成し信長の侵略に抵抗し続けた「長島衆」のことを書いたが、どちらも一向宗の強力な帰依者集団で一向一揆の主役たちでもあった。伊賀、甲賀などの忍者集団や村上水軍などもまたそうであった。

雑賀衆のユニークなところは、鉄砲に長けた傭兵業を主な生業としていたことである。その意味では伊賀・甲賀の忍者達と共通するところもある。同じ紀州の忍者集団に根来衆というこれまた鉄砲の製造から手がけていた集団があった。雑賀衆は根来衆から多くの鉄砲を仕入れ、もっぱら射撃技術の修練を積んで、いち早く鉄砲を取り入れて各地を平定していった織田信長も手を焼くほどの、当時の日本ではNo.1と目される鉄砲集団となった。

雑賀衆の頭領、雑賀孫市は本名“鈴木孫市”、雑賀孫市は熊野信仰の“太陽神”八咫烏(三本足のカラス)を旗印としていた。日本で最も多い苗字“鈴木”一族は藤原氏の末裔で、その家紋を「下がり藤」とするグループも多かった。また敬虔な浄土真宗(一向宗)信者であった雑賀衆は前立て(兜の飾り)や旗印に“卍”を用いることもあったらしい。ちなみに現代では「日本サッカー協会」や「陸上自衛隊諜報部隊」が“八咫烏” をシンボルマークとしている。

写真の“コスプレ雑賀衆”は鳥のくちばし様の面具を装着しているが、これは雑賀衆を扱ったマンガのキャラクターが“八咫烏”をイメージした烏天狗様の面具を着装していたことによるものと思われる。実際に雑賀衆がそうした面具を装着していたかどうかは定かではない。


「天国で被災された方のお役に立ちたい」

2011年04月27日 | すごい人たち

「私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると、負けてしまうかもしれません。でも、そのときは、必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います」

どなたも感動されたでしょうが、キャンディーズのスーちゃん=田中好子さんの遺言の一節です。

もし私が津波で愛する人を亡くしていたら、どんな慰め、励ましの言葉よりこの一言に救われただろうと思います。きっと天国でスーちゃんと楽しいときを過ごしているだろうと。

スーちゃんすごい、大した人だと思いました。


ザッケローニ監督?

2010年10月22日 | すごい人たち

ザッケローニ監督!? ではありません。
私のチェンソーの師匠Yさん。千年の歴史を誇る粟田神社神幸祭にて、祇園祭の山・鉾の原型と言われる伝統の剣鉾を操る。
剣鉾の先端には鐘がついており、足腰の動きで先端を8の字に揺らして鐘を鳴らす。これが相当修練を積まないと難しいとのこと。


そりゃーそうだろう。この剣鉾、重さ40~60キロ、長さ7~8メートルもあるのだ。運ぶときは横にして担ぐのだが、立てる時には3人がかりでも大変そう。


とってもかわいかったお稚児さん。名前を聞くと「あいちゃん」と教えてくれた。


生きた樹木図鑑

2008年07月03日 | すごい人たち

 マツタケ山の一角に、あまり松がないのでマツタケは期待できませんが、学習・散策林として整備が進められているところがあります。担当リーダーの前田さんは町の樹木博士。「生き字引」ならぬ「生き図鑑」。目に付いた樹木には名札が付けられています。恥ずかしながら、この山にこんなにいろいろな樹木があるとは気が付きませんでした。
以下はその一部。あなたはいくつ分かりますか?



生きることって

2008年05月14日 | すごい人たち

 ここしばらくお口の手術ネタが続いていますが、こうしたことがあると周りでもそうした話題になりやすく、私の入院・手術など足元にも及ばない壮絶な体験談が普段以上に耳に入ってきます。

 入院中同室だったSさんは、京大病院での腎臓移植第1号で胃も切っているそうで、毎日様々な免疫抑制剤がおやつ代わり。それでも入院中に抜け出してはパチンコをしに行くような陽気さ。私がジャイアンツをケチョンケチョンにけなしていたらジャイアンツのことを良くご存知なので、「どちらのファンで?」とたずねると「巨人」との答にひっくり返りそうになりました。
 向かいのベッドのHさんは、甲状腺・喉頭ガンで喉の周りをほぼ全摘、小腸を取ってきて喉を作り、首を動かせず4ヶ月は管で栄養を摂る状態で首が固まってしまい、リハビリが大変だったそうな。私が同室のときはすでにスタスタと自分で歩いてトイレや風呂、売店にも行かれてました。たぶん、再発の恐怖はあるだろうに。
 Nさんは、職場で倒れ意識不明になって救急車で運ばれ、脳腫瘍で手術。一命を取り留めたが再発し、再手術するか迷っているとのことでした。
 「田舎暮らし」なかまのSさんは、急性骨髄性白血病。ちょうど渡辺謙さんが発病されたのと同時期で、渡辺さんの闘病に励まされ、2例目の自家骨髄移植と、頭が剥げ副作用にのた打ち回るほどの化学療法の末、今では奇跡的に?健康を回復されたとのこと。今では、そんなことがあったとは思いもよらないほどの元気さだ。
 同じ仲間のKさんは自己免疫疾患の難病で長い入院生活の末、自宅療養を続けながら闘病中だ。今ではたまに現場にも遊びに来られ、薬のせいで少しふっくらされてはいるが明るく元気そうだ。
 また、Uさんは軽トラ運転中に大量の血を吐いて病院に担ぎ込まれ、胃ガンで胃の全摘、転移抑制治療を続け、食事を摂るのもままならないながらもどこにそんなパワーがあるのかと思うくらい、あちこち走り回って木に登ったりチェンソー振り回したり蕎麦を打ったりしておられる。

まったくみんな凄い人たちだ。 

 ポンペイウスさんが「人間として生きることの意味」記事で、「臓器移植してまでの延命や難病にお金をかけること」への疑問をコメントされていますが、私も過剰な延命「医療」には否定的でした。しかし、こうした方々のお話を見聞きすると少し考えを改めないといけないかな、とも思っています。


ツトムちゃん

2007年08月13日 | すごい人たち
 長ぐつで...100名山を制覇!?した人。バカと紙一重と言うか、これは文句なしにすごい。遭難しなかったからすごいけど、遭難していたらただのバカだ。山へ行くのも気が向いたら軽トラでふらっと行くんだそうな。「ちょっと山へ散歩に行ってくるは」みたいなノリで長ぐつでひょいと登ってこられたら“槍”も“穂高”も面目丸つぶれだろうな。格好ばっかり金かけて、林道をこっそり行ける所まで車で登って、証拠写真撮って帰るのが目的みたいな最近の登山者(私^^;)に比べたら、このお気軽さ加減はやっぱりすごい。