天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

山下奉文の遺言

2017-07-21 17:58:28 | まとめ・資料










私の不注意と、その天性が暗愚でありましたために、全軍の指揮統率を誤り、何物にも代えがたいご子息、あるいは夢にも忘れえないご夫君を
多数死なせましたことは、まことに申し訳ない次第であります。

激しい苦悩のため、心身転倒せる私には、衷心よりお詫び申し上げる言葉を見出し得ないのであります。

かつては皆さん方の最愛の将兵諸君の指揮官であった山下奉文は、峻厳なる法の裁きを受けて、死刑台上に上らんとしているのであります。

アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンの誕生祝賀記念日に独房を出て、刑の執行を受けるということは、偶然の一致ではありましょうが、まことに奇しき因縁といわなければなりません。

謝罪の言葉を知らない私は、今や私の死によって、私に背負わされた一切の罪を償うときがまいったのであります。

もとより、私は単なる私一個の死によってすべての罪悪が清算されるであろうという
ような安易な気持ちをもっているものではありません。

全人類の歴史の上に拭うべからざる数々の汚点を残した私は、私の生命が絶たれるという機械的な死によって相殺されるとは思わないのであります。

絶えず死と直面していた私にとりましては、死ということは極めて造作のないことであります。
私は大命によって降伏した時、日本武士道の精神によりますれば、当然自刃すべきでありました。

事実、私はキャンガンで、あるいはバギオで、かつてのシンガポールの敗将パーシバル将軍列席の下に降伏調印をした時に自刃しようと決意しました。

しかし、そのたびに私の利己主義を思いとどまらせましたのは、まだ終戦を知らないかつての部下たちでありました。

私が死を否定することによって、キャンガン(※山下大将らはここを最期の地として『桜町』と名付けていた)を中心として玉砕を決意していた部下たちを、無益な死から解放し、祖国に帰すことができたのであります。

私は武士が死すべきときに、死処を得ないで
恥を忍んで生きなければならないことがどんなに苦しいものであるかということをしみじみと体験いたしました。

このことより類推して、生きて日本を再建しなければならない皆様方が戦犯で処刑される者よりどれだけ苦しいかということが、私にはよく分かるのであります。

もし私が戦犯でなかったなら、皆さんから、たとえいかなる辱めを受けましょうとも
自然の死が訪れてまいりますまで、
生きて贖罪する苦難の道を歩んだでありましょう。

『兵は国の大事にして死生の地、存亡の道なり、察せざるべからず』と孫子もいったように兵はまさしく凶器であり、大きな罪悪でありました。

この戦争を防止するため、私はあらゆる努力を払いました。しかし、悲しいかな私の微力よくこれを阻止できなかったことは、まことに慙愧に堪えない次第であります。

マレーの侵略、シンガポールの攻略、国民の血を沸かせただけにおそらく皆さんは、私を生粋の侵略主義者、軍国主義者の最たる者と目しておられるでしょうが、それは当然であります。

私も一身を軍職に捧げた職業軍人であります。

今さら何をかこれに加えましょうか。

しかし、私も軍人であるとともに、一面日本国民としての意識もまた相当強く動いておりました。

亡国と死者は永久に再生はないのであります。

兵事はいにしえより、明君賢将の深く慎み、いましめるところでありました。一部少数者がひとり事を断じて、国民大衆を多く殺傷し、残れる者を今日のごとく塗炭の苦しみに陥れたことは等しく軍部の専断であり、国民諸君の怨嗟ことごとく、我らに集中すると思うとき、私はまさに、断腸の思いがするのであります。

ポツダム宣言により、日本が賢明ならざるもくろみによって日本帝国を滅亡に導いた軍閥指導者は一掃され、民意によって選ばれた指導者により、平和国家としての再建が急がれるでしょうが、
前途いよいよ多事多難なることが想像されます。
建設への道に安易なる道はありません。

軍部よりの圧力によったものとは言え、あらゆる困苦と欠乏に堪えたあの戦争十ヵ年の体験は、必ずや諸君に何者かを与えるに違いないと思います。
新日本建設には、私たちのような過去の遺物軍人、あるいは阿諛追従(あゆついしょう)せる無節操なる政治家、【戦争】に合理的基礎を与えんとした御用学者などを断じて参加させてはなりません。

恐らく、占領軍の政策をして何らかの方法がとられるのでありましょうが、まさに死につかんとする私は、日本の前途を思うのあまり、一言申し添えたいと思うのであります。

踏まれても、叩かれても強い繁殖力をもった雑草は、春が来れば芽を吹きます。

国ことごとく破れて山河のみとなった日本にも、
旺盛なる発展の意志を持った日本の皆様は再び文化の香り高い日本をあの1863年の丁独戦争(ドイツ対デンマークの戦争)によって、豊穣なシュレスウィヒ、ホルスタイン両州を奪われたデンマークが、再び武を用うることを断念し、不毛の国土を世界に冠たる欧州随一の文化国家に作り上げたように建設されるであろうことを信じて疑いません。

