打倒!破廉恥学園

旋風寺武流PLが意味もなくただ、だらだらと掻き散らかすブログです。

我が月旦 ~呂布奉先~

2006-01-31 18:15:17 | Weblog
三国志ファンの常識に「呂布最強伝説」というものがある。

三国志には数多の猛将が出てくる。その中でもとりわけ武に関して名を馳せているのが、長坂橋に立ちふさがり一人で曹操軍の追い払った張飛。その義兄で、斬り倒した武将の数はトップの関羽である。
だが、その二人が声をそろえて「あの強さは化け物だ」というのが呂布である。

関羽と張飛が二人がかり(あ、二人のおにーちゃんも一緒でしたが)で襲い掛かっても倒すことができなかったというから、その逸話だけでも呂布の強さが異彩を放っていたのは言うまでも無いだろう。

身長九尺(207cm)、ルックスだってイケメンだ。
モンゴル地区出身だからか馬術と弓術に優れ、騎兵を扱わせれば天下一品であった。何よりも「こいつに付いて行けば絶対に勝てるぜ!」と思わせる武のカリスマ。それが呂布最大の魅力であろう。呂布が馬に跨って矛を振り回し敵陣に突っ込めば、それだけで戦局が一変するのである。

呂布は并州刺史の丁原の養子となる。この丁原も呂布同様に馬術と弓術に優れていたらしい。それゆえ、彼の類稀なる才能を見抜き養子としたのではなかろうか。呂布を養子とした時、丁原は最強のボディガードを手に入れたことになる。

だが、丁原は呂布が辺境の出身ということを忘れていた。彼には儒教の教えが全く通じないのである。儒教なんて難しい言い方をしてはいるが、早い話が「おとーさん、おかーさんを大事にしよう」とか「目上の人には礼儀を尽くそう」なんて簡単な事なのだ。

「俺の方が強いのに、どうしてこいつ(丁原)に従わないといけないんだよ。それに帝ってなんだ? みんなあんなガキに媚びへつらってさ。頭を張るのは一番強い奴って相場が決まってるんだい」

儒教を主とする漢帝国の臣たちに囲まれ、一人だけ文化の違う呂布はストレスがかなり溜まっていたのではないだろうか。

そこに現れたのが魔王・董卓。彼は常識の破壊者であった。ちなみに董卓は辺境で長い間異民族と戦っており、どちらかといえば呂布に近い思考の持ち主だった。漢帝国の臣下でありながら、漢帝国に対しての敬意を全く持っていないのだ。

そんな二人が出会えば、意気投合するのは時間の問題であった。董卓は呂布を丁原の下からヘッドハンティングをするのである。

呂布は董卓に誘われるや、大喜びで丁原を殺して董卓の養子となる。自分と同じ価値観を持つ人と出会えて呂布は嬉しかったのではなかろうか。

董卓のやる事は、とにもかくにも無茶苦茶であった。

過去の皇帝の墓をあばき、墓に収められていた財宝を手に入れる。
皇族の娘を寝所に引き入れてそれはもうエライこっちゃ。
極めつけは皇帝を廃して自分の扱いやすい協皇子を皇帝に据える。おまけに前皇帝とその母を暗殺。
反董卓連合軍に追い詰められた際にあっさりと長安に遷都を決定。町民から財産を没収して、旧都洛陽に火をかける。その洛陽の復興を手がけた孫堅は思わぬ拾い物をするのだが、それはまた別の話で。

董卓の横暴には誰も逆らえなかった。董卓の後ろにはつねに呂布が控えていたからだ。

だが、董卓のこの世の春にも終わりが来る。呂布が董卓の侍女と関係を持ってしまった事から二人の仲は険悪となり、ついに董卓は呂布に殺されてしまう。

魔王・董卓がいなくなり、漢帝国の忠臣たちの一番の邪魔者は呂布となった。董卓軍の残党が都に乗り込んできた事もあり、あっさりと呂布は都を追い出されて放浪の旅にでることになる。

