TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

読書メモ:『枝野ビジョン』

2021-07-24 18:58:00 | 読書
読書メモ:『枝野ビジョン』

 『枝野ビジョン ーー支え合う日本』(枝野幸男著、文春新書=1314)

 読んだ後の第一の感想は、枝野さんは昔ならば自民党の保守本流に加わり、保守リベラル・ハト派の道を歩んだんだろうな、ということ。自民党が小選挙区制に対応して、中央の強者のおメガネに適わないと立候補しにくい仕組みになって、入れなかった人という印象が強い。

 内容は、保守リベラルと思う。彼の書いていることの裏側にはトクヴィルらがあることは読めば分かる。そういう人の名前を出したり、引用したりせずにこれだけ分かりやすく書けるのは、文章力のある人なんだろうと思う。保守リベラルは、しかし、過去の方法ではやっていけないことも分かっておられる。再分配をどのようにするか、が大事だが、それは単なる過去への回帰では無理である。財源の直間比率の見直しは過去への回帰であるが、分配については所得によらない一律支援と、なくてはならない地域産業(農林業など)を支える戸別補償制度、ベーシック・サービスがメインになるかな。そんなに悪くはない。

 ただ、化学産業のエンジニアとして、あるいは政治ウォッチャーとして認識が間違っているのではと思うところもいくつかあった。(とっくの昔に製造業は多品種少量生産にシフトしているし、アベノミクスの第一の矢は行き過ぎたネオリベ路線の修正であること、論理構成が党内の左派上がりを排除しかねない(実際、旧民主党左派・先日は社民党の一部を排除するようなことがあったね)論理があることなど。政治は、敵同士の潰し合いという面があり、そこを敵が付け込むのは常套手段。味方であっても、微妙な差異から崩れることもある。そこを著者はすり合わせや謀略(笑)で党としての統一を維持できるか。そこが問われると思った。

 今、野党統一で共産党が色々棚上げをしてまで、立憲民主党に協力する姿勢を見せている。だが、立憲民主党の方は共産党を利用するだけ利用して、というふうに見えて仕方がない。勿論、共産党が「外には民主主義を要求しながら、自らの内部では実質認めない」異常な党であるのは論を俟たない。が。政党同士というのはギブ・アンド・テイクの関係であろう。いつ、共産党が怒るかが心配である。また一方の連立相手である元々の仲間、国民民主党は連合の右派を主な支持母体としているので、共産党アレルギーが強い。共産党への不信感が強いのは、歴史的な経緯もあり「正しい」ことが多い。正論ほど厄介なものはない。

 政治というものをウォッチしてきた身としては、不安の多い立民と野党共闘であり、正直不信感もある。だが、無視するかというと、そうでもない。議員さんや立候補者には応援したくなる政策を掲げている人も多い。時折取り上げる松尾匡先生の理論を紹介する立候補者も地元にいる。選挙の応援ボランティアくらいしても良いかな、と、思う。その先となると、党がどれだけ本気で民主主義に向き合うか、というところがャCントだな。選挙に切り縮めない民主主義がこれからの日本にとっては大事。その受け皿として、立民は相応しいか。その党首としての器量が著者にあるか。結論から言うと、ギリギリ合格点の60点というところか。

