孫権。字は仲謀。父は孫子の末裔と自称する孫堅、兄は小覇王孫策。
父も兄も若いうちにこの世を去ってしまったため、若干19歳で兄から受け継いだ呉郡をの太守となる。魏・蜀との間を絶妙なバランス感覚外交でひたすらに自国守り抜いた呉の初代皇帝である。
劉備や曹操に比べていまいちキャラが薄いイメージがあるが、これでなかなか面白い容貌をしていた。
顎はがっしりとしていて、紫髭(赤ひげ)の持ち主、目玉は蒼く「江東の碧眼児」と呼ばれていた。なんかトランプの王様みたいだなあ。
他国に攻め入るよりも、基盤をじっくりと固めて、攻め入ってくる敵軍を追い払う事を念頭に置いていたようだ。まぁ、曹操・劉備に比べて20年程遅く産まれてきているので、彼らが死ぬまで引きこもっていればいいや的な考えがあったのかもしれない。
またの名を呉のギバちゃん。若いうちから呉の国を背負わされてプレッシャーが激しかったかどうかはわかりませんが、とにかく恐ろしく酒癖が悪かったそうな(蜀のギバちゃんは張飛)
酒宴を開いて酔っ払えば「ミーの酒が飲めねぇのかーーーー!!」と家臣たちに絡んだという。酒宴といえども飲みたくない日はあるだろうが、酒を勧めるのが主君では断ることもできなかっただろう。
あまりのしつこさに家臣の一人であった虞翻(毒舌王)が寝た振りをしてやりすごそうとした所、孫権は激怒して抜刀して襲い掛かったという。
また、ある酒宴で孫権が酔っ払いながら重臣・張昭と仙人について話していた所、虞翻(毒舌王)がその様子を見て「死人二人が仙人について話してら」と得意の毒舌をかました所、やはりまた殺されかけたが、結局ベトナムに左遷させられている(もちろん虞翻も言う事がひどいと思うけどね)
宴会大好きな孫権は釣台という宴会場を造り「この釣台から落っこちるまで飲むぞぉー」とみんなに酒を飲ませまくり、ぶっ倒れた人には水をぶっかけてからまた飲ませるというかなり派手な事をしている。
普段は名君なのだが酒が入るとどうにも駄目になるらしい。学問を部下に推奨したり貿易で国を富ましたりとなかなかの内政手腕も振るっているのだ。ただ酒が入ると悪ふざけがすぎるのだ。馬面の部下・諸葛謹子瑜(諸葛亮の実兄)の目の前でロバの顔に「諸葛子瑜」と書いてみせたり。ボディーガードの周泰をみんなの前で裸にして、その身体にある無数の傷がどうしてできた傷なのかを説明したりしている(大体が孫権を護る際にできた傷なのだろう)
ただ孫権も自分の酒癖の悪さは知っていたのか、常に部下にこう言っていたそうな。
「宴会でミーの言う事は本気にするな」
年を取った孫権は酒の毒が回ったのかしらないが、暴君と化している。
陸遜を憤死させたり、口げんかの末に重臣の家に火を着けたりと無茶苦茶を行っている。しかし魏・呉・蜀の中では最も長く続いたわけであり、トータルで見ればやはり英傑だったのであろう。
酒癖悪いけどな。