硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

「風立ちぬ」 君さりし後 17

2014-08-24 06:01:26 | 日記
「おにいさま。カバンもちますわ。」

「ありがとう。」

「お身体、かわりないですか。」

「うん。でも、少し疲れたよ。」

「お食事は?」

「まだ食べていません。」

「じゃあ今から支度しますね。今日は久しぶりにお風呂を沸かしましたから、先に入ってください。」

「ありがとう。加代。・・・しばらく見ない間に綺麗になったね。」

すると、加代は頬を真っ赤に染め

「いやだわ。お兄さまったら・・・。荷物ここに置いときますね。」

と、いって階段の下に荷物を置くと、そそくさと台所へ向かっていった。妹の加代は地元の小さな診療所で町医者として働いており、戦中は一時、国立病院で戦争負傷者の治療にあたっていた。その間に見合い話もいくつかあったようであったが、気真面目であった為、職務を全うしたいという志を貫き今も独身であった。

風呂に入れるという幸せ。戦中は入浴さえも贅沢だといわれ、銭湯も軒並み廃業となり、井戸水の行水で済ませるのが普通であった。落としブタをゆっくり踏み込んで、湯船に身体を沈ませてゆくと、連日の激務の緊張と松本から東京、そして群馬への長旅で疲れきっていた身体が次第にほぐれ、知らぬ間に軽く寝入ってしまい、なかなか出てこない兄を心配した加代が、

「お兄様、大丈夫ですの?」

と、呼んだ声に驚き目が覚めた。そして湯けむりの中、今までの生活が夢であったかのように感じた。