WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

アート&クラフトふくちやま

2012年10月29日 | 手づくり市

一週間くらい前の天気予報から「雨、雨、雨、...」と脅されていた10月28日、“期待通り?”の雨、午後には雷も。
「アート&クラフトふくちやま」(京都府福知山市大江町)に出店しました。出店数はクラフト約50、食品約20、アート展示6、他にコンサートなど。

マイブース。

相方のFさんは今回はぢもぢも(地元)。
雨のため出店商品は絞り込んで小ぢんまりと。

雨だったので仕方ないですが、とにかく悲しいくらいお客さんが少なかった。
昼ころまで売り上げ0!!。 “0”は過去に伏見のダ〇ゴ市で1回ありましたが..。
終了間際になってようやくピザカッティングボードと組木が売れただけでした。

客足がまばらでヒマだったので以前、大江のログハウス教室で一緒だった仲間に電話をかけまくりました。突然の電話にもかかわらず講師のIさん、生徒仲間のEさん、Aさん、Oさんが様子を見に来てくれ、近況の交換ができたのはうれしかった。

実は、相方のFさんやたこ焼き屋を出店のKさんとももともとはログハウス教室で知り合いました。当時の施主だったKさんの奥様も立ち寄ってくださいました。
Aさんは最近、チェンソーカービングを始めたとのこと。流庵さん主催の「丹波チェンソーアート教室」の写真を見て、「Aさんに似ている人がいるなあ」と思っていたのですがやはり当人でした。今後、一緒にやれるかと思うと楽しみです。

アート展示。

う~ん。チョイさびしい..。

コンサート。

午前は、前座にエレクトーン教室の発表会?生徒とおぼしき子供達10数人がかわるがわる演奏。保護者のギャラリーが20人くらい。
最後に教室の先生?らしき女性2人の連弾。こちらは童謡をジャズ風にアレンジしたり、高音、低音のメロディーパートを2人が入れ替わりながら弾く曲演など、遊び心を加えて聴衆を楽しませるなかなかのエンターテイメントでした。

残念だったのは、前座のわが子の演奏が終わったとたん、保護者さん達が潮が引くように居なくなってしまったこと。他の演奏者さんに対してあまりに失礼で身勝手な振る舞いに、こんな親の子たちからは大した演奏家は出ないだろうなとがっかりでした。

午後にはフォーク?と沖縄風バンドの演奏。まあ、それなりに...。

 

知り合いのたこ焼き屋Kさん。

うちと違って大繁盛、売り切れごめん、行列のできるたこ焼き屋さん。うらやましい。秘伝の出汁とふわとろ食感で、実際おいしかったです。モノさえよければお客さんが少なくても売れる。雨のせいにした自分が恥ずかしい。反省

お向かいのイラストショップ、「華保李」さん。

ユニークでカラフルな色鉛筆画が好評で、お客が少ない中こちらもよく売れていました。でも、手づくり市も含めて販売するのは初めてとのこと。
特に美術、デザイン系の学校で学んだこともなく、自己流で描いているそうです!。独特の画風、色使い、モチーフには才能を感じました。私も惹かれて買っちゃいました。「将来、必ずプレミアムがつくだろう」と意地汚い根性でサインまでしてもらっちゃいました。
「ぜひ京都市内の市にも出店を」とおすすめしてきました。どこかでまた見られることを楽しみにしています。


安曇野チェンソーカービングキャンプ 5+1senses

2012年10月23日 | チェンソーカービング

10月20-21日、今年は準備の19日も含めて連日の快晴、寒くもなく暑くもなく絶好のカービング日よりでした。

詳細は“戦場カメラマン”ならぬ“チェンソーカービングカメラマン?”きじとらさんが迫力の写真とともにレポートされると思いますので、私は個人的な興味と感想だけを書きとめておきます。

