アンコンネタの前に、
書きやすいほうを先に。
「あるある」の問題で、書いておこうと思いました。
メディアリテラシーとは、
先端的な情報通信機器を使いこなせる能力とともに、
さまざまなメディアが伝える価値観・イデオロギーなどを
うのみにせず、主体的に解読する力をつけること、
ということです。
あるあるを例にとれば、
納豆の情報について、
テレビが放送しているのだから、正しいということでなく、
そこに何か問題はないのか、
本当にそうなのか、まず、自分の頭で想像することから始まると思います。
僕はあの番組を見ていないから直接は分かりませんが、
例えば、薬には主作用と副作用が必ずあります。
副作用は、目に見えて起こる場合も、そうでない場合もあります。
必ず両方があるはずということを念頭に置けば、
薬ではないですけど、
納豆を食べることが、本当に主作用だけなのか?
放送されたこと以外に、抜け落ちている点はないのか?
こんな都合の良い情報しか流していないが、本当なのか?
少しは、自分で考えるのではと思います。
そもそも、「物事を疑ってかかる」というのは、
本来、研究者の行うことで、一般市民にここまで求められるというのは、
正直寂しい気もしますが、そういう時代ではないですね。
ネットの世界は匿名の世界です。
ここでの情報を真に受けてはいけないのです。
それなりのものとして考えないといけない。
もちろん、新聞やテレビも同じです。
人は、「名前」に信頼を求めます。
大新聞、大放送会社、それに信頼性を見い出します。
しかし、それすらも、正しいわけではない。
以前、何かの授業かで、
データの真偽性について、聞きました。
例えば、世論調査とか、
○○の調査とか、その結果だけを見て騒ぐのではなく、
どういう方法で取られたデータか、
また、それをどういう形で掲載しているか、
しっかり判別しないといけない、と。
そこでは、大新聞社に実際掲載されたデータを元に、
データの使い方の恣意性などについて、問題視していました。
就職時に試験を受けるとき、
政治学?かなにかで勉強した記憶があります。
政治は、「大衆政治」の時代に入った(いつからかは忘れました)と。
ここで言う大衆とは、悪い意味でのもので、
メディアリテラシーの無い存在として用いられています。
メディアの情報の操作によって、政治が動いていくことです。
小泉前首相は、メディアを巧みに使いました。
「民間に出来ることは民間に」
「改革なくして成長なし」
「郵政造反組への刺客」
分かりやすい言葉で、メディアを操り、大衆を操作したのです。
メディアというのは中立ではありません。
最近の右傾化の傾向は、見ていて怖いものです。
メディアは、とにかく見てもらわなければ話にならない。
世の中の動きに、非常に敏感なのです。
いままで出演していたのに、
知らず知らずの間に、出演しなくなった(できなくなった)学者とか、
評論家とかがいるのです。
「民間に出来ることは民間に」
本当にそうなのかと、立ち止まって考えないといけません。
民間の悪いところは、数多くのニュースが語っているではないかと。
もちろん、公の悪いところも、数多くのニュースが語っています。
民間だとか、公だとか、という二分割でなく、
本質を見ないといけない。
例えば、公共事業=悪、という図式。
こういう分かりやすい文言に踊らされてはいかんのです。
必要な公共事業だってあるのではないかと。
地震や水害などの災害によって、インフラの整備がいかに大事か、
そして、防災対策がいかに大事か、
分かったはずではないのかと。
メディアというのは、公平ではありません。
一面的なものの伝え方をします。
悪いところは書かなかったり、
一つの方向から物事を伝えます。
分かりやすい言葉に踊らされるのではなく、
何が大事なのか、何が重要なのか、何が本質なのか、
見極める力が必要な時代です。
まとまりがなく恐縮ですが。。。
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