打倒!破廉恥学園

旋風寺武流PLが意味もなくただ、だらだらと掻き散らかすブログです。

秋のアイスコーヒー

2006-10-31 16:41:27 | Weblog
最近、アイスコーヒーに嵌っている。年に何度かアイスコーヒーに嵌るのだが今年もその時期がやってきた。

無糖のアイスコーヒーにガムシロップとコーヒーフレッシュ。

好みによってそれらを入れたり出したり。

忘れてはいけないのが氷だ。氷がグラス一杯に入れないと物足りない。

氷のキンキンに冷えたアイスコーヒーにコーヒーフレッシュをかけると、氷にミルク成分がくっついて固まったりする。

それをストローで削って舐めてみるのも面白い。

今年一杯アイスコーヒー熱は続くだろう。

我が月旦 ~孫権仲謀~

2006-10-30 18:39:32 | Weblog
孫権。字は仲謀。父は孫子の末裔と自称する孫堅、兄は小覇王孫策。

父も兄も若いうちにこの世を去ってしまったため、若干19歳で兄から受け継いだ呉郡をの太守となる。魏・蜀との間を絶妙なバランス感覚外交でひたすらに自国守り抜いた呉の初代皇帝である。

劉備や曹操に比べていまいちキャラが薄いイメージがあるが、これでなかなか面白い容貌をしていた。

顎はがっしりとしていて、紫髭(赤ひげ)の持ち主、目玉は蒼く「江東の碧眼児」と呼ばれていた。なんかトランプの王様みたいだなあ。

他国に攻め入るよりも、基盤をじっくりと固めて、攻め入ってくる敵軍を追い払う事を念頭に置いていたようだ。まぁ、曹操・劉備に比べて20年程遅く産まれてきているので、彼らが死ぬまで引きこもっていればいいや的な考えがあったのかもしれない。

またの名を呉のギバちゃん。若いうちから呉の国を背負わされてプレッシャーが激しかったかどうかはわかりませんが、とにかく恐ろしく酒癖が悪かったそうな(蜀のギバちゃんは張飛)

酒宴を開いて酔っ払えば「ミーの酒が飲めねぇのかーーーー!!」と家臣たちに絡んだという。酒宴といえども飲みたくない日はあるだろうが、酒を勧めるのが主君では断ることもできなかっただろう。

あまりのしつこさに家臣の一人であった虞翻(毒舌王)が寝た振りをしてやりすごそうとした所、孫権は激怒して抜刀して襲い掛かったという。

また、ある酒宴で孫権が酔っ払いながら重臣・張昭と仙人について話していた所、虞翻(毒舌王)がその様子を見て「死人二人が仙人について話してら」と得意の毒舌をかました所、やはりまた殺されかけたが、結局ベトナムに左遷させられている(もちろん虞翻も言う事がひどいと思うけどね)

宴会大好きな孫権は釣台という宴会場を造り「この釣台から落っこちるまで飲むぞぉー」とみんなに酒を飲ませまくり、ぶっ倒れた人には水をぶっかけてからまた飲ませるというかなり派手な事をしている。

普段は名君なのだが酒が入るとどうにも駄目になるらしい。学問を部下に推奨したり貿易で国を富ましたりとなかなかの内政手腕も振るっているのだ。ただ酒が入ると悪ふざけがすぎるのだ。馬面の部下・諸葛謹子瑜(諸葛亮の実兄)の目の前でロバの顔に「諸葛子瑜」と書いてみせたり。ボディーガードの周泰をみんなの前で裸にして、その身体にある無数の傷がどうしてできた傷なのかを説明したりしている(大体が孫権を護る際にできた傷なのだろう)

ただ孫権も自分の酒癖の悪さは知っていたのか、常に部下にこう言っていたそうな。

「宴会でミーの言う事は本気にするな」

年を取った孫権は酒の毒が回ったのかしらないが、暴君と化している。
陸遜を憤死させたり、口げんかの末に重臣の家に火を着けたりと無茶苦茶を行っている。しかし魏・呉・蜀の中では最も長く続いたわけであり、トータルで見ればやはり英傑だったのであろう。


酒癖悪いけどな。

鳩に食らわしてやる物

2006-10-29 19:38:22 | Weblog
うちのベランダに鳩が住み着くようになった。

洗濯物は実家にもって帰って洗濯してもらっているので、ベランダに出ることがなかったためだ。

困った。糞の被害もばかにならない。近所の人たちの不評も買うことになるだろう。

何か鳩を撃退するのにいいアイデアはないか……と母に聞いてみたところ

「酢を置いておけば鳩は近寄らない」

と教えてくれた。さっそく近所のスーパーで安い醸造酢を買って明日の朝一番に酢をおいてやる。

ふふふ、鳩どもよ! 今夜がお前らの最後の宿だ!!

滅多に聞けないもの

2006-10-28 13:28:56 | Weblog
すごいなあ。本当にすごいなあ。

右翼と左翼がの街宣車が出くわしたらしく、スピーカーを使った激しい罵り合いがずーーーっと続いているんですよ。もう10分くらい。

ここまで激しい罵り合いだと、うるさいと通り越して面白い。

それぞれに主張したい事があるのだろうが、どっちもこんなに騒がしければ周りの人たちには同じにしか聞こえないだろうに。

というか、うちの近くでやんな。

美しき殺し間へようこそ

2006-10-27 18:10:33 | Weblog
ジョジョのゲームが発売されているようだけど、なかなか三国志11から抜け出ることができない。

三国志シリーズにここまで嵌るのは前例がなかったと思う。とにかく面白い。

今、劉備で遊んでいるのだが、それなりに大国を作って曹操軍、袁紹軍を平らげて帝を擁立したりしている。大陸の北方を制覇してから現在、ゆっくりと軍勢を南下させている。

孫呉の坊主は家臣団の結束力強く、戦えば勝てない相手ではないのだが勝った後に国力が疲弊した所を他勢力に襲われるのは好ましくない。水軍が得意な武将がこっちには少ないのだ。なので組しやすい劉ショウ軍から攻め落とすことにした。

成都を落としてそこを拠点とする。土地の豊かな成都は戦場となる土地が多く、罠をしかけるにはもってこいの場所なのだ。

そのありえない程の広大な土地を利用しておびただしい程の罠を作ったよ。

成都に一歩でも脚を踏み入れた敵軍は、必ず何かしらのダメージを追うように作った。弓櫓、投石記、石壁、八卦の陣。極めつけは「殺し間」だ。

6つの弓櫓と火炎罠、投石器を美しい幾何学模様に並べた必殺の罠。

不運にもそこに迷い込んだ16000の兵士たちがいた。意気揚々と我が成都城めがけて突っ込んできたのだが。城の直前にある「殺し間」に嵌り、その軍勢は誰一人、城の壁に触れることすらできずに全滅してしまった。

でも、せっかくこんなに立派な「殺し間」ができたのに、敵対勢力がいなくなったら意味がないんだよなあ。