例によって好き放題、思いつくままに彫りました。

好き放題彫ってる間は楽しいのですが、あらためて進歩のなさに凹んでしまいました。

もっとも今回は、私のようなヘタッピイが言うのもなんですが、せっかく好き放題彫らしてもらえるのにチャレンジングな作品は残念ながら見かけませんでした。“5+1senses”にはそうした思いもこめられていると勝手に思っていました。一昨年の北海道の児玉さんの親子像はすごかった。今でも鮮烈に記憶に残っています。

印象に残った作品(と人)。

和歌山の“船長さん”(堺さん)。まるで魚屋さんの店先。あのチェンソーカービング界のカリスマ栗田師匠が今回、船長さんの魚を借りて模写をされていたほど、魚を彫らせたら右に出る者はない。

岡山の森本さんだったと思います。フクロウの左の“タコ?orアメーバ?”がおもしろかった。

どなただったか?この巨大“竹とんぼ”はちゃんと飛ぶのか見てみたかった。あるいは風力発電へのメッセージ?

栗田師匠。
“売れる作品作り”では右に出る者はいない。30分くらいであれよあれよという間に次々とクマやフクロウなどが量産されていく。なんだかんだ言ってもプロを名乗るには売れてナンボ。

中央右よりに並べられている高さ15cmほどの“チビフクロウ”。この写真では分かりにくいですがとてもかわいかった。時代のキーワードは「カワイイ」。お土産として客ウケは抜群。私の知る限り4つくらいは売れていたと思います(私も思わず買ってしまいました)。
聞くと「今回始めて作ってみた」とのこと。一見なんてことはないのですが、15分かそこらでこの「カワイイ」を彫り上げてしまうデザイン力、センスにはやはり脱帽。

会場の長峰山山頂では、安曇野の素晴らしい眺望に向かってパラグライダーも飛んでいました。

長峰山山頂への林道。
5年前、はじめて来たころに比べるとアカマツの立ち枯れが目立ってきている気がしました。

5年前は「止め山につき入山禁止」の看板だらけだったのが今年は少ない。マツタケ山の荒廃はついにここ信州までも侵食し始めているようだ。先日、マツタケで年商1億をあげるといわれている飯田の藤原さんも、「今年はダメだ」とTVで語っておられた。

長峰山山頂からの尾根筋にしつらえられている遊歩道。2001年~、林業活性化事業(当然補助金と利権がらみ)とやらで整備されたらしい。

今でも立派なアカマツがたくさん残っている。当時はマツタケのシロもあったのではないだろうか?歩いていると、一部ではかすかにマツタケのような香りが漂ってくる感じもしました。気のせいかもしれませんが、今回は確かめてみる時間がありません。

途中には「蝶の森」とやらいう周回道が作られているが...。

ごく最近だろう、アリバイ的に草刈りをした後はあるけれど..。蝶が飛ぶ季節が終わってから草刈りしてもなあ。

上の東屋の薄汚れた学校机の中に泥まみれで放り込まれていました。

泥を払ってみると、どうやら蝶によって異なる宿樹との関係を解説した看板らしい。中には割れたもの、汚れて読めないものも。おそらく周回道にこれらの木を植樹してぶら下げてあったのだろう。これでは万一、せっかく物好きな子供達?がやってきてくれても役に立たない。まさに「強者どもが夢のあと」状態。目先の補助金と思惑がからむと、山の整備といってもこうも違う方向に行ってしまうという見本のようでした。

「蝶の森」作りが悪いというのではない。でも、やるからにはちゃんと続けて活用できるようにしてほしい。
当時に立ち帰ってみれば「マツタケの採れる尾根作り」という選択肢もあったと思うのですが。

 


