WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

「環境」と「持続可能...」の「グローバリズム」

2007年11月12日 | 環境・エコ・共生・持続・温暖化とか・・

 私も参加している「まつたけ十字軍」は、足の踏み場もないほどマツタケが生えた昭和30年代のアカマツ林を再生することが里山の再生につながる、として活動している。京都市では、古都らしい景観を保つ観点から「松枯れ」「ナラ枯れ」を防ぐ必要性が叫ばれ、その観点から活動している市民団体もいくつかある。
 一方で、貧栄養の山に成立するアカマツ林は病虫害によって荒廃しやすく、土砂の流出などの被害を招きやすいため、植生豊かな林相に変えるほうがよい、という考え方もある。温室効果ガスのCO2を森林に吸収させるために広葉樹林を増やすべき、と唱える向きもある。
 杉林を守れ、原生林を守れ、熱帯雨林を守れ、...森と山を守ろうという根っこのところだけは共通しているのだろう。まあ、「平和はだめだ、戦争をしよう」なんて表立っていう人間はまずいない(心の底はいざ知らず)のと同様、「森を壊せ、山を壊せ」などと言う人間もまずいない。考えてみるとみんなそれなりに一理あるのだ。そして大義名分の行き着くところはおしなべて「地球温暖化」であり「環境」であり「持続可能な...」だ。アジア各国の会合でも1500万haの森林を復活再生させようと話し合われたらしい。
 最近の地球規模での世をあげてのこうした傾向になんとなく「?」を感じるこのごろである。どうも本質的な問題を糊塗するために「持続可能な社会」などという実体のはっきりしないお題目に誘導がなされているような気がしてならない。
 中南米で起きつつある新しいムーブメントには「地球温暖化」だの「持続可能な社会」だの「テロとの戦い」だのといった裏で糸引かれているような胡散臭いスローガンは無い。単刀直入、反米、反貧困、反富の集中だ。どうもそっちに目を向けさせたくない勢力の情報操作にみんなうまく乗せられているのではないのだろうか。
 先日、戦後の日本に対するCIAの情報操作と自民党支配へのテコ入れ策動の資料が米議会で公開されたことが小さく報道されていたが、不思議なことにそんな重大な問題も日本ではマスコミはじめまったく問題にしていない。