打倒!破廉恥学園

旋風寺武流PLが意味もなくただ、だらだらと掻き散らかすブログです。

さみしい三奇人

2013-12-10 19:59:55 | Weblog
昨夜、テレビのクイズ番組で「寛政の三奇人 林○○」の○○を答えなさいという問題が出ていました。答えは林子平ですね。

一緒にテレビを観ていた母が「この林子平っていうのは、どんな変わった人だったの?」と訊いてきたのです。

私は考えました。ここで言う三奇人の奇人とは、変わり者のことではなく奇才という意味で優れた傑物という意味なのです。

しかしそう答えると次は「どんな風に優れた人だったの?」と訊いてくる可能性もあります。

林子平は自著「海国兵談」でロシアが攻めてくる可能性があるから海防が必要だ、と説いています。そうなるとなぜロシアが攻めてくるかを話さねばなりません。ロシアはずっと凍らない不凍港を欲しがっているために南下しています。北方領土問題がこじれているのはその名残です。

しかし当時はまだ北海道は幕府にとって未開の地でした。天然の要害になっているからロシアが攻めてきても大丈夫と安心していたのです。ということでこの海国兵談は幕府の御政道を批判する悪書として焚書されてしまうのです。

子平が死んだ後、幕府はお台場を造ったりして海防に力を注ぎます。四方を海に囲まれた日本は、どこからでも外国船がやってくる可能性があることに、ようやく気づいたのです。

つまり海防の大切さをいち早く見抜いていた先見の明こそが子平の優れている所なのです。

でもこれを我が母にどうやって説明すれば良いものか……。

私「あのね、当時のロシアはね……」
母「は? なんでロシアが出てくるの」
私「だからロシアの南下政策が……ああ、南下政策っていうのはね」
母「いや、もういいから。次の問題始まったし」

なんということでしょう。母はもう私にした質問のことなど忘れて、次の問題のことを考えていたのです。

まあ、林子平の変わった所を訊いて、ロシアの話題を出されても困りますもんね。フン。

あ、寛政の三奇人の残り二人は、蒲生君平と高山彦九郎です。