ノーベル賞

2012年10月10日 | すごい人たち

周知のとおり、ノーベル生理学・医学賞をiPSセルの山中さんが受賞した。

そして昨日は、物理学賞に米のワインランド氏と仏のアロシュ氏。
2人は量子物理学の定説「不確定性原理」を打ち破る、原子1個、光子1個の観測・操作方法を開発した。この方法を応用することで137億年で5秒しか狂わない時計だとか、半導体コンピューターの1万倍の処理能力を持つ量子コンピューターの可能性を示した。
この業績に比べれば、日本の一部が受賞を期待したブルーレーザーなんぞ“屁”みたいなものでしかない。ノーベル賞選考委員会もなかなかやるもんだ。
もっとも137億年で5秒しか狂わないことを証明するには、それ以上に正確な時計が必要なはずなのにどうしてそう言えるのかが分からないけれど

この2つの大発明・発見には、個人的に大いに期待するところがある。

私は緑内障。視神経細胞がだんだんと死んで減っていくという病気。iPSセルで視神経再生が可能になれば治るかもしれない。現に「加齢黄斑変性症」という似たような病気の再生治療研究が理化学研究所の再生医療研究部門ですでに行われているらしい。もっとも私が生きているうちにはムリっぽいが。

処理能力が格段に早く、情報操作を目的とした介入が極めて難しい量子コンピューターが実現すれば、1億人の民意が瞬時に判断可能なシステムが実現できる可能性がある。欠陥だらけの代議制度は不要になり、政党も存在する意味が無くなり「一党独裁」の概念自体が消え去る、文字どおり革命が起こることになるだろう。


粟田神社神幸祭

2012年10月09日 | 今日の出来事

昔の京都の玄関口、粟田口を護る粟田神社のお祭。
今年も山整備仲間のザッケローニ、もといYさんが剣鉾を奉納されるというので応援見物に行ってきました。
 
右の写真は貴重な若手後継者のN君。まだ剣鉾は揚げさせてもらえませんが、来年こそはと特訓中。がんばれ!。

3年ほど前から京都造形芸術大の学生さんが“ねぶた?”で参加。一般市民も見物するだけでなく祭に参加できる、こういうコラボはいいですね。

応援に集まったジジイ衆。お好み焼き屋さんで乾杯。お店の前を通る神輿や剣鉾などの行列を居ながらにして観ることができる一等地。なので店名はナイショ。

1時間ほど早くついてしまったので、何年かぶりに近くの岡崎公園一帯を観光してきました。
私の知る岡崎とはだいぶ変わってきていました。

平安神宮

「尖閣問題」ものともせず?、中国からの団体観光客の集団が。
マスコミが騒ぐほど観光客がいなくなってしまったわけでもなさそう。

昔は、本殿横の道路にみやげ物の露店がたくさん並んでいましたが、なぜか一掃されていました。マル暴対策?

一軒だけバラックのような土産店でおばあちゃんががんばっていました。

すったもんだの末、解体中の京都会館。

存続を訴えるオバちゃんが2,3人。チョイ寂しい。

コンクリが一部剥げ落ちていたり老朽化は避けがたく、後付の空調パイプらしき物も見苦しく、個人的には、改修か解体建て替えかなんらかの対策は必要だとは思いました。
「世界も認める京都会館の価値」って、何なんだろう?私には建築デザイン的にもそんなに優れているとも思えませんが...。頑張ってるオバちゃんには悪いけど、昔からの風景への単なる郷愁のような気も..。

ただ、京都市も財政難の中強行するところには利権の匂いもしないではない。ヤレヤレ

図書館脇にあるドクトル・ゴットフリート・ワグネルさんの顕彰碑。
もっと注目されてもいいと思うのですが..。

解説碑文。明治の初めにドイツからやって来て、京都と日本の化学や工芸の発展の基礎を作ってくれたお方。ま、北海道のクラーク博士みたいな(貢献度は同じくらいだと思うのにクラーク博士に比べると注目度は低い)。

図書館の前庭。動物園のサル山みたい。上から地下の閲覧室がのぞける。

国立美術館と脇を流れる疎水。岡崎公園を象徴する風景。

路地に隠れる小さな古本屋さん。一見普通の民家。2階の物干し場に「本」の手づくり看板が。

動物園。現在一部改修中。来年あたりミニサファリパークみたいのができるようです。
昔に比べなんとなく賑わいが薄れてきているように感じる岡崎公園で、唯一入場口に行列ができるほど大人気。うちも子供達が小さいころはよく行きました。確か小学生以下は無料だったと記憶しています。


