天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

日中戦争中学3年

2020-08-02 20:10:00 | 政治
『歴史学とは、対象とする大陸・国・地域などにおいて、過去に起こった物事を取り上げ、当時それがどのような意味を持っていたのかを、残された物や建造物、文書などから研究する学問である。 ただ、資料を正確に読み取るだけではなく、事実かどうかを疑い、踏み込んで検証する批判的視点も重要である。』


そこで敢えて中学校3年の歴史を例にあげるが、このように事実かどうかも疑うことなく、批判的視点も受け入れない歴史が日本人の歴史として標準に検定されている。



下記に起こしてチェックしていこう。

歴史(日中戦争)
『1937年、北京郊外で起こった日中両国軍の武力衝突(盧溝橋事件)をきっかけに、日中戦争が始まった。中国では国民党と共産党の内戦が続いていたが、毛沢東を指導者とする共産党の呼びかけで、協力体制が実現し、抗日民族統一戦線が結成された。A
戦火は中部に拡大していき、日本軍は首都の南京を占領した。その過程で女性や子供をふくむ多数の中国人を殺害した。B南京事件)。戦争が長引くにつれて、日本政府は国民を戦争に動員する「戦時体制」を強めていき、1938年には国家総動員法を公布して国民の生活を統制した。また1940年には、ほとんどの政党や団体は解散して、国民を戦争に動員する機関として新たに結成された大政翼賛会に合流した。一方朝鮮では皇民化の名のもとに、日本語の使用や姓名のあらわし方を日本式に改めさせる創氏改名をおし進めた。C

アンダーライン
A.協力体制が実現した割に日本は国民党とだけ戦い、弱体化したせいで後に日本の統治下の台湾へ共産党から逃れることとなり、現在に至る。盧溝橋事件が共産党からの発砲で始まった事と日中戦争としていること、南京事件などから日本は巻き込まれたという被害的側面を考えるべきである。
(飛んで火に入る夏の虫)

B.この様な不確定要素のある説明が必要とは思わない。

C.台湾のことは書かず朝鮮のみを明記するのは甚だしい人権侵害と差別である。



古文書学者でもあった歴史家レオポルト・フォン・ランケは、古文書学の史料批判法を歴史研究において重要視する事で実証主義的な歴史学(実証史学)を確立し、歴史学を科学の域に高めた人物だ。

「ただ事実を記すのみ」としたランケの実証史学は欧州史学界に大きな影響を与え、今日の歴史学の基礎とされている。

だがランケの手法は史実探求に厳正さを付加した一方で文献資料偏重ともいえる風潮を生み出し、後にアナール学派などから批判を受ける。その為、現在の歴史学では実証史学を基調としつつも、文献研究以外の方法も歴史を探求する上で重要な知見として尊重されており、次第に人類学的な性格を持ちつつある。

この歴史学の欧州的潮流を巧みに利用して作られているのが中学校の歴史とも言えよう。つまり、近隣諸国条項下の教科書はあまりにも被害性ばかりに偏向した政策であり、現在では国益を毀損する要因の一つとも言える。
特に歴史分野においての教科書検定基準の改定、改善は急がれて然るべきである。

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