金久町と矢ノ脇町の間の小高い山、らんかん山、登り口はかなり判りずらい。昭和37年9月3日、鹿児島より自衛隊機が急患用の血液を運んで来た、名瀬の町の上空を旋回中に誤ってこの山へ接触墜落して自衛隊員12名と住民1名の尊い命を落としてしまった、それをまつる記念碑「くれないの塔」が建てられている。
数年前にも徳之島で沖縄から来た自衛隊へりが墜落して数名の命が失われている、離島医療は彼らの活動によって守られている、感謝しなければと思う。
幼稚園の頃に一度来て以来だから40年近く経っている、残骸の1つの車輪があったというのはかすかにおぼえていた、国としての献血の日は8月21日だが奄美ではこの事故の日9月3日を献血の日としているとのこと。
この一帯の公園として整備された敷地内にはこの他にも殉職した警察官をまつる慰霊碑などいくつかの石碑が建てられている。
登り道の横には戦争当時の防空壕が未だに口を明けて並んでいる。
入り口横の看板には、最初の白糖工場跡地という説明版もあった。
殉職した自衛官の息子さんのブログ
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