けいほくクラフト市

2012年10月09日 | 手づくり市

10月6日-7日。

マイブース。今回は相方Fさんも来てくれました。

地面がぬかるんでいて困っていたらシートを貸していただき、通路にはバラスやオガクズを撒いていただき助かりました。スタッフさんの迅速な対処、フットワークのよさはなかなかのものでした。

地元の運動会やお祭とバッティングしたため、昨年よりだいぶお客さんは少なめ。他のイベントとのスケジュール調整はもう少し考慮をお願いしたいところでした。
この市は出店者の懇親会(会費たったの500円)が楽しみの一つなのですが、昨年は飲み物も食べ物も少ないとブーイングが上ったためか、今年はオードブルや寿司にプラスして暖かいおでんとシチューもあり、ビールや水割りなど飲み物も多く用意され大満足でした。スタッフのみなさんの努力に感謝。
2日めはにわか雨でシートが「床上浸水」状態になってしまい困りましたが、こればっかりは天災でどうしようもない。

お向かいのドライフラワーショップと筆工房さん。なんと高校の同窓生!だった。

お向かいどうし3店が同窓生なんて偶然が起こる確率はかなり低い!ビックリ。

てことで記念撮影。

昨年、お知り合いになったUncle Wagenさん。

品揃えがガラリと変わられていました。
昨年は木のオモチャなども出されていましたが、本業のウッドバーニングの絵中心の構成に変更したとのことでした。

同じく昨年お隣のブースでお知り合いになり、和歌山などでもご一緒になった、スイーツデコmint2さん。子供達(特に女の子)に大人気。

小町市でご一緒したこともある、デニッシュバー「ネコのしっぽ」さん。
安くておいしいし、なによりネーミングがいい。


上関原発と大間原発

2012年10月09日 | 環境・エコ・共生・持続・温暖化とか・・

山口の「上関原発」建設は中止、青森の「大間原発」は建設続行が決まった。

「上関」はまだ着工もしていないが「大間」は着工済みなので続行、というのがマスコミの平べったい見方。

アホか。「大間」は「プルサーマル」対応炉でアメちゃんから要求された「プルトニウム消費」のために続行となったんだよ。


「代議員制」ってホントに民主主義?

2012年10月08日 | このごろ思うこと

市民団体が約16万人分の県民署名とともに請求した「浜岡原発再稼動を問う住民投票条例案」が、「静岡県議会総務委員会」で全会一致で“否決”されたそうだ(10月5日)。

“全会一致”ということで共産党までも反対したのかと思ったが、静岡県議会に共産党は議席が無いようだ。もっとも共産党も「憲法改正国民投票法」には反対していたが。
県民が判断するに足る情報が不足している(それは議員さん、アンタの怠慢でしょうが)だとか、投票年齢資格(原案は18歳)や成立要件、投票実務を担う市町村の協力などの不備が指摘され、民主系会派は修正案を提出予定で、本会議での審議は残されているらしいが、絶対反対の自民系会派が過半数を制する県議会で可決の見込みはない。

ちなみに2007年、自民党政府は憲法9条改正を目的に「憲法改正国民投票改正案」を国会で強行採決している。時の首相は、つい先日再度自民党総裁になった、「ハラ痛政権投げ出し」の安倍ちゃんだった。右翼評論家らは「憲法改正国民投票改正案」成立は安倍ちゃんの成果だと持ち上げ庇ってやっているが。
そんなことはともかく、「憲法9条改正」を問う国民投票制度はゴリ押しするのに、「原発再稼動」の賛否を問う「住民投票条例案」には絶対反対という矛盾した態度には、あまりに露骨過ぎて笑うしかない。
今の国民のレベルでは、次の総選挙ではおそらく再度安倍内閣誕生となるだろう。そしてその初仕事は「憲法9条改正」国民投票となるのは間違いない。