  では細かく。


 著者の立場は保守リベラル。「立憲民主党こそ保守本流の政党だ」(p24)。では著者の保守の定義。トクヴィルに依拠しているなあ。「先人たちが試行錯誤しながら積み重ねてきた歴史を大事に生かしながら、そこから得てきた経験知を踏まえ、世の中を少しずつ良くしていく。」(p26) 設計主義的な革新思想を否定しているが、これは党内左派とぶつかるだろう。次に日本の歴史と伝統として著者が見ているもの。「寛容と多様性」である。水田稲作と村落共同体の歴史が挙げられている。だが小生は否定はしないが、同時にそこにこそ「よそ者に冷たい」日本の歴史を見てしまうのだ。水を巡って殺し合いをしてきた歴史が貼り付いているのだ。著者が否定したがる、新自由主義というルサンチマンへの支持が広がった背景を、政治家は見ないといけないと思う。新自由主義は「俺たちはこんなに頑張っているのに、その外側の連中は特権や利権に守られている」という気分に依拠しているからだ。それを利用して、維新や小泉改革は伸びた。それとどう向き合うか、だな。外在的否定では解決しないだろう。九条は歴史的な平和的志向の大和民族の気分とは合致しているとは思う。だが、それが破られるとき、「元寇」のような事態では恐るべき戦闘能力と排外主義を発揮するのも大和民族だ。この弁証法を著者は受け止められるのか? そして、戦後日本のリベラル政治を形成したのは革新官僚上がりの人たちの功績が大だったことも指摘しておきたい。うむ。「社会党がトスを上げ、自民党が打つ」だな。民主主義は少数者を尊重した討議の上の多数決。保守は謙虚でなくてはならない。新自由主義は保守ではないのはさんざん指摘されてきたし、今の自民党は保守が弱いというのはそのとおり。明治維新〜大東亜戦争期が日本の歴史の中で異質なのもそのとおり。でも、これ、近代を押し付けられた結果であるし、その苦闘の成果と負の遺産をどうするかが問われているのだろう。あと、アベノミクスは必ずしも新自由主義じゃないだろう。第一の矢は、新自由主義の負の側面を解消する反緊縮だったもんな。著者は色々と甘い。

 著者の初当選は1993年の細川内閣の時代。55年体制崩壊時。日本新党の候補者公募に応じた29歳の時の最後の中選挙区制で。1996年に旧民主党に。ああ、小生も誘われたな。見送ったが。「政権交代可能な二大政党制」を目指したが、小生はそこに胡散臭さを見た。だがそれは、誘われてから随分後の話かな。初期の左派政党から変化していって、寄せ集めの党という感じだった。興味深いのは、著者は一期目から他党のベテランと対等に渡り合わなければならなかったという話。「したたかに「相手を持ち上げながら」自分たちの望む方向に流れを作っていく力。」(p53)様々な人脈を駆使する与党のベテランたち。これがなければ権力を行使することはできないだろう。2009年の鳩山政権での著者は、党全体の経験不足を見ることになる。そして2011年1月から官房長官。有権者に安心感を持ってもらうことの努力が大切というくだりには共感する。そして東日本大震災。学生時代にアルバイトの面接調査官として、一部で「地獄」と言われた闖繧ノは何度も行っていたそうな。10日は仮眠のみ、1ヶ月は官房長官公邸住まい。意識したのは情報発信。だが情報は上がってくるとは限らない。確かに東電は色々隠そうとしていたもんな。出てきた情報だけでもfax copyが30cmの山。メディアなどによる「言葉の切り取り」に苦しむ。だが、ちょっと待て。テレビに出ていた「専門家」を選定していたのは? μSv/H(時間微分値)と、mSv(時間積分値)の混同など、酷かったよ。それを許してしまったのは? 発声方法が影響を与えることまで留意しないといけないのは、プレゼン時代の今なら常識だけで、当時はそこまででもなかったなあ。政府の発信の責任は一本化しないといけないのも分かる。今のコロナ禍では混乱しているね。計画停電の指揮命令系統の一本化は結構見事だったと思う。なお、震災で政府の機能が小さすぎると痛感したとのことだが、これはコロナでも言える。個人的に思うのは、与野党横断的に専門知識を持った人、あるいはそれと繋がる人脈を活用できる仕組みをいかに構築し、その小ささをカバーする能力が、どこにあるのかということ。勿論政府の機能の拡大も必要だ。その観点から、旧民主党系の動きを見ると、正直疑問がある。(勿論与党にも疑問はある。) 小さすぎる背景には「民間でできないこと」まで委託してしまった構造改革があるというのには同感。「地方自治体という実働部隊を小さくし過ぎてしまい、そこに協力をお願いする国の側の体制も脆弱であった」(p68)ことが特別定額給付金を巡る混乱の理由だろう。それについては旧民主党も反省すべきところは多いだろう。人間は基本的に一生懸命生きている。その上で、自分の力でコントロールできない各種災厄が襲ってくるものだ。その領域まで「自己責任論」で片付けられてはたまったものではない。各種災害や事故については、小生も共助で個人の財産を補償すべきと思う。給付金がその先例になればいいが。平成の大合併で小回りが利かなくなった行政の話は痛々しい。「合併された旧町村への対応が後手に回った」。(p70) 原発のあるところは合併しなかった町村が多く、独自の厳しい主張が政府に届いた。きめ細かい対応には行政単位は小さい方が良い。新自由主義との決別を立憲民主党は理念として定立すると良い。世代を超えて支えあうためにも。ネオリベ化する自民党の、第二自民党ならば存在理由がない。子ども手当について。これは著者によれば「普遍主義」に基づいている。格差に応じて、となるとスティグマ問題が出るので、良い発想だ。農業者個別所得補償制度についても同じ。悪くない。だが、「バラマキ」との声に負けた。著者が言うように、理念や哲学が大事で、それが党内で共有されないといけない。

