わんわんらっぱー

DIYやオーディオから社会問題までいろいろ書きます。

ベトナム戦争で使われた枯葉剤の一部は沖縄に貯蔵され運び出されていた。

2018-11-03 20:48:14 | 帝国
 1964-75年に戦われたベトナム戦争で、米国は敵が潜むジャングルを枯死させるため、枯れ葉剤を散布した。枯れ葉剤には猛毒のダイオキシンが含まれ、枯葉剤を浴びたベトナム市民や米兵を中心に健康被害が生じている。
 米兵の健康被害はベトナム駐留者だけに留まらず、沖縄で荷役作業にあたった者のも発生している。
 この枯れ葉剤が、実は米軍統治下の沖縄でも、基地内の除草などの目的で散布されていた?との証言が出ている。
 ダウ・ケミカル(DOW CHEMICAL)のペンタクロールフェノール(PCP)が枯葉剤として使われ、急性の呼吸毒性を持つ。
枯葉剤は遺伝子への悪影響があり、多世代に渡り催奇性などの影響を与えている。


年代

30年代から40年代 枯葉剤の調査のために多額の費用を使う

40年代末から50年代 国防省は米大陸本土とプエルトリコの森林や農場で枯葉剤の試験を幅広く行う

45年6月 沖縄は「鉄の暴風」と呼ばれる地上戦を戦い、米軍占領を受けた。

45年 アメリカは対日戦で枯葉剤使用を検討するも、間に合わずに終戦。

49年11月 『タイム・マガジン』誌が沖縄を「忘れられた島」と書いた。

50年6月 朝鮮戦争勃発

52年 サンフランシスコ条約が発効。
裕仁天皇の推挙によって、沖縄は米国施政下に置かれた。
サ条約第三条「日本本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。」

62年 ペンタゴンはランチハンド作戦(Operation Ranch Hand)に着手
1962年から1971年までの間に、南ベトナム、ラオス、カンボディアで約7600万リットルの枯葉剤が散布された

67年 米軍は枯葉剤に含まれるダイオキシンの毒性を認識

69年8月から72年3月まで沖縄に枯れ葉剤が貯蔵されていた。
嘉手納飛行場の倉庫にはドラム缶にオレンジの帯で塗装された通称「エージェント・オレンジ」が4・5千本が備蓄されていた、との証言もある。

71年までに、枯葉剤の健康への危険性に関する科学的証拠の提示や報道が行われる。

71年1月 レッドハット作戦 沖縄の化学兵器25219本はすべてハワイのジョンストン島へ移送された。

1961年から1971年の間に製造された枯葉剤には、360キログラム以上のダイオキシンが含まれており、一兆人の致死量に相当する。

72年以後 名護市辺野古のキャンプ・シュワブ付近では、代表的な枯れ葉剤である「エージェント・オレンジ」を定期的に散布していた。

ベトナムでの枯葉剤による障害者は300万人を超えると言われている。


ザ・スクープSPで触れられているが、
日米地位協定第4条1項
「アメリカは施設および区域を返還するに当たって、原状を回復し、補償する義務を負わない」
日本政府は上記条項を盾にして責任逃れをしている。

1973年の日米合同委員会合意文書の中には以下のような文言がある。
「日本政府は汚染場所を視察し、水や土壌などのサンプルを入手することができる」

であるから、在日米軍基地内であっても、サンプルの入手を行って土壌調査を実施できるのである。
日本政府はそれすらも行っていない。

沖縄のベトナム戦争は終わっていないのだ。


枯れ葉剤を浴びた沖縄とベトナム戦争


検証 沖縄の"枯れ葉剤"疑惑


枯れ葉剤を浴びた島~「悪魔の島」と呼ばれた沖縄~(1)

枯れ葉剤を浴びた島~「悪魔の島」と呼ばれた沖縄~(2)


「沖縄における米軍の枯葉剤:エージェント・オレンジ」ジョン・ミッチェル2011年9月12日
https://www.jonmitchellinjapan.com/asia-pacific-journal-11-9-12.html

最新の画像もっと見る

コメントを投稿