「中間尊重のゆるやかさ」の日本と「敵か味方かの極端さ」の韓国
日本人と韓国人では、人間関係における距離の取り方が大きく違います。一般的にいって韓国人は、人間関係をつくろうとすれば、出会った最初からできるだけ馴れ馴れしくしていこうとします。
それに対して日本人の場合は、最初から馴れ馴れしくせず、一定の距離を置いて付き合い、徐々に距離を縮めていこうとします。そうしますと、韓国人からすると「日本人はどうも本当の友達になろうとはしていないのではないか」と思えてくるのです。
そこのところで韓国では、極端に言えば、ベタベタする親和的な関係とか、どこまでも対立する敵対関係かの二つになってしまいがちなのです。それで、ベタベタな親和的関係を拒否すれば、「あなたは私の味方なのか敵なのか」が重要なことなのです。
韓国は長い間、異民族から侵攻を受け続けていましたから、同じ民族以外は信用できないという共同意識が強く根付いていました。もっといえば、自分と血のつながった家族・親族以外は容易に信用できないと言うことです。
ですから、血の繋がっていない人とどう付き合うかというと、血縁関係に匹敵するほどの強い絆で結ばれた間柄になろうとします。家族同然、兄弟姉妹同然の関係でなくては、信頼関係を結ぶことが心理的にできないからです。すぐにでも身内的な手応えがほしいので、気が合ったとなるといきなり強く結びつこうとします。それで距離を一気に縮め、ベタベタとしていくわけです。これは、長い歴史の中で育まれてきた他者との関係の持ち方、その精神的な習性のようです。
韓国では今でも兄弟契約を結ぶことは珍しくありません。これは男でも女でも同じです。家族ならば、身内ならば、決して相手を裏切るようなことはしない、どこまでも自分の見方をしてくれるという心情的な確信が欲しいのです。
かって軍人政権時代が終わりを迎え、いよいよ文民政権時代が始まるというときに、金泳三と金大中は「金泳三、金大中の順序で大統領になろう、そしてお互いに全面的に支援し合おう」と約束し、そのときに兄弟契約を結んでいます。それで金泳三が大統領に立候補しますと、金大中は兄弟契約を一方的に破って、自分も大統領選挙に立候補したわけです。金泳三はこれに怒って、兄弟契約があったことを公開しています。
このように多くの韓国人はすぐにでも近い距離での人間関係をつくろうとするのですが、日本人はまだまだ距離を置こうとします。そのため、日本人との間に本当の友達関係ができないということで、多くの韓国人は悩みます。そこで、日本人とは永遠に友達になれないのだ、と感じることになってしまうのです。
人間関係が「味方か敵か」の二つに一つとなりがちなのは、個人関係だけではなく、集団関係、国家関係でも同じことです。それでも、以前の韓国の政治家はちょっと違っていたと思います。お互いに距離が縮められない部分はカッコに入れておいて、つまり留保しておいて、縮まられるところを縮めていこうという具合に、一定の距離を置いての付き合いを方をしていたと思います。
でも今の韓国はそうではなく、一気に全面的に距離を縮めていこうとします。それで日本人が距離を置くと、「あなたは私の敵だ」ということになるわけです。
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