私ども亡国の徒は、衷心からの懺悔とともに異国の地下から、日本の復興を祈念いたします。

新たに軍国主義者どもを追放し、自ら主体的立場に代わられた日本国民諸君、
荒らされた戦禍の中から雄々しく立ち上がっていただきたい。

それが私の念願であります。

私の刑の執行は、刻々に迫ってまいりました。

もう、あと1時間と40分しかありません。

この1時間と40分という時間が、私にとっていかに貴重なものであるか、死刑囚以外には恐らくこの気持ちの分かる人はないでしょう・・。

私は森田教誨師と語ることによって、皆さんに伝えていただくことにいたします。

いつかは伝わるであろう時を思い

「私は死に臨んで、今や蘇生せんとする日本の皆様に言いたいことが4つあります。
 
聞いていただきたい。




その第一は、義務の履行ということであります。

この言葉は古代から幾千の賢哲により言い古された言葉であります。そしてまた、この言葉ほど実践に困難を伴うことはないのであります。

また、このことなくしては民主主義的共同社会は成り立たないのであります。他から制約され強制されるところのものでなく、自己立法的に内心より湧き出づるところのものでなくてはなりません。

束縛の鉄鎖から急に解放されるであろう皆さんが、この徳目を行使される時に思いを致すとき、いささか危惧の念が起こってくるのであります。

私は何回この言葉を部下将兵に語ったことでしょうか。峻厳(しゅんげん)なる上下服従の関係にあり、抵抗干犯を許されなかった軍隊においてさえ、絶えずこのことを言わざるを得なかったほど、わが軍隊におきましては道義は著しく頽廃し、かずかずの勅諭、戦陣訓は空文と化していたのであります。

 他律的な義務においてさえ、この通りでありますから、一切の羈絆(きはん:人の行動を拘束し、妨げとなるもの)を脱した国民諸君のまさに為すべき自律的義務の遂行にあたっては、いささか難色があるのではないかと懸念されるのであります。

旧軍人と同じ教育を受けた国民諸君の一部にあっては、突如開顕された大いなる自由に眩惑されたあまり、他人との連関ある人間としての義務の履行に怠惰でありはしないかということを恐れるものであります。

自由なる社会におきましては、自らの意志により社会人として、いな、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成
していただきたいのであります。

この倫理性の欠如ということが信を世界に失い、醜を万世に残すに至った戦犯容疑者を多数出だすに至った根本原因であると思うのであります。

此の人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度いのであります。

諸君は、今他の地に依存することなく自らの道を切り開いて行かなければならない運命を背負はされているのであります。何人と雖も此の責任を回避し自ら一人安易な方法を選ぶ事は許されないのであります。こゝに於いてこそ世界永遠の平和が可能になるのであります。



第二に、科学教育の振興に重点を置いていただきたいのであります。


彼は優れた科学が優れた兵器を生み出すことを認めながらも、核戦争の不安材料を恐れ、破壊よりも科学の平和的発展を主張した。
「敗戦の将の胸をぞくぞくと打つ悲しい思い出は我に優れた科学的教養と科学兵器が十分にあったならば、たとへ破れたりとはいへ斯くも多数の将兵を殺さずに平和の光輝く祖国へ再建の礎石として送還することが出来たであらうといふ事であります。私がこの期に臨んで申し上げる科学とは人類を破壊に導く為の科学ではなく未利用資源の開発或は生存を豊富にすることが平和的な意味に於て人類をあらゆる不幸と困窮から解放するための手段としての科学であります。」


(中略)

 一度海外に出た人なら、第一に気のつくことは、日本人全体の非科学的生活であります。
合理性を持たない排他的な日本精神で真理を探究しようと企てることはあたかも木によって魚を求めんとするが如きであります。

われわれは、資材と科学の欠陥を補うために汲々としたのであります。

われわれは、優秀なる米軍を喰いとめるために、百万金にてもあがない得ない国民の肉体を肉弾としてぶっつけることによって勝利を得ようとしたのであります。

必殺肉弾、攻撃体当たりなど、戦慄すべきあらゆる方法が生まれました。わずかに飛行機の機動性を得んがためには、防衛装置をほとんど無視して
飛行士を生命の危険にさらさざるを得なかったほど、戦争に必要なものが欠けていたのであります。

われわれは、資材と科学の貧困を人間の肉体をもって補わんとする前古未曾有の過失を犯したのであります。この一事をもってしても、われわれ職業軍人はその罪、万死に値するものがあるのであります。

(中略)
 
あの、広島、長崎に投下された原子爆弾は恐怖に満ちたものであり、それは長い人間虐殺の歴史において、かくも多数の人間が生命を大規模に、
しかも一瞬に奪われたことはなかったのであります。