「漢帝国が威光を取り戻せたのは俺のおかげじゃないか。どうして恩人である俺が追い出されるんだよぅ」

と、彼が嘆いたかはわからないが呂布は各地の群雄に自分を引き入れるように頼むが断られる。それどころか追手まで差し向けられる始末。
当然と言えば当然であろう。自分の義父を二度も殺すような男だ。味方に引き込んでもいつ裏切るかわかったものではない。ズタボロになった呂布が最後に行き着いたのは徐州。そこを治めていた劉備の所だった。

呂布を受け入れようとする劉備に、義弟の関羽と張飛は猛反対をする。この二人が反対するのも当然であろう。関羽と張飛は儒教の教えである「仁」と「義」を何よりも重んじる。その二人が親殺しである呂布を受け入れるわけがなかった。
そんな二人の反対を押し切って呂布を受け入れた劉備は、天下を彷徨う呂布に何かしら自分と似た部分を見たのではなかろうか。

そしてあっさりと劉備は呂布に裏切られてしまう。偽帝・袁術討伐の勅旨を受けた劉備は留守中に呂布に城を奪われてしまうのだ。ちなみに城番をしていたのは張飛。だが、彼は劉備の言いつけを破り、酒を飲んでへべれけに酔っ払って呂布の襲撃を防ぐ事ができなかったのだ。この時の失敗が、後に法に厳格な名将張飛を生んだと私は思いたい。人は成功よりも失敗から多くのことも学ぶものだ。

城を奪われて行く当てがなくなった劉備は、なんと呂布に自分を受け入れるよう頼む。呂布も劉備と気が合ったのか受け入れている。おまけに袁術と劉備の仲裁役までかって出ているから、よほど劉備が気に入ったのであろう。劉備はこの後、呂布に反乱を起こして追い出されるのだが。

劉備を追い出したのは呂布にとって痛恨のミスだった。これを口実に曹操軍が呂布の城を取り囲んだ(劉備はちゃっかりと曹操のところに転がり込んでいます(笑))

呂布は自分に最もそぐわない篭城戦を強いられることになる。なんとか三月ほど持ち堪たが、最後は因果横暴、自分の部下の裏切りに会い曹操の下へ引きずり出され縊り殺される。

呂布の死を以て、個人の武が戦況を変える時代は終わり、軍師たちの時代となる。

風呂の醍醐味

2006-01-30 09:39:48 | Weblog
寒い季節です!

こう寒いと、身体の末端部分が冷たくなりますよね。足先、指先、そして鼻。鼻が冷たくなるのはちょっと驚きだったりします。

で、やっぱりお風呂ですよね。ちょっと熱めのお風呂に飛び込めば、今まで冷えていた体の部分が痺れるような、じんわりと来るような幸せな感覚。

一度湯船に深く潜って全体を芯まであっためる。

うははー。いいね!こりゃいいね!!ちょっと風呂に入ってきますわ!!


………本当は我が月旦~呂布奉先~を出したかったのですが、PCの調子が悪かったのか全て消えてしまいました………2000字以上書いたのになあ(しくり)

