皆さんは「イムジン河」という歌はよくご存じのことと思います。実はこの曲、日本では2つのバージョンがあることはご存知でしょうか?
いつもお世話になっているsmileCafeさんでウンチクをたれながらやらせていただいたらYouTubeにあげていただいたので、つまらないことでいがみ合う国どうしがいつまでたっても無くならない中、相互理解、平和ということを考えてみたいと思います。
日本での「イムジン河」は最初、フォーククルセダーズが1968年に発売予定していた曲でしたが発売中止になりました。発売中止の原因は、当時大きな影響力を持っていた在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)からのクレームであったと言われています。
そのクレームとは「フォーククルセダーズの歌詞は、南朝鮮が正統な朝鮮人国家であり、北朝鮮の人たちが望郷の念に駆られる、という印象を与えけしからん」というものだったと言います。
ところが、フォーククルセダーズの「イムジン河」はアンダーグラウンドで支持を得てすでに広まりつつありました。そこで「これはまずい」と総連側はシンパの在日朝鮮人:李錦玉氏に新たな日本語歌詞を充てさせ、早大フォークソング部出身のフォーシュリークというグループに歌わせました。実際、1970年ころの歌本には「イムジン河」はフォーククルセダーズではなくフォーシュリークの歌として掲載されています。
なお、「放送禁止歌」ということがよく言われますが、このケースは法的根拠に基づいて「公開禁止」とされたというわけではなく、あくまで当時の時代背景から当時はそこそこの力を持った圧力団体であった朝鮮総連に対してメディア業界の自主規制がはたらいたという、いかにも日本的な「忖度」風土によるものであることは認識しておかねばならないでしょう。
それぞれの歌詞を記載します。違いを感じ取ってください。
それぞれの歌詞を記載します。違いを感じ取ってください。
<フォーククルセダーズ版>(タイトル「イムジン河」)
① イムジン河水清く とうとうと流る 水鳥自由に 群がり飛び交うよ わが祖国南の地 想いははるか イムジン河水清く とうとうと流る
② 北の大地から 南の空へ 飛び行く鳥よ自由の使者よ 誰が祖国を2つに分けてしまったの 誰が祖国を2つに分けてしまったの
③ イムジン河空遠く 虹よかかっておくれ 河よ想いを伝えておくれ 故郷をいつまでも 忘れはしない イムジン河水清く とうとうと流る
<フォーシュリーク版>(タイトル「リムジン河」)
① リムジン河水清く 静かに流れゆき 鳥は河を自由に飛び交うよ 南の故郷へ何故に帰れぬ リムジンの流れよ 答えておくれ
② 水鳥悲しく 南の岸で鳴き 荒れた畑にむなしく風が立つ 幸せの花咲く 祖国の北の歌 リムジンの流れよ 伝えておくれ
おそらくフォークル版の「‥水鳥自由に 群がり飛び交うよ わが祖国南の地‥」「‥南の空へ 飛び行く鳥よ自由の使者よ‥」が「北」には自由がなく「南」には自由がある、と匂わせてると勘繰ったのかも?
そこでフォーシュリ版では、「‥鳥は河を自由に飛び交うよ 南の故郷へ何故に帰れぬ‥」=「北では自由なのにどうして南へは自由に行けないのか」、「水鳥悲しく 南の岸で鳴き 荒れた畑にむなしく風が立つ 幸せの花咲く 祖国の北の歌‥」=「南では畑も荒れ果てて皆泣いている 幸せな北の歌を河よ伝えておくれ」として”OK”が出たというわけだ。
それから50年余、いろいろな紆余曲折もあったが、今や金正恩は韓国を「統一すべき同胞の国」ではなく「憎悪すべき敵国」と言い出すし、「北と南はいずれ同胞国家として統一するのが目標」だった朝鮮総連の中には失望し離れる人たちも多く、その勢力も往時の1/10程度にまで衰退してしまった。
なお、そもそも「イ(リ)ムジン河」はもともと北朝鮮で作られた歌で、作詞:朴世永・作曲:高宗漢でした。それをフォークルが歌うことになったきっかけのエピソードもまたいろいろと興味深いのですがそれはまたの機会に。