獄中にあって、研究の余地はありませんでしたが、恐らくこの原子兵器を防禦しうる兵器はこの物質界においては発見されないであろうと思うのであります。
(中略)
過去の戦争を全く時代遅れの戦争に化し去ったこの恐るべき原子爆弾を防禦しうるただひとつの方法がもしありとするならば、世界の人類をして
原子爆弾を落としてやろうというような意志を起こさせないような国家を創造する以外に手はないのであります。

敗残の将の胸をそくそくと打つ悲しい思い出は、
われに優れた科学的教養と科学兵器が十分にあったならば、例え敗れたりとはいえ、かくも多くの将兵を殺さないで、平和の光輝く祖国再建の礎石として送還することが出来たであろうということです。

私が、この期に臨んで申し上げる科学とは、人類を破壊に導く科学ではなく、未利用資源の開発あるいは、生活を豊富にするとか、平和的な意味において、人類をあらゆる不幸と困窮から解放する手段としての『科学』であります。



第三に申し上げたいことは、女子の教育であります。

伝うるところによれば、日本女性は従来の封建的国家から解放され、参政権など大いなる特典が与えられたそうでありますが、現代日本婦人は、西欧諸国の婦人に比べるといささか遜色があるように思うのですが、これは私の長い間の外国生活に
おける交際見聞にもとづく経験的事実であります。

 日本婦人の自由は、自ら闘いとったものではなく、占領軍の厚意ある贈与でしかないことに危惧の念が生ずるのであります。

プレゼントというものは、往々にして送り主の意を尊重するあまり、直ちに実用化されないで、鑑賞化されやすいのであります。

『従順』と『貞節』とは日本婦人の最高道徳でありました。日本軍人の服従的忠節と何ら異なるものではないのであります。

この虚勢された徳を具現して自己を主張しない人を貞女と呼び忠勇なる軍人と讃美してきました。そこには何等行動の自由或は自律性を持ったものではありませんでした。

皆さんはすみやかに旧殻を脱し、より高い教養を身につけ、従来の婦徳の一部を含んでしかも自ら行動しうる新しい日本婦人となっていただきたいと思うのであります。

平和の原動力は婦人の心の中にあります。

皆さん、皆さんが新たに獲得されました自由を有効適切に発揮してください。自由は誰からもおかされ、奪われるものではありません。皆さんがそれを捨てようとするときにのみ消滅するのであります。

皆さんは自由なるご婦人として世界の婦人と手をつないで婦人独自の能力を発揮して下さい。もしそうでないならば、与えられたすべての特権は無意味なものと化するに違いありません。


最後にもうひとつ婦人に申し上げたいことは、皆さんすでに母であり、また母となるべき方々であります。

母としての責任の中に次代の『人間教育』という重大な本務の存ずることを切実に認識していただきたいのであります。

私は常に現代教育が学校から始まっていたという事実に対して大きな不満を覚えていたのであります。幼時における教育の最も適当な場は家庭であり、最も適当なる教師は母であります。

真の意味の教育は皆さんによってのみ適当な素地が培われるのであります。

(中略)

しかも私のいう教育は、幼稚園あるいは小学校入学の時をもって始まるのではありません。

かわいい赤ちゃんに新しい生命を与える哺乳開始の時をもって始められなければならないのであります。

愛児をしっかと両手で抱き締め、乳房をふくませた時、何者も味わうことのできない感情は母親のみの味わいうる特権であります。

愛児の生命の泉としての母親は物心両面におけるすべての愛情を惜しみなく与えなければなりません。

単なる乳房なら他の女でも与えられようし、また動物でも与えらましょうし、また他の代用品
でも代えられるでしょうけれども、しかし母の愛情に代わるべきものはこの世界には存在しないのであります。

母は子供の生命を保持することを考えるだけでは十分ではないのであります。

彼が大人となったとき、自己の生命を保持し、あらゆる環境に耐え忍び、平和を好み協調を愛し、人類に寄与する強い意志を持った人間に育成しなければならないのであります。

皆さんが子供に乳房をふくませたときの幸福の恍惚感を単なる動物的感情にとどめることなく
さらに知的な高貴な感情にまで高めなければなりません。

(中略)

私はこれを『乳房教育』とでもいいたいのであります。
どうかこのわかりきった単純にして平凡な言葉を皆さんの心の中に留めてくださいますように。
これが皆さんの子供を奪った私の最期の言葉であります。







この遺言は山下奉文が教誨師の森田正覚氏に語り、20年後の公開を希望したものであり、諸般の事情で加筆もしくは省略された可能性もあります。
よって、私の独断により
侵略戦争 →【戦争】に修正しました。
悪しからず。

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1 コメント

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予言書 (大日月地大神御霊)
2019-02-17 21:46:20
いつも お世話になっておりますm(__)m

予言書を発見しました、

見ていただけると光栄です。

日月地神示、大日月地神示、続 大日月地神示

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