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西弘も無人駅に

2009-05-13 19:51:38 | 津軽のいろいろ
津軽地方の私鉄、弘南鉄道(詳細は以前の記事で)。
先日、「津軽フリーパス」のフリー区間でもあるので、中心商店街土手町近くの始発「中央弘前」駅から2つ目、弘前大学近くの「弘前学院大前」(旧西弘前)駅まで大鰐線を利用した。
中央弘前駅にこんな掲示が
今年の4月から大鰐駅南口、聖愛中高前、弘前学院大前が無人駅になる(なっている)という。

JRを含む地方鉄道において、無人駅・ワンマン運転というのは珍しくはない。でも大鰐線の主要駅の弘前学院大前(旧西弘前)が無人駅になるのには少し驚いたが、同駅の利用者は30年前の1割程度という報道もあるし、駅名変更のような多大な混乱は生じないだろう。
wikipediaによれば、1952年に開業した西弘前駅は、1971年に弘南鉄道初の自動券売機設置、1985年に駅業務の委託、以後休日などが段階的に無人化され、2006年には平日の昼間も無人化されてきたようだ。
つまり、既に20年以上前から鉄道直営でなかったわけだ。駅業務をしていたのは年配の男性や“昔の事務員”のような青い事務服を着た女性がだったが、退職したOBや主婦のパートみたいな感じだったのだろうか。
なお、同時に無人化される「大鰐駅南口」は終点大鰐駅の跨線橋を渡ったJR側の改札口。JR奥羽本線大鰐温泉駅の改札口(JRから町へ? 委託)と並んでいるが、JRとは別に委託の女性がいた。弘南鉄道ホーム側には北口がある。
「聖愛中高前」は弘前学院大前の大鰐寄りの隣りでかつての「城南」駅(西弘前と同時に改名された)。小さな駅舎で、昔から無人駅だと思っていたが、おそらく通学時間帯だけ駅員がいたのだろう。

電車に乗る。中央弘前も駅業務が委託されているようだ。
おなじみの東急系列の商業施設の広告付き吊り手(つり革)。
右は前回写真がなかった109の広告だが、上に別の広告(自動車学校とか)を貼っていたのがはがれた(はがした)ようだ。

この電車は1960年中頃に製造され、製造当初からずっと同じ広告が付いていたのかと思ったが、109がオープンしたのは1979年なので、古くても30年前のものだ。ただ、現在とは「109」のロゴが異なっている。
別デザイン。扇風機も懐かしい
「ショッピング 夜9時まで/お食事・喫茶 夜10時半まで」という営業時間も変わっているのだろうなと思ったが、飲食の一部が11時まで延長された以外は現在も同じ。「109」の名前の由来は、「東急→とお/きゅう→10/9→109」という語呂のほか「営業時間が10時から9時」という意味もあるそうだ。
新しい広告が
「あおもりNPOサポートセンター」「OH!!鰐元気隊」のほか個人名フルネームも。
どれも地色が赤で、下部に「2008 Cidre」とあり、アサヒビール・ニッカウヰスキーが弘前工場で地元産リンゴで製造しているスパークリングワイン「シードル」の広告でもあるようだ。これらの広告主から判断すると、昨年11月に弘前と大鰐で行われた「弘南鉄道プロジェクト『シードル・ヌーヴォ2008』」というイベント関連のものと思われる。

でも、よく分からない広告だし、この車両内では従来の東急系列の広告の方が多く、中途半端。
いっそ、吊り手を全部新品に交換して、古いのをマニアに売ってはどうだろうか。百貨店・お好み食堂・のれん街・マルキューとセットにして1000円くらいなら僕は買います!
西弘・城南の駅名変更にしても、突然やって一部で反発を受けたけど、周知期間を設けるとともに、その間を利用して「駅名変更記念乗車券セット」とかを作って売れば多少の増収になっただろう。
五所川原の津軽鉄道が「レールオーナー」制度としてレール1メートルを5000円で“売って”いたように、弘南鉄道さんももっと商売っ気を出して、したたかになってほしい。


