1962年、朴槿恵元大統領の父、朴正熙元大統領は、第一次経済開発計画をスタートさせた。
その年の韓国の1人当たり国民総生産(GNP)は韓国銀行の統計で約96ドル。
首都ソウルの漢江沿いや、タントルネ(月に近い町の意)と呼ばれる小高い丘は延々とハコバンと呼ばれる掘立小屋が続くスラム街だった。
日本との国交はなく、輸出額は年3000ドル。貿易赤字が続く世界の最貧国・韓国で手っ取り早い外貨稼ぎといえば、在韓米軍がおとすカネを狙うことだった。
その最前線に立った女兵士が양공주(洋公主)だった。
その年、朴正熙政権は全国の「基地村」を売春防止法の対象から外した。
韓国紙の中央日報は2008年に、1960年代の韓国では国民総生産の25%を양공주(洋公主)ビジネスが占めていた。
との在米の韓国人学者の味方を報じている。
1965年の韓国のGNPは約32億ドルだった。
8億ドル前後が양공주(洋公主)がらみであったことになる。
別の報告では、一人の양공주(洋公主)が普通、親や兄弟など四人の家族の家庭の面倒を見ていた、とある。
양공주(洋公主)の一晩の値段は普通、靴一足分の10ドルだったらしい。
欧米では、いつでも靴一足分が相場。ショートだとその三分の一か半分ぐらい。
貴重なドルを稼ぐ彼女たちは、「愛国者」と持ち上げられた。
愛国精神から、韓国を守る米兵に体を与え、ドルを稼ぎ、国の発展のために人生を捧げる女性たちという意味だ。
「民間外交官」とも称された。
ベッドの中で米兵をたっぷりと満足させて、米韓の友好に貢献している女性たちだったからだ。
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