秋