 コロナが突きつけた日本の課題。「目先の効率性に偏重した経済」「過度な自己責任社会」。同感である。医療、介護は財政健全化のために削られ続けた。現場の疲弊はコロナ前から言われていた。一極集中と地方の過疎化も重要。都会は三密の巣窟。国際分業で、日本の生産能力を効率と競争力の名目で削った結果、マスクも国内自給できなくなり、今は半導体が問題となっている。このままなら近い将来は食料がそうなると小生は思う。ちなみにエネルギーはどうあがいても自給はできない・・・。危機への備えとして、バッファをどう構築するかが問われている。非正規労働に追いやられ、貯蓄もできない人は多数いる。彼らに押し付けられる「自己責任」の言葉。事故、病気、怪我などで一気に生活が破綻する。良くてホームレス、事態が悪化すれば死か犯罪。下請け構造の中、小規模企業は少しでも資金繰りが苦しくなれば梼Y。それも「自己責任」。うんざりだ。そして弱い者がより弱い者を叩き、ブルースは加速していく社会に日本はなった。生活保護受給者を叩くのは下層労働者。日本をギスギスした、さもしい社会にしたのは「自己責任」論だと小生は思う。PCRについては、ある段階までは検査数を増やすことで対応できたと思われるが、これもマンパワー不足で叶わなかった。保健所の激減のためであり、特に大阪は顕著であった。自治体は職員が非正規化され、サービス水準は低下した。特殊業務といえる持続化給付金に対応できる余力はほぼなかった。電通に委託したところで、彼らも素人だ。行政への情報集約が大事だが、未だに感染者情報はFAXで伝達されている。電子化されていないから集計ミスも起きる。マイナンバーシステムはトマソン。ただ、デジタル化すれば良いというものではない。大事なのは行政手続きと事務の効率化。デジタルデバイドにも配慮する必要がある。コロナリスクは不公平な形ではあるが国民全員にある。自己責任を言ってはならない。そして、あらゆる事象にそれは言えるのではないか。「支え合い、分かち合う」社会をどう構築するかだ。コロナは自己責任・ネオリベ社会の殺伐と脆弱さを炙り出した。「民」でやるより「官」でやったほうが良いことは多いのだ。とある数学者は「保険は国家マターにするのが一番効率的」と言っていたな。

 著者は日本の閉塞感の理由を主として新自由主義の跋扈と考えていて、それに同意する。ただ、アベノミクスを新自由主義に位置づけるのには無理があろう(指摘に留める;理路は松尾匡氏の一連の書物など)。もう一つは人口増加を前提とした日本の社会の仕組みを挙げる。特に年金はそうだ。どこかで積立式に切り替える必要があるとは30年以上前から言われていたなあ。労働人口、消費者人口は減少するという逆人口ボーナスが今後強まる。それを補おうとして、ここ20年は安価な外国人労働者を入れ、各種問題を引き起こしている。汎用品は世界的に供給過多でデフレ基調。日本はそこに失われた30年で更にデフレ基調。これまでの近代化モデルでは日本はもう生き残れない。

 「アベノミクス」については本質を捉え損なっていると思う。批判はネットでも数多く出ているようなので、触れない。ただ、「日本のGDP成長率が伸びなかったのは、内需の冷え込みが続いてきたことが決定的な理由である」(p118)という指摘は大事。公共投資による乗数効果が日本で既に薄いという指摘も。不安感から財政出動しても富裕層や企業にブタ積みされるから景気回復に至らないか弱すぎるという指摘も。規制緩和もショボい領域しか残っていない。で。不安感を取り除くにはどうすればいいか。まずは「見たくない現実」を見ること。従来の近代化の延長は出来ないという現実を。