今まで以上に無人駅が増えたので、ほとんどの乗客は前の車両に乗っていて(無人駅ではいちばん前のドアしか開かないので)後ろの車はガラガラ。
弘前学院大前で5人ほど降りた。以前、駅員がいた頃は無人の時間帯は駅舎内に入れず、公衆トイレ脇の開放された柵から外に出なければならなかった。駅舎内に現金やきっぷが置いてあるからだろう。無人化された今は、その心配もなくなったためか、駅舎内が開放されていたが、薄暗く、窓口跡が板で塞がれたのが寂しい。
駅内
左の引き戸が旧改札口で線路を渡ってホーム。その右の板で塞がれた部分が窓口跡。さらに右のベンチ後ろの縦長の板2枚が自動券売機の跡。数年前、平日の昼間が無人化された頃に撤去されたと思われる。

中央弘前駅が昔のような懐かしさを感じる駅としてよく取り上げられるが、この旧西弘前も負けていない。
「お忘れもの」黒板

筆書きの掲示
左上は「取り扱つて」と促音の“小さなつ”が大きく書かれている。
無人化の告知もひっそりと。
新しい掲示も、筆書きの掲示(上写真右側)も「いつも電車をご利用いただき」で始まっている。「弘南鉄道を」でなく「電車を」となっているが、それで通用するほど弘前では代表的な交通機関だった名残なのだろう。

改札口上の時刻表を挟んで左右に、上り下り別に改札中を示す電光掲示。

発車5分前だったろうか、改札が始まるとぼわっと暖色系のランプが内側から灯っていたと思う。「(快速)」のスペースが大きいが朝夕1本ずつの快速の時だけ灯っていたはず。
それにしても大鰐線って大鰐に向う方が「上り」なんだと初めて知った。並行するJRと揃えてあるわけだが、今まで特に意識していなかった。
弘前学院大前駅前
「ひろさきがくいんだいまええきまえ」? やっぱり馴染めないし、看板自体が安っぽい。
隣接して生協がある。「弘南生協」という名前だが、鉄道と関係あるのだろうか? でも店舗名は「西弘店」。※この記事中ほどで一考察
【2018年1月31日追記】生協は1973年開店とのこと。1971年までは西弘前に車庫があったそうなので、その跡地なのかもしれない。

西弘前という地名はなく、駅だけの名前。所在地は弘前市中野。
周辺の人々は学生も一般人も「西弘前」を略して「西弘(ニシヒロ)」と呼び、駅そのもののみならず、周辺エリアも「中野」より「西弘」の方がずっとよく通用する。

駅前にある弘南バス(鉄道とは別会社)のバス停はいまだに「西弘前駅前」。みちのく銀行も「西弘前支店」。商店街は「西弘商店街」。(他には医院やアパート名にもなっている)駅名以外に「弘前学院大前」という名のものがない!
これらは駅名に追随した“便乗”命名だが、多くの人が「西弘」と呼んで親しんでくれているのだから、駅名が変わってもそう簡単に変えられないのだろう。変更にはお金もかかるし。
それだけに、弘南鉄道の駅名変更のやり方は、沿線住民を無視した、強引なやり方だったのではないかと思えてしまう。同社は「乗客を増やすため、背に腹は代えられない」と説明していたようだが、完全無人化されてしまった駅の利用者が増えているとは思えない。もっと上手に駅名変更する手段があったのではないかと残念に思う。
夜の商店街。ラーメン屋の向こうが駅
西弘は、弘前大学裏に位置し、学生向け飲み屋街となっている。新学期と花見シーズンなのに静まり返っていた。僕たちの学生時代もこんなにひっそりしていたんだっけ?
駅から北へ2つ目の踏切
ここから見る岩木山もとてもきれい。この踏切の次が寒沢の坂前の踏切。

【2018年5月7日追記】この後、駅舎とコープ店舗の改築が行われ、ここで紹介した建物はすべて解体された。2018年4月26日に新たな店舗・駅舎がオープン。店舗は従来の駅舎だった部分も使い、駅舎は店と一体化した申し訳程度のものになったようだ。この記事にて。

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