天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

ぎよみどん-hinata 8/15

2021-09-21 13:59:00 | 時事
令和3年9月17日8時15分にご逝去なされたことをご家族の方によるTwitterで知りました。
ぎよみどんーhinataさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

実は2014年8月15日にぎよみどんさんからメールを頂いていたのですが、8時15分にご逝去されたこと、終戦とぎよみどんさんとこれまでのご活動が重なり、個人情報を伏せ公開させていただくことと致しました。







早速アドレス教えて下さり、ありがとうございます。
ヒナタ資料発掘こと、〇〇と申します。
 
公開でなくすみません。
私の実家地元のことも絡むので個人的な連絡をお願いしました。
 
特攻隊というのは「特殊潜航艇・蛟竜」のことです。
呉基地から〇〇〇の訓練・発進基地へ配属されていた方々の手記にそれは書かれています。
 
実は私自身が〇〇〇出身でして、祖父・曽祖父がその方達を慰労したりお世話させていただいていました。
隊員の人達の写真が何枚も実家に残されております。
写真を見つけた私はあれこれ調べまして、自費出版の手記本に出会いました。
横井寛氏著「五 分間の決断」という本です。
元特攻隊員のご本人「横井順一」氏は平成21年に故人となられており、弟様の寛様がお兄様の手記を纏めたのが本書です。
本書125ページにそれは書かれてあります。
 
以下抜粋
ーーーーーー
8月18日正午頃、水上機が2機、突然内海湾(うちのみわん)に着水した。
呉鎮守府長官金沢中将は、陛下に拝謁仰せ付けられて、終戦の心意を拝受し部下の将兵に伝えるべく、呉への帰途小豆島上空で、千余名の隊員の心境を鎮めなければと、事態を懇々と説明して出発された。
続いて第十特攻戦隊司令官大和田少将も来島され
「終戦は全く陛下の御意志より出たものであること」
「陛下が一身を投げ出 す御覚悟でいらせられること」
などを、涙ながらに諭すところがあったので隊員も次第に落ち着き、小豆島嵐部隊は無事に解体の方向にまとまったのである。
ーーーーーー
 
あと、「蛟竜艇長第十七期会編 特攻艇長たち 次世代への遺言」というこれも自家出版本P93~P94に「佐野大和」氏の言葉として全く同様のことが書かれています。
 
元隊員の方達は故人になられている人が殆ど、ご存命の人達も高齢のため、〇〇〇での戦友会はもう開かれていないようです。
基地があった場所や訓練中に亡くなられた(敵機の機銃掃射や沈没)人達の慰霊碑は島の人達に大事にされております。
 
余分ですが、我が家に残されていた蛟 竜隊員の方達の写真を一部添付させていただきます。
小さい写真ですが後ろに蛟竜が写っているものもあります。
 
金沢中将、大和田少将らは戦後どうなられたのか私は知らないのですが、この件を証言する事が無かったのか証言があってもマスコミは無視したのか。
特攻隊員の証言や手記も取り上げられることも無かったですね。
今からでも遅くない、こういう人たちの手記を政府や公的機関が徹底的調査するべきと思います。
陛下の御心、それを汲んだであろう東条さんの自決「未遂」の意味、を日本人は知り考える必要もあるかと感じております。
 
突然のツイートとメールを失礼いたしました。
不明のことがありましたら、こちら メールアドレスまでお願いします。

             〇〇



本文にありますように、
『陛下の御心、それを汲んだであろう東条さんの自決「未遂」の意味、を日本人は知り考える必要もあるかと感じております。』
との考え方もぎよみどんさんと重なり、『今からでも遅くない、こういう人たちの手記を政府や公的機関が徹底的調査するべきと思います。』という思いを少しでも拡散したく、バラバラではありますが、今日までTwitter上で活動してまいりました。

ぎよみどんさんが生前のご活躍で残された731部隊や南京事件関連の研究は歴史学者を遥かに凌駕するものであるとも感じております。

心よりご冥福をお祈りします。

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