 格差を置くと、一定の物質的豊かさはある。必要なのは安心である。雇用と子育ての不安解消である。今までは豊かさを目的としていたが、それを手段とすべし。豊かさを分かち合い、それを通じて「安心感や便利で快適なサービス、安定した仕事や生きがいを手にしたい」(p136)ことに応えるのだ。それは決して「弱者保護」ではない。誰でも病気や怪我の可能性はあるし、現状ではそれにより一気に困窮する可能性がある。既にそうなってしまった「弱者」を救うというよりは、「弱者」を含むすべての人が何らかの形で政治や行政にサメ[トされている社会を作るのだ。それが著者の言う「普遍主義」である。例えば子育ては一部の人に育児の負担を押し付けるのではなく、支え合う必要があろう。「お互い様」「(本来の)情けは人のためならず」である。かつての「隣近所」は既にない。勿論、再構築も良いが、まずは政治と行政が担うべきと著者は言う。

 この支え合いは内需拡大に繋がる。また、所得の低い人に再分配を行うことで消費拡大を図ることも大事だ。そのためには、グローバル経済に強制された賃金引き下げ競争をまず止めなければならない。取っ鰍ゥりとしては、公的サービスに従事する人の賃金アップが考えられる。それとエッセンシャルワーカー。そして非正規化された分野の雇用の正規労働者化。中小企業には補助を行う。雇用が安定すると、技術の伝承やOJTが復活するだろう。確かに、マニュアルでは伝わらないことが現場では多い。老後が浮ュて貯金しまくるというのはあるね。小生もそうだ。老後の生活不安が減れば消費が増えるというのは言えてるだろう。仮に100歳まで生きても生活の資に困らない根拠があればいい。子育てに金をケチる人は基本的にいない。だが、現状ではケチらざるを得ないのだ。子供を安心して育てられる環境が出来、子供の数が増えれば内需は拡大する。将来の産業発展のためには教育にも金を鰍ッる必要がある。今は非正規雇用の教員が公立の義務教育課程で一割程度いるとのこと。現場の疲弊は報道されている通り。貧困が理由で進学を諦めるようなことや、貧困が理由で義務教育にさえ支障を来すようなことはあってはならない。今や基礎教育を受けられなかった子供が一割、二割という単位でいるとのこと。貧困の連鎖の問題とも関わるし。児童相談所の支援の拡充、給付型奨学金は待ったなしだろう。これらの処方は特効薬ではないが、漢方薬のように日本の地力を強めよう。

 で。日本はとっくの昔に多品種少量生産になっている。例えば、前の会社でエチレンャ潟}ーという基礎物資の製造に少し関わったが、同じプラントで数百種を切り替え製造していたし、殺虫剤も同一プラントで毎年数十種類を作っていた。トヨタの生産方式が強いのは、こういうのに対応できるからだ。それはともかく。国際収支は小生は「青字」で良いと思う。もし黒字でなければならない、とすれば、USAはどうなんだ、という話になる。確かに赤字では資源に乏しい日本としては心許ない。だが大きな黒字はいかがなものか。中小企業・小規模事業者が成長の中心というのは一面そのとおりと思うが、それらのブランドの保護が大事と思うし、世界に出ていくには大企業を上手く利用するのが良い、というのが転職五年の結論だ。これは大企業側に猛省を促したい話がいっぱいある。そこに政府は取り組むべきだ。端的には下請法の強化。特に罰則強化。中小企業への知財支援。"Made With Japan"の仲間として、中小企業も遇するべきなのである。再生可能エネルギーを十全に使うには、産業の全国への分散化が必要と小生は思う。「電力は足りている」(p189)については、火力発電所を無理やり使い唐オているということが背後にある。著者のいう送電網への投資は必要だが、知り合いの関電のえらいさんが言うには「ウチだけでも何兆円も要りましてな」とのこと。「国の責任で進めるしかない」(p191)と思う。また、断熱化などの省エネも大事だ。これも様々な技術革新ネタがあるので、カーボンニュートラルのためにも投資して欲しい。

