TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

デトロイト・メタル・シティー

2008-08-30 22:11:51 | 映画
 「こうありたい自分」による夢と、自分の資質は異なる場合がある。往々にして、そういう場合は自分の資質は開花することなく、一生を終わる。気づいても、Berufにするにはどうも、という場合もある。

 主人公根岸は幸運と言えば幸運な男。歌をやりたい一心で飛び込んだレコード会社のエキセントリックな女社長に、デスメタルの才能を見いだされ、その世界のカリスマになっていく。しかし、そんな自分に耐えられない。好きな女(相川さん)もそんな自分を認めてくれない。彼はバラードが好きで、デスメタルを音楽と認めていなかった。デスメタルではなく、バラードで路上ミュージシャンとしての本来の自分は全く才能を認められない。キモいもんなあ。

 しかし、デスメタルも音楽であり(その形式美の素晴らしさは「鬼畜と呼ばれるナイス・ガイ、現K大学教授の某氏に嫌と言うほど熱く語られた)、それに導かれて「No Music, No Dream」に生きるマスがいるのだ。 様々なアクシデントが主人公の伝説化を齎し(しかし、チェーンで宙吊りなら首の骨折れるぞ(笑))、メジャーシーンに上り詰める。

 とはいえ、相川さんに正体を気づかれ、失意のうちに主人公は故郷の大分に帰る。そこではDMC信者と化した弟が。仕事も学校もノーフューチャー。主人公は弟の前でクラウザー様に変身し、諭す。母にも正体がばれる。クラウザー様は実はいい人、人々に夢を与える大切な人だと。

 そんな頃、伝説のジャック・イル・ダークの引退が。女社長の狂気を炊き付けたグループ。世界中のデスメタ野郎の中、DMCに挑戦状をたたきつける。母の言葉と、応援の手紙に、自分の夢とは違う形ではあるが、「No Music, No Dream」が出来る自分を自覚し、闘いの場に戻る。伝説の名曲を歌い、ダークのギターに付いて行く。最後は電気のショートによる事故があるが、対決を通じた友情で(ジャンプかよ?)で、「後は任せた」とダークに主人公は託される。

 ここでキモい歌を歌うシーンは、映画館全体が爆笑。まあ、女社長の檄で事なきを得るんだが。


・夢は自分だけのものじゃない。夢を与えられる人は幸いだ。
・KISSのジーン・シモンズが出ることを知らなかった。普通、映画は「役者がスターを演じる」んだが、これは「スターがそのまま映画に」である。やっぱかっこいいわ。
・大分から東京へのシーンは圧巻。ちょっとエイゼンシュテイン。実際にああいうのあったら、凄いだろうなあ。
・キモい歌、普通にいい歌やん。クレジットで実感。
・エロスとタナトスの交差点がデスメタの生息地。バラードや演歌はそれらの温暖な場所が生息地か? 《生》はキツい。
・「この恨み 晴らさで 置くべきか」は、いいなあ。喪だ。
・熱心なファンが伝説を作り、グループを作る様子が表現されていた。しかし、タワーレコードの視聴コーナーのアレは、やりすぎだろう(笑)。
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