広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

その後の変化

2015-02-04 23:53:47 | 秋田の季節・風景
秋田市中心部に関する、以前の続きをまとめて。

まずは1月15日の続き3つ。
●秋田駅前ビル解体
写真はありませんが、区画整理に伴う「秋田駅前ビル」の解体は進んで、ビルの下のほうのわずかを残すだけになった。
隣の秋田フォーラスの隠れていた壁がだいぶ見えるようになった。

※続きはこちら。跡地に新たな「秋田駅前ビル」が建つことが分かった。


●竹半跡の前(この記事も参照)
1月15日に大町(通町)の「サンパティオ」から仲小路へ移転したスポーツ店「竹半」。
大町の竹半がいなくなった部分は特に変化はないようで、壁面のロゴもそのまま。※その後2015年5月時点でも変化なし。ただし、ショーウインドウは2階の奥の店舗の衣類がディスプレイされているようだ。

しかし、竹半が出た頃から、その前で工事が行われていて、先週末までにおおむね終わったようだ。
こうなりました
「ねぶり流し館前」バス停でバスを待つ人のための、上屋が作られ、ベンチが置かれた。
以前は、屋根などがない駐輪場として使われていた(自然発生的に駐輪場になった?)スペース。路面のタイルは敷き直したようだが以前と同じで、その他周辺にも変化はない。
(再掲)以前の様子。自転車がある場所に上屋ができた
以前、ここにはバス停がなく(向かいの上り側のみの変則的配置)、2012年7月の中心市街地循環バスの運行開始で初めてバス停が設置(その段階では循環バス専用)。
2013年4月から、一般路線バス用の下りバス停も設置され、乗降を扱うようになっていた。

ここから乗る人もそれなりにいるし、せっかくスペースがあるのだからということで、サンパティオが自分の敷地に自分で上屋を建てたということだろう。(サンパティオの店舗の庇で雨宿りすることは可能だったが、わずかに道路から奥まった位置で、バスの接近は分かりづらかった)
これにより、通町-ねぶり流し館前-大町通りと、上屋付きバス停が3つ連続する、秋田では珍しい好環境になる。
座る前提のためか、高さがやや低い
ただ、ここはサンパティオへ納品をするトラックが停まっていることがあり、バスの停車に支障をきたす場合があった。その対策もお願いしたいところ。

【8日追記】この数日後、サンパティオ敷地内とつながる上屋付近までの点字ブロックが設置され、コーンが撤去。工事が完了したようだ。
【4月4日追記】その後3月頃には、ポールが木のそばから上屋の前に移動(道路から見て左に移動)した。これにより駐車車両と干渉する恐れは減ったと考えられる。

※サンパティオに関する次の記事


●秋田駅改札工事
秋田駅の天井耐震工事に伴い、中央改札口周辺に足場が組まれていた。
当初は新幹線側だけだったが、予定どおり在来線側にも伸びた。
圧迫感がある
展示用の竿燈「置き竿燈」が常設されているが、
 先端の「御幣」が、足場の端スレスレ

ホームへの階段やみどりの窓口、待合室内には、天井に青いネットが張られていたが、自由通路のトイレの天井も同様。
そこで工事をしているらしく、トイレが使えない場合もあるようだ。
2013年夏のトイレ自体の改修工事の時は、駐車場に仮設トイレを置くなどして対応していたが、今回はそのような措置はないようだ。使えないのはごく短時間なんだろうか?

【10日追記】2月9日頃には、みどりの窓口や待合室のネットは撤去され、天井板が付いていた。待合室のテレビは一時撤去されたままだし、仮設のストーブもまだ置かれているので、工事完了ではなさそうだが、短期間で状況が変わるようだ。トイレの天井も戻っているのかもしれない。【20日追記・トイレの天井も元に戻っていた。】
一方、改札口の真上では、ルーバー状の日除け(?)が撤去され、天窓やその周囲の鉄骨が見えるようになった。※この記事中ほどに続く。
【12日追記】2月12日には、みどりの窓口や待合室の仮設ストーブは撤去されていたので、エアコンが稼働している模様。待合室のテレビは一時撤去されたまま。
【20日追記】2月20日時点では、改札口内の通路や階段では、天井に青い網が張られて工事が続いている。一部のホームへ降りる階段は使用できなくなっている。
【3月9日追記】3月9日に待合室内に入ってみると、従来は待合室正面にあったテレビが、いつの間にか右側(みどりの窓口側)に移動していた。

●みち銀看板
1月16日で廃止された、協働大町ビルの「みちのく銀行秋田支店」。
閉店後も看板はそのままだったが、2月2日~3日の間で、ついに撤去された。
 
縦の看板は外されて白い支柱だけが残る。(上の写真で看板が付いているようにも見えるが、それは壁面に設置されたテナントの看板で別物)
出入り口上の横の看板は、文字だけが剥がされて緑地の板はそのまま。跡で「みちのく銀行」と判読できる
1976年に「みちのく銀行」という名称になったので、その時からの看板だったのだろうか。
そして、シャッターの表示はまだそのまま。これはいつまでこのままだろう。
【3月5日追記】その後2月末頃に、シャッターの文字だけが消された。マークだけが残っている。
【3月12日追記】さらにその後(3月上旬頃? 12日に確認)に、残っていたマークが塗りつぶされた。ここが「みちのく銀行」だったことを物語るのは、玄関上の横書き看板の地色と、剥がされた文字の跡だけになった。夜間金庫も塞がれた。この記事にて

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