夢一夜

2006-01-29 09:32:03 | Weblog
夢を見た。

いつの間にか私は高校三年生に戻っていた。今、着ている制服は間違いなく高校時代のものだ。

私は一人、高校のグラウンドにたたずんでいた。灰色の空から雨が降ってきた。でも傘は無い。グラウンドの中央に立ち、濡れていた。

向こうから傘を差した誰かがくる。

小学生時代のクラスメート(女子)だ。私は高校生なのに彼女はまだ小学生のままだった。彼女の傘は突風にでもあったのか少しひん曲がっている。

「お久しぶり」

彼女は私に曲がった傘を差し出した。私は会釈をして彼女の傘に入る。

「懐かしいよね。元気してた?」

「…………6年ぶりかな?」

いつしか私は心の中まで高校三年生になっていた。もうすぐこの学校から卒業をするのだ。彼女と会話をするのは小学校の卒業式の日以来だからだ。

「何を言っているの。11年ぶりじゃない」

彼女は鈴の音のような笑い声を上げれば、視線を私の背後にやる。

つられて後ろを振り向けば、体操服を着た子供たちが、雨に濡れるのも構わずにドッジボールをしていた。かなり熱中しているのか、私たちの事など気づきもしていない。

「元気だな」

たしかこんな感想を漏らしたと思う。

「あなたの話を聞きたいのよ」

気がつけば私は大学の教壇に上がっていた。向かいの学生たちの座る席には、さっきの子供たちが座っていて、小さな教室は満杯になっていた。

黒板には「(私のフルネーム)先生講演会」とチョークで書かれていた。

ああ、そうだ。私はこの後輩たち(なぜか後輩と感じた)に何か話しをしてあげないといけないのだ。その前に……

「あ゛あ゛~~~~~~~~~~~」

いきなり発声練習を始める私に、子供たちは目を丸くした。そりゃそうだろう。でも発声練習なしに、これだけ大勢(と、いっても40人くらいだが)の前で話をする気にはなれない。私の発声は教室に響き渡る。

「まめ、まめまめ、まめ」

かつ舌の練習までする私を見かねたのか、子供たちの先生(若い女性。なぜか私は彼女を先生と認識した)はマイクを差し出した。しかし、このマイク。握る部分が5cmくらいしかない。おまけに声が思いっきり割れる。
発声練習を中断させられたのと、使いづらい事この上ないマイクを持たされて、私は不機嫌になっていた。

「その前に子供たちに謝ってあげてください」

先生に言われて私は思い出した。そうだ、私は彼らを2時間以上待たせてしまっていたのだ(なぜか、私はそう感じた)どうりで子供たちも不機嫌な顔をしているわけだ。

不機嫌な私と不機嫌な子供たちの視線が合う。でも、悪いのは私の方だ。だが私にだって言い訳の理由がある。

「危うく、処刑をされる所だった」

私のこの切り出しに、子供たちは騒然とした。続けて私は言い放つ。

「浣腸刑、2万トン! 危うく浣腸刑を受ける所を、私は奴らを逆に打ち倒してここまでやってきたのだ」

いろいろと突っ込み所が多すぎて、どっから突っ込んでいいかわからないでしょうが、子供たちは浣腸刑から逃げてきた私に尊敬の眼差しを向ける。

私は遅刻の言い訳に嘘をついているわけではない。リアルな記憶があるのだ。追いかける看守を尻目に坂道を駆け上った記憶が。いや、ひょっとしたら私が夢の中で見た夢なのかもしれない。

私がそれを踏まえた上で子供たちに謝罪をし、さて何を話そうかと考えた瞬間に、教室の扉が開いた。

誰が扉を開いたのか…と確かめようとした所で。夢は覚めた。

いろいろと感慨深い夢だったのでブログに記す事にした。フロイト的に言えば……欲求不満か。でも、フロイト夢判断でそれ以外の判断を聞いた事がないですが(笑)

また、面白い夢見たらブログにのせよーっと。


PS ZEROさん、たくさんのコメントありがとうございました。なるべく早めにお返事を返させていただきます!(ぺこり)

早すぎた天才

2006-01-28 08:27:21 | Weblog
運がいいとか、悪いとかはあまり言いたくはない。なぜなら人は気の持ちようによって自分の境遇がどんなに酷くても幸せに、恵まれていても不幸に感じる生き物だからだ。

でも、あえて生まれた事を不幸を感じる時があるとすれば、時代が自分にそぐわなかった時だろう。

たとえば、剣豪・宮本武蔵。彼は生まれるのが30年遅かった。立身出世をもくろんだ武蔵は仕方なく剣の道で生きざるを得なくなる。

今回は逆に早すぎた天才、平賀源内について書きたい。

日本史上最大の奇才である彼は、その多岐にわたる才能ゆえにいまだに評価が定まっていない。

幼い頃よりからくりの才能に長けた彼は十三歳にして薬草学を学び医学の道に進むようになる(この年からエレキに関する研究も開始している)

彼は軋轢やトラブルを繰り返してついに高松藩を脱藩する(というか、追い出されたという方が正しい)が、彼の才能は小さな範囲で納まるものはなく、むしろノビノビと人生を謳歌を始めたのではないでしょうか。

竹とんぼの製作(当時、プロペラという発想は世界にはなかった。人類史上車輪に匹敵する大発明!)

