天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

長島昭久議員の靖国論が正解だが、

2021-09-20 13:28:00 | 靖国
橋下、百田、有元各氏とのTwitter議論でのヒートアップで橋下氏の分祀論にかき消されて目立たなかったが、改めて何度も読むうちに長島昭久議員の考え方が、一番理にかなっているのではないかと感じ始めてきた。

あまりに理路整然としているだけに、理解されづらいのだろう。つまり靖国神社の状況と政治状況の両面を理解している方だからこその靖国論なのである。一部を順序を変えて抜粋して最後に解説を加えたい。





『靖国「国有化」こそ、御英霊に報いる天皇陛下御親拝を実現する道筋

一方で、私は、外国からの圧力に屈する形で国のために命を投げ出した戦没者の方々の慰霊・追悼方式が動揺するのは、主権国家として健全な姿だとは思いません。したがって、周辺諸国の意向を慮って「新しい追悼施設を」という議論に与するつもりは毛頭ありません。要は、天皇陛下をはじめ誰もがわだかまりなく参拝し、国のために命を捧げられた御英霊に哀悼の誠を捧げることのできる靖国神社となるよう、政治家が関係者の皆さまと知恵を絞る以外にないと考えます。

その意味で、国家のために命を捧げた方々をお祀りするという国家的事業を一宗教法人に丸投げしてきたこと自体、国家の在り方から言っても、世界の常識に照らしても、極めて異常だといわざるを得ません。麻生太郎副総理が数年前に提案したように、靖国神社の「国有化」を速やかに実行に移すべきです。国有化は、靖国を「東京招魂社」と呼ばれた明治2年の創立時の姿に戻すことに他なりません。宗教法人への国家介入が憲法上禁じられている以上、どの方を祭神としてお祀りするかは靖国神社に委ねるほかなく、じつは現状では分祀論も机上の空論に過ぎません。国有化の過程を通して初めて、どういう方々を慰霊対象にすべきかについて国会の慎重な審議に付されることになるのです。

繰り返しますが、国家のためにその尊い命を投げ出した方々に対し国家が最高の栄誉を以ってお祀りすることは、国家が国家で在り続けるための最低限の矜持であると思います。

その意味からも、靖国神社に代替施設はあり得ないし、天皇陛下に出来る限り早く心安らかに御親拝を復活していただける環境を整えることこそが、ご英霊に対する私たちの責務であると信じます。

平成26年甲午元旦

衆議院議員 長島昭久』




『靖国神社の祭神を分祀することは可能か?

ところで、分祀については、靖国神社が「神道の信仰上絶対にあり得ない」との見解を発表しているようですが、神道においては複数の祭神の一部を分離して別の場所に遷す(分遷、遷座)ことは、記録に残っているだけでも8世紀以来行われています。たとえば、明治政府が神田明神から平将門の霊を将門神社に遷した事例などが有名です。
 私の真意は、A級だとか、B級だとかといった、極東軍事裁判に振り回された分祀論から一刻も早く脱却したい、その一点にあります。
ちなみに、「昭和殉難者」合祀の事実が明らかとなった1979年以降(厳密には、75年の終戦30周年の御親拝を最後に)天皇陛下の靖国参拝は途絶えたまま今日に至っています。外国からの批判に反発する前に、私たちはこの厳然たる事実の背後に昭和天皇、そして今上天皇のお気持ちがいずこに在るのかを静かに推し量るべきではないでしょうか。』


『原因をつくったすべての戦争指導者たち(当時の国務大臣および陸海軍統帥部の要職(将官以上)にあった人々)は、理由のいかんを問わず例外なく、これを靖国神社合祀の対象とすべきでないと考えます。つまり、それらの基準に該当する人々が既に合祀されていた場合には、分祀せざるを得ません。こうして初めて、(昭和殉難者の合祀等により)文官や戦没者でない軍部の指導者たちが、靖国神社に祀られている御英霊に紛れ込んでしまったことにより生ずる混乱を回避することができるのです。』




以上が長島昭久議員の靖国神社問題の解決案である。つまり国有化して本来の靖国神社のあるべき姿に戻し、祀る側の立場の英霊のみを分遷するというものである。

最近この長島議員の解決案が他のどの案よりも正論であると感じるようになってきた。皇室評論家の谷田川惣氏などは建物などのハード面を国有化、中身を民営化すると言う案もあり、より実現可能な案であることに思えている。

ただ、ここまで持ち上げておいて落とす訳ではないのだが、国営化は当の靖国神社が反対していたという過去があるのだ。

分遷を認めない靖国神社がこの先国営化を認めるとはとても思えないのである。
つまり分遷ありきの策は未来永劫叶うことはないのである。

つまり靖国は国が敗戦を認めるところまでは許容出来ても、侵略と植民地支配した国、そしてその代表が戦争犯罪者であることを認めてしまえば、(A級の分祀)歴史認識を国と共有することが出来なくなり国営化どころか、また振り出しに戻るのである。
更にいくら祀る側であったにしろ、言葉を違えた分祀として勿論靖国は拒否であろう。国民を差し置いて国が強引に国営化しようとすれば、靖国は宗教介入として拒み続けるという結果は見えている。

ここで有元氏の日本国内で政治家、一般人の別なく靖国や「戦犯」についての誤解を解き、静かな元通りの祈りの環境を取り戻すことが先決』が思い出される。




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