天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

石原慎太郎に捧ぐ

2022-02-03 20:30:00 | コメント
2022年2月1日、東京都大田区の自宅で死去
享年89歳

心より哀悼の誠を捧げます。



彼の靖国神社関連の記事、Wikipedia、都知事時代の共産党議員団の申し入れをコピペし私のコメントを最後に記します。

2020/8.15朝日新聞記事
『元東京都知事の石原慎太郎氏が終戦の日の15日、東京・九段北の靖国神社を参拝した。参拝後の記者団の問いかけに応じなかった一方で、参拝者に向かって語りかけた。神社に近い日本武道館で行われている政府主催の全国戦没者追悼式に天皇陛下と安倍晋三首相が参列していることを説明し、「一足伸ばして2人とも靖国参拝してもらえないのか。何に遠慮しているのか。首相(の参拝)は当たり前、やっぱり天皇陛下に参拝していただきたい」などと語った。』

Wikipedia石原慎太郎 靖国
『靖国神社には毎年8月15日に参拝し、総理大臣には「もし首相が靖国に行かなければ、この国は芯からガラガラと崩れていく」と参拝を求め、天皇の靖国神社親拝を期待する発言を行い、小谷喜美との対談の中で「日本が行った戦争がすべて侵略だから靖国に参拝するななんていう進歩的文化人の連中はおかしい」と述べている。一方で、A級戦犯の靖国合祀に関しては異議を唱えたこともある。「靖国が日本の興亡のために身を挺して努め戦って亡くなった功ある犠牲者を祭り鎮魂するための場であるなら、彼らを無下に死に追いやった科を受けるべき人間が鎮魂の対象とされるのは面妖な話である」「戦争の明らかな責任者を外して合掌している」と述べている。拳銃が決して致命に至らぬ最小の22口径で自決しようとした東条英機より、潔く自決した大西滝治郎中将や阿南惟幾陸相を靖国へ合祀しないことに異議を唱えた。石原は東条の「戦陣訓」の中の「生きて虜囚の辱めを受けず」なる文言が当時の日本の社会の中でいかに恐ろしい拘束力を持ち、いかに多くの犠牲者を生み出したか、と述べている。』



東京都知事 石原慎太郎 殿
靖国神社に参拝しないよう求める申し入れ


2010年8月4日
日本共産党東京都議会議員団


 『65回目の終戦記念日を迎えるにあたり、日本共産党東京都議会議員団は、石原知事に対し、靖国神社に参拝しないよう、強く求めます。
 靖国神社が戦没者の純粋な追悼の場所ではなく、過去の侵略戦争を肯定・美化することを自らの使命としている組織であることは、現在では内外で広く指摘されている事実です。東京都の代表である知事の靖国参拝は、この神社の政治的立場を公的に認知することであり、それは日独伊の侵略戦争の反省の上に築かれた今日の国際秩序に背を向ける政治的行為にほかならず、断じて許されないことです。
 さらに東京は、この侵略戦争によって多くの戦死者を出すとともに、10万人もの被災者を出したといわれる東京大空襲など、甚大な被害を受けた経験をもっています。
かつての小泉首相(当時)の靖国参拝は、国内外からきびしい批判をうけ、福岡地裁および大阪高裁により違憲と判断され、判決が確定しています。首相による8月15日の靖国参拝は、2007年以来行なわれていません。
 にもかかわらず石原知事は、植民地支配や侵略戦争を肯定する発言を行い、五輪招致活動で海外出張していた昨年をのぞき、毎年8月15日、都民の反対の声を無視して、靖国参拝を行ってきました。
 今年は、日本が朝鮮半島全体を軍事的強圧のもとに併合してから100周年でもあります。過去の侵略戦争と植民地支配に対して、関係諸国政府および国民の間で、歴史認識の基本を共有することは、21世紀に日本が東アジアの人々と真の平和と友好を築いていく上で、不可欠の課題です。このさい、石原知事は、歴史の真実と教訓を直視し、これまでの態度を明確に改めるべきです。
 日本共産党東京都議会議員団は、石原知事が憲法を遵守するとともに、靖国神社参拝を行なわないよう、強く求めるものです。

以 上』


この共産党の申し入れに断固として従わず靖国神社に参拝し続けた。つまり、個人の心の問題に政治的な主張を介在させるクソ議員団の申し入れなど聞かないとする石原慎太郎の意思表示だろう。

そんな石原氏も
『拳銃が決して致命に至らぬ最小の22口径で自決しようとした東条英機より、潔く自決した大西滝治郎中将や阿南惟幾陸相を靖国へ合祀しないことに異議を唱えた』と発言しているが、大西、阿南は合祀済である。

石原氏のリップサービスで意図的に間違えたかは定かではないが、自身が参拝する事が重要でその想いは様々であると語りたかったのかもしれない。

中国、朝日新聞からは"差別的な右翼"、橋下徹からは"友"と没してもなお叩かれ、蔑まれしているが、靖国神社、戦没者に対する想いは為政者の中で一番であったと思われる。心より冥福を祈りたい。

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