日本中の薬草・鉱石を発掘したり、金山開発、山林業、薬草園などを始める。

日本で初めての博覧会(万博みたいなもの)を開催する。

おびただしい数の発明(オルゴール、石綿、良質砂糖、飛行船、顕微鏡 などなど)

作家としての才能(それまで上方言葉しかなかった浄瑠璃に、初めて江戸情緒を盛り込んだ作品を書いた、ペンネーム「福内鬼外」。ベストセラー小説「根南志草」の執筆。ペンネーム「風来山人」)

インチキ蘭語(まんじゅうの事をオストアンデル(押すと餡出る)薬品のことをナオール(治る)などと)

日本画家、鈴木晴信に多色刷りの技法を教える。晴信はそれをもとに「錦絵」を作る。

自作の絵筆、キャンバス、絵の具で日本で最初の西洋画家となる(あまり上手くはないですけどね)

そして彼の最も有名な発明。それはエレキテルでしょう。

ただ私がわからないのは、源内はエレキテルで電気を作って何をしたかったのか、ということです。だって電気製品なんてもちろんないし、エジソンが電球を発明するのは源内死後から100年後なんですから。

間違いなく源内は早すぎた天才。今の世に生まれていたらどうなっていたことか。

ケムマキの悲哀

2006-01-27 08:18:33 | Weblog
CSのテレ朝チャンネルで放送されている忍者ハットリくん。

知らない人はほとんどいないと思いますが、話のあらすじを一つ。

伊賀の忍者の里からやってきたハットリカンゾウは修行のために三葉家の居候になる。弟のシンゾウと忍犬の獅子丸。ライバルの甲賀忍者ケムマキケムゾウも現れて、三葉ケン一くんの身の回りに起こる様々な問題を忍術で解決していくストーリー。

で、ライバルのケムマキくんについて今日は語りたいと思うのです。

ハットリくんとケムマキくんとの一番の違い。まぁ、伊賀と甲賀はライバル同士という設定で所属組織が違うともいえますが(伊賀と甲賀は地理的にかなり近かったりします)ハットリくんは忍者として認知されているのですが、ケムマキくんは自分が忍者というのは一部の人にしか教えていないのです。一般人でケムマキの正体を知っているのは、ケン一くんぐらいなものです。

ケムマキくんはいわゆる悪役です。ケン一くんを苛めて、ハットリくんに逆襲されるというのがストーリーのおおまかな流れですから、まずはケムマキくんが何かやらないと話は転がりません。

そのケムマキくんですが、ケン一くんを苛めるのですが、けっして他の人がいる前では苛めをやらないのです。むしろ人前では臆病で、温厚な人物を演じるのです(ケン一くんもいくら苛められてもケムマキくんの正体をばらさない所がお人よしなのか何なのか)里の掟で人前で正体をばらせないらしいのです。いかにすぐれた身体能力、頭脳を持っていても里の掟によって人前で披露することができないのです。なんという悲劇か。彼は自分の全てを自分の里でしか解放する事ができないのです。これほどの悲劇はない。
伊賀の忍者はオープンなのに(ハットリくん、アルバイトまでしていますからね)甲賀の忍者は閉鎖的な所があるようです。でもね、ケムマキくんは高級マンションに忍猫の影千代と住んでいるんですよ。どうやら甲賀の里には金脈があるようです。

小学生が一人で高級マンションで暮らすほうが目立つと思うんだけどなあ。