今さらながら「代議制民主主義」の劣化のひどさを痛感させられる。「代議制」を隠れ蓑にやりたい放題。こんな制度のもとだからこそ、第3極などとまたまたゴマカシの上塗りで「維新の会」などのようなわけの分からん有象無象達が台頭してくる。
民主主義は死に体寸前だ。「代議制民主主義」は歴史の中で練り上げられてきた制度として無批判に信奉されているが考え直してみる時期に来ていると思う。私自身は何らかの形での直接民主主義制度が必要だと思っている。インターネットが普及した今、不可能ではないと思う。もちろんネットでは情報操作の危険性は必ずある。そのあたりのクリアがこれからの課題だ。
「今の国民レベルでは..云々」と小バカにしながら「直接民主主義」を主張することに矛盾を感じられる向きもあるだろう。確かに「国民投票」が必ずしも良い結果を選択するとは限らない。しかし明確な国民の選択(民意)という意味では受け入れなければならない。痛い目にあって初めて目が覚めるのは人間の性。それが民主主義というものだ。今の代議制度では何度痛い目にあったところで議員・政治家のせいにして目も覚めない。現に街角インタビューでの「政治が悪い」「~してほしい」といった態度がそれを証明している(そんな市民インタビューだけタレ流しているという見方もできるが)。


アメリカの圧力で原発廃止?

2012年10月04日 | 環境・エコ・共生・持続・温暖化とか・・

新聞各紙が報じるところによると、政府は9月に閣議決定した「革新的エネルギー・環境戦略」についてアメリカにお伺いを立てたところ、原発政策の矛盾をつかれ棚上げせざるを得なくなったという。

政府の基本政策についていちいちアメリカにお伺いを立てなければならない「対米追従」については何を今さらということでもう何も言うまい。(ちなみに周辺アジアにはあれほど威勢の良い安倍も石破も石原も橋下も、これほどの屈辱的国家関係について一言も発しないのはどうしたことか)

アメちゃんのいうには、「『原発ゼロ』を目指しながら『核燃再処理を継続』するのは矛盾しており見直せ」と。つまり、「もんじゅ」や「プルサーマル」といった『核燃再処理』がうまく行っていない中で、使用済み燃料=プルトニウムが溜まれば核武装してアメリカ言いなりにならなくなる恐れがある。
他にも「世界3位の経済大国日本が原発を止めて化石燃料依存を強めれば原油価格高騰を招く」だの、「アメリカ(と日本の)原発商売がうまくいかなくなり、中国、ロシアにオイシイところをもっていかれる」だの、アメリカ本意の身勝手な言い分ばかり。報道にはないが、米産ウラン燃料のお得意様がなくなるのも困るだろう。

そもそも、日本の原子力開発はアメリカとその他核保有国のお許しの下でしかできない現状であることは以前にも書いた(「日米原子力協定」)。話題の普天間にしろオスプレイにしろみな根は同じだ。

上記のように「経済的理由」では、アメリカにとって日本が原発を止めるのは困る。しかし、それ以上に困るのは日本が右傾化し核兵器保有国になる可能性が生ずることなのだ。右傾化の兆しが見られるとはいえ大多数の日本人は「そんなバカなことが」と楽観的に思っているだろうが、真珠湾が未だにトラウマとなっているアメリカは基本的に日本を信用していない。(だからこそあちこちに米軍基地があり、いろんな「日米協定」でがんじがらめにしているのだ)

アメリカは「プルトニウム保有量を最小化」するよう要求してきたという。しかし「もんじゅ」も「プルサーマル」もうまくいかない現状では無理。このままではプルトニウムは溜まる一方。結果、アメリカは日本との原発商売の経済的メリット(米全体からすれば大したことない)を捨ててでも日本を核から手を引かせるよう強要してくることになるだろう。

日本人が今さら大騒ぎしなくても“アメリカ様”のおかげで日本から原発は無くなる。