『嵐が丘』(39)(1993.1.4.)
「嵐が丘」と呼ばれる古い館に養子として引き取られたヒースクリフ(ローレンス・オリビエ)は、ジプシーの血を引く野生児だった。やがて彼は、館の娘キャシー(マール・オベロン)と身分違いの恋に落ちるが…。原作はエミリー・ブロンテ。監督はウィリアム・ワイラー。
ドイツ系移民のワイラーの映画を見れば見るほど、その奥底に、舞台や文学への傾倒や、アメリカ人のヨーロッパコンプレックスが描かれていることが分かってきたのだが、このイギリスの悲恋文学の古典を映画化したものを見ると、ワイラーの映画に共通する、ある側面が浮かび上がってきた。それは、人間の持つ冷徹さや残酷さ、裏切りや怨念といったものを作品に内包させることだ。
例えば、この映画同様に、製作者サミュエル・ゴールドウィンと組んで撮った『孔雀夫人』(36)『この三人』(36)『デッド・エンド』(37)、ベティ・デイビス主演の『黒蘭の女』(38)『月光の女』(40)『偽りの花園』(41)、戦後の『女相続人』(49)『探偵物語』(51)『黄昏』(52)『噂の二人』(61)『コレクター』(65)と、そのフィルモグラフィを見てみると、ワイラーがジョン・フォードやフランク・キャプラのようなハートウォームものをほとんど手掛けていない事が明らかになる。
そして、オードリー・ヘプバーンと組んだ『ローマの休日』(53)と『おしゃれ泥棒』(66)こそがワイラーにとっては異色作であったことに気付かされるのだ。ただ、フォード同様に、ワイラーもまた“映像の魔術師”であり、監督としての堂々たる力量の大きさを示して、救い難く、重過ぎるドラマを、名作にしてしまうところがすごいのである。
ローレンス・オリビエのプロフィールは↓
マール・オベロンのプロフィールは↓
パンフレット(50・太陽洋画ライブラリー)の主な内容
解説/梗概/原作者エミリイ・ブロンテのこと/ローレンス・オリヴィエ、マール・オベロン、デイヴィッド・ニヴン、ジェラルディン・フィッツジェラルド/嵐ヶ丘の背景について(山本恭子)/嵐ヶ丘のメモ(岡俊雄)/鑑賞講座 映画「嵐ヶ丘」について(田村幸彦)
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