ギャラクシー賞は、放送批評懇談会が日本の放送文化の質的な向上を願い、優秀番組・個人・団体を顕彰するために、1963年に創設されている。
審査は放送批評懇談会会員から選ばれた選奨事業委員会が担当し、賞の決定を第三者に委託する顕彰制度が多いなか、ギャラクシー賞は、放送批評懇談会の会員が一貫して審査にあたり、賞の独立性を維持しつづけている。
つまりテレビ局横並びでややウチワの盛り上がり感が否めないが製作者サイドからすれば名誉なことなのだろう。
2015年の優秀賞にNNNドキュメント戦後70年『南京事件兵士たちの遺言』が選ばれた。
今年2018年5月南京事件Ⅱでは歴史修正を検証と題して放送しているが、いかにも政治的で恣意的なタイミングを感じる。
日テレは言わずもがなであるが読売新聞の傘下である。主筆の渡邊恒雄氏は独自にあの戦争を検証し、満州事変、日中戦争、太平洋戦争を総じて昭和戦争と命名している。
日本政府としてもやっていないことを一人の戦争プチ体験者がやってしまったのである。このことからも独善的なのは命名だけではないことから、私はナベツネ史観と呼んでいる。
つまり、日テレ史観とナベツネ史観は粗同一と考えても良いかもしれない。
日本側の呼称、満州事変、支那事変、大東亜戦争があるにもかかわらず、昭和戦争とすることでナショナリズムの再興を阻止する根端は見え見えなのだ。
では何故日テレは今頃南京事件を取り上げているのだろう。ひと昔前名古屋の河村たかし市長やアパホテル会長の元谷 外志雄氏による南京大虐殺は無かったという発言と聖書の代わりに書籍を各部屋に置いて話題となり、アパホテルには泊まらないと中国人による運動も起きている。
中国側の主張は大記念館の30万人虐殺であるが、日本政府は否定出来ない、人数は諸説ある。との温度差に中国の声よりも日本国内の自重せよとの見えない圧力の方が高いようにも感じる。
ドイツのように南京事件に関する研究や発言が禁止、法に触れるわけでもない。しかしながら日本政府の見解を見ても分かるように、何がどの位との詳細がわからないのである。
現在の平和の中で育った者が考える戦争はと軍国主義の時代の戦争ではVRと現実程の乖離があるだろう。
またそれを承知で無批判にあったはずだ、いや無かったはずであると調べもせずに道徳観念的な感情論となってしまっては元の木阿弥となる危険も考えられる。
南京事件は日本や日本人にどのような作用をもたらしているだろうか、日テレの南京事件は明らかに南京城内の大虐殺が否定されてから幕府山の捕虜処断を人数は兎も角虐殺としている。
これは日本軍の加害性、つまりは戦争責任を確定させる為の演出なのである。要するに南京事件は中国に"侵略戦争"をしたという戦争犯罪(東京裁判、A級戦犯)を確定させる為のエンターキーなのである。
これこそナベツネ史観であり、昭和戦争であるのだ。
南京事件のみならず日本は侵略戦争をしたのか?
A級戦犯は本当に戦争犯罪人なのか?
東京裁判に正当性があるのか?
これらを放置して南京事件だけの放送で触れない日テレ史観はちょっとした陰謀論よりもタチが悪いかもしれない。
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