奄美へのいざない

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屋仁小学校・佐仁小学校

2009-11-18 22:20:15 | 人戯れ

 奄美大島最北に位置する地域の中の2小学校。

 屋仁(ヤニ)小学校と佐仁(サニ)小学校、奄美では村々にある小学校は中学校との一貫校が多いが、この2校は小学校だけとなっている、中学になったら離れた学校まで通学することになるようだ、海に近い場所に立つ両校はこれからの時期は北風と西風が海をなぞる潮風となって5月頃まで吹きつけることになるだろう、寒さに負けない強い子になりそうだ。

 屋仁小学校のホームページ

 佐仁集落の海辺の白く長い砂浜は良景である。

 この日(昨日11月17日)は急激に寒くなった、季節を切り替えるスイッチが入ったなと感じるほどの変りようだ、最後まで鳴き続けていたセミもこれじゃひとたまりも無いだろう。

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蒲生崎 (笠利町)

2009-11-18 21:09:52 | 人戯れ

 笠利崎(用岬)の西横に位置し笠利湾は対岸の龍郷の今井崎とこの蒲生崎で入り口を囲う形となる。

 奄美の歴史の中には源氏物語の時代にかかわるものが数多く残されている、源氏に追われて南へ南へと逃げてきた平家一族のゆかりの神社のようなものが島のあちらこちらに残っている、その1つで蒲生左衛門がここに、今井権太夫が対岸の岬に建てた見張り小屋から追手の源氏が来ないか見張ったと記されていた、それぞれが何時しか神社として祭られ、蒲生神社と今井権現として残っているということらしい。

 車で行ける駐車場までは舗装されていて楽に行く事ができるが、そこから神社やその一帯に広がる遊歩道は鬱蒼とした木々に覆われたトンネルを歩くことになる、今日は風も強く寒い上に曇り空、下の遊歩道は不気味なので神社までは行かなかった、「ハブの多く出る場所」などと書かれた写真入の看板もかけられていたから余計入りたくなくなる。

 見通しのいい場所からは屋仁の集落が一望できた。

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くれないの塔 (らんかん山)

2009-11-18 05:23:28 | 人戯れ

 金久町と矢ノ脇町の間の小高い山、らんかん山、登り口はかなり判りずらい。昭和37年9月3日、鹿児島より自衛隊機が急患用の血液を運んで来た、名瀬の町の上空を旋回中に誤ってこの山へ接触墜落して自衛隊員12名と住民1名の尊い命を落としてしまった、それをまつる記念碑「くれないの塔」が建てられている。

 数年前にも徳之島で沖縄から来た自衛隊へりが墜落して数名の命が失われている、離島医療は彼らの活動によって守られている、感謝しなければと思う。

 幼稚園の頃に一度来て以来だから40年近く経っている、残骸の1つの車輪があったというのはかすかにおぼえていた、国としての献血の日は8月21日だが奄美ではこの事故の日9月3日を献血の日としているとのこと。

 この一帯の公園として整備された敷地内にはこの他にも殉職した警察官をまつる慰霊碑などいくつかの石碑が建てられている。

 登り道の横には戦争当時の防空壕が未だに口を明けて並んでいる。

 入り口横の看板には、最初の白糖工場跡地という説明版もあった。

 殉職した自衛官の息子さんのブログ

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