 リスクとコストの平準化による「機能する政府」を作る。確かに、公的支出が増えるし、財源論も出てくる。それをどう説得するか。このたとえ話は良い。「「最近は事故がないから」と言って、信号機やガードレールを撤去するだろうか」(p199) 逆だ。保険的な存在があるからこそ、安心できる。「二一世紀の公共事業」が必要である。社会保障的サービスを充実すると、今の時代では乗数効果も比較的大きいだろう。普遍主義に基づく一律支援も大事だ。スティグマ問題が日本では強いから。行政による金持ち/非金持ちという選別は許認可であり、既得権/権力に繋がる。一律支援はそういうものをなくす。「子ども手当を「バラマキ」「ムダ」と批判した感性の方が、むしろ「ムダ」を生み出す利権的感性そのものだ」(p206)という指摘は鋭い。一律支援と言えば、既に基礎年金がある。また、現金給付よりも「ベーシック・サービス」を。緊急事態に即応できる「危機管理庁(仮称)」の設立。行政サービスの不足を補う。安易にボランティアや市場に任せていては余りにも不確かである。機能するためには社会的な余力・余裕が必要である。典型は医療分野。救急車のたらい回しが話題になったが、コロナで破滅的状況が都市部で出現した。これらを社会的に作り出し、政府は支援すること。

 無駄を減らせば財源ができるというレベルではないと小生も思う。(「軍事費(5兆円)削って福祉(50兆円)に」という日本共産党みたいなお気楽さはないのは良い。)因みに、完全な無駄というものはないと、行政刷新大臣の経験から著者は言う。そういう絶対的評価ではなく、優先順位をつけることが大事と著者は言う。ともあれ、まずは支出を先行させ、サービス向上の実感が大事。当面は国債で対応するしかない。直間比率の見直しは世界的に進むと思う。ここで忘れてはならないのは、社会保険料。これも含めて議論すべきだ。確かに、消費減税は駆け込み需要の逆がありえるので、注意深くしないといけない。が、大筋するべきであろう。低所得者には減税より給付は説得力あるが、前のスティグマ問題と合わせて考えると、一律給付後の所得税調整が現実的だと思う。あ、負の所得税だ(給付付き税額控除制度=消費税額事前還付制度)。まあでも、色々統合・整理したほうが良いかと思う。疲弊している地方を復活するには、道州制による地方における集権化ではなく、基礎自治体の強化というのには強く同意。きめ細かな行政サービスのために大事。参加意識による納得も得やすい。地方の多様性も維持しやすいだろう。目の前の効率性に左右されない第一次産業を支援すべき。農林水産業にはプライスレスな価値がある。エコ、食の安全、文化・景観保全、治水など。戸別所得補償制度を導入する必要がある。外部不経済という、経済の前提を維持するためのお金である。例えば、ダムは洪水防止に貢献する。同様に、森林管理も貢献する。だが、そちらには税金の投入が極端に少ない(四国で聞いた)。田園の維持も同じだ。

 外交・安全保障については、我が国が「何を目指すのか」と「何ができるのか」を意識すること。そのためには国家としての基本方針が大事だ。相手があってコントロール出来ない部分が大きいからこそ、国家の基本理念(自由、人権、民主主義、環境、核問題となろうか)と照らし合わせることが大事となるだろう。沖縄問題ではそれに触れるからこそ、日米同盟を根本的に見直す必要があると小生は思う。同時に、中国の反人権的側面には言うべきことを言う必要があろう。その点で、立民(と自公)には正直がっかりした。外に言うからには内政でも見直さなければならないことは多い。グローバル資本の規制については、各国の疲弊を防ぐためにも大事だ。防衛問題については、松註L幸氏の論考が一番ええかな。国際情勢の急展開に法整備が追いついていない面が強いと思う。米帝の没落とセットなのである。なお、「動的防衛力構想」については勉強したい。「北朝鮮のミサイルに対する防衛、南西方面の島嶼防衛、テロ対策」(p250)とのこと。北澤俊美防衛相(当時)によるものらしい。言葉は変わっても、今の自民党政権に引き継がれているようだ。


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