佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

メディアリテラシー考~本質を見極めること~

2007年01月29日 23時09分18秒 | 日記・エッセイ・コラム

 

 アンコンネタの前に、

書きやすいほうを先に。

「あるある」の問題で、書いておこうと思いました。

 

 

 メディアリテラシーとは、

先端的な情報通信機器を使いこなせる能力とともに、

さまざまなメディアが伝える価値観・イデオロギーなどを

うのみにせず、主体的に解読する力をつけること、

ということです。

 

 

 あるあるを例にとれば、

納豆の情報について、

テレビが放送しているのだから、正しいということでなく、

そこに何か問題はないのか、

本当にそうなのか、まず、自分の頭で想像することから始まると思います。

僕はあの番組を見ていないから直接は分かりませんが、

例えば、薬には主作用と副作用が必ずあります。

副作用は、目に見えて起こる場合も、そうでない場合もあります。

必ず両方があるはずということを念頭に置けば、

薬ではないですけど、

納豆を食べることが、本当に主作用だけなのか?

放送されたこと以外に、抜け落ちている点はないのか?

こんな都合の良い情報しか流していないが、本当なのか?

少しは、自分で考えるのではと思います。

 

 

 そもそも、「物事を疑ってかかる」というのは、

本来、研究者の行うことで、一般市民にここまで求められるというのは、

正直寂しい気もしますが、そういう時代ではないですね。

ネットの世界は匿名の世界です。

ここでの情報を真に受けてはいけないのです。

それなりのものとして考えないといけない。

 

 

 もちろん、新聞やテレビも同じです。

人は、「名前」に信頼を求めます。

大新聞、大放送会社、それに信頼性を見い出します。

しかし、それすらも、正しいわけではない。

 

 以前、何かの授業かで、

データの真偽性について、聞きました。

例えば、世論調査とか、

○○の調査とか、その結果だけを見て騒ぐのではなく、

どういう方法で取られたデータか、

また、それをどういう形で掲載しているか、

しっかり判別しないといけない、と。

そこでは、大新聞社に実際掲載されたデータを元に、

データの使い方の恣意性などについて、問題視していました。

 

 

 就職時に試験を受けるとき、

政治学?かなにかで勉強した記憶があります。

政治は、「大衆政治」の時代に入った(いつからかは忘れました)と。

ここで言う大衆とは、悪い意味でのもので、

メディアリテラシーの無い存在として用いられています。

メディアの情報の操作によって、政治が動いていくことです。

小泉前首相は、メディアを巧みに使いました。

「民間に出来ることは民間に」

「改革なくして成長なし」

「郵政造反組への刺客」

分かりやすい言葉で、メディアを操り、大衆を操作したのです。

 

 

 メディアというのは中立ではありません。

最近の右傾化の傾向は、見ていて怖いものです。

メディアは、とにかく見てもらわなければ話にならない。

世の中の動きに、非常に敏感なのです。

いままで出演していたのに、

知らず知らずの間に、出演しなくなった(できなくなった)学者とか、

評論家とかがいるのです。

  

 

 「民間に出来ることは民間に」

本当にそうなのかと、立ち止まって考えないといけません。

民間の悪いところは、数多くのニュースが語っているではないかと。

もちろん、公の悪いところも、数多くのニュースが語っています。

民間だとか、公だとか、という二分割でなく、

本質を見ないといけない。

 

 

 例えば、公共事業=悪、という図式。

こういう分かりやすい文言に踊らされてはいかんのです。

必要な公共事業だってあるのではないかと。

地震や水害などの災害によって、インフラの整備がいかに大事か、

そして、防災対策がいかに大事か、

分かったはずではないのかと。

 

 

 メディアというのは、公平ではありません。

一面的なものの伝え方をします。

悪いところは書かなかったり、

一つの方向から物事を伝えます。

分かりやすい言葉に踊らされるのではなく、

何が大事なのか、何が重要なのか、何が本質なのか、

見極める力が必要な時代です。

まとまりがなく恐縮ですが。。。

 


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