硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

「風立ちぬ」 君さりし後 7

2014-08-14 06:16:48 | 日記
次郎は皆を見送った後、自身も図面を手に取ると、

「堀越さん!」

と、次郎を呼んでゆっくり近づいてくる男がいた。次郎はその男を見ると手を挙げて挨拶をした。男は次郎の朋友の山室であった。
彼は開発部ではあったが、機体を作り上げてゆく上で欠かせぬ存在であり、特に機体に生じる振動問題では改善に取り組んだ中であった。山室もまた昨晩から開発部の資料の焼却にあたっていて、ようやくひと段落ついたところだった。

「堀越さん。」

「やぁ山室君。開発部の方は終わったのですか? 」

顔をすすで黒した山室は、疲労困ぱいした表情で、

「ええ。なんとか処分し終えました・・・。しかし、残念ですね。成し遂げていない問題を解決せぬまま終わりを迎えるのは・・・。」

と、言った。じつに学者らしい考え方だなと思った次郎は笑みを浮かべ、

「うん。実に残念だ。しかし、僕は肩の荷が下りた気がして、ほっとしています。」

と、言うとゴホゴホとひどく咳き込んだ。それを見ていた山室は心配して、

「大丈夫ですか? 体調がすぐれないようだけれど、これからどうなされるのですか? もしよろしければ、また、養生をかねて実家に遊びにきませんか。」

と言って、次郎を誘った。次郎は空を見上げるように深呼吸をした後、

「それもいいですね・・・。しかし、その前に僕は奈穂子の墓参りを兼ねて実家に帰ろうと思っています・・・。山室君はどうするのですか?」

そう、尋ね返すと、山室は腰に手を当て背筋を伸ばし晴れ渡った夏の空を見上げながら、

「僕も実家に帰ってしばらく休息し、その後、独自の研究に取り組もうと思います。」

そう言うと、次郎は顔をほころばせ「山室君らしい。実にいいですね。」と、言った後、

「じゃあ、僕も落ち着いたらそちらに手紙を出しますよ。」と、続けた。すると山室は笑顔で、

「待ってますね。手紙。」

「うん。必ず出すよ。」

しばらく二人は灰になってくすぶっている設計図や資料の塊の前で、開発途中だった飛行機の問題点やこれからの事を話した。そして今までのお互いの労をねぎらいあい、どちらからともなく握手を求め、「じゃあ、また。」と、言って別れた。

次郎は駐輪場に止めてある自転車に乗り、山々に囲まれた田園風景の広がる細い道をゆっくりと走りだした。額から流れ落ちる汗をぬぐうと、美しい水を湛えた青々とした稲を揺らす風が、心持ち涼を感じさせた。すると真っ黒に日焼けした無邪気な子供たちが大声で軍歌を歌いながら歩いてきて、最敬礼をしてすれ違って行った。次郎はその時、二度と子供たちが戦争にゆかなくてもよい世の中になるよう願った。