硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

「風立ちぬ」 君さりし後 3

2014-08-10 14:28:50 | 日記
苦労した図面には愛着を感じる。しかし、すべて保存するわけにもいかない。次郎は気持ちを切り替え、処分と決めた図面は無造作に床へ放ち、保存と決めた図面は丁寧に机の上へ重ねた。裸電球のほのかな明かりだけを頼りに、黙々と作業する深夜の設計所には紙の音だけが響いていた。
しばらくすると設計課長である曽根が息を切らしながら駆けつけてきて、設計図を手にした次郎のそばに歩み寄ると「・・・堀越さん。・・・実に無念ですね。」と言った。

曽根は次郎が体調を崩した際に次郎に変わって設計主任を引き受け、零戦の開発、軍部の困難な要求に応えてきた技術部門では欠かせぬ存在であった為、敗戦と言う結果は受け入れがたかった。しかし、次郎は驚くほど穏やかに、

「うん。たしかに無念だ。」

と、返事をしたあと、これから行う作業について簡潔に説明をした。曽根は次郎があまりにも平生であったため最初は戸惑ったが、設計主任と言う立場を貫くために平静を装っている事を察し、「やりましょう!」と言って作業に取りかかった。

第一工場の設計所は数か月前まで学童が通う中学校校舎であった。次郎はこの地に疎開してきた当初、再び校舎に通う新鮮さを感じたが、しかし、この地でも学徒動員が始まっており、名古屋での悲惨な出来事が繰り返されるのではないかと思い胸を痛めた。

二人で作業を進めていると設計所の従業員が続々と駆け付け、全員が集合した所で技術部長である次郎が改めて詳細な指示を出し、皆で一斉に作業に取り掛かった。焼却班は次郎を中心とする選別班が破棄を決定した資料を外に運び出すと、無造作に積み上げ、火を放った。

信濃の夏の夜は涼しかったが、皆はその涼しさをも忘れ、汗をかきながら懸命に作業を進めていた。窓の外を見ると、校庭が炎でぼんやりと明るくなっていた。

そして空が白々と明るくなる頃に作業は完了し、しっかりと焼却されるのを皆で見守っていた。次第に朝日が鉢伏山から登ると、白山やハト峰といった山々の雄大な姿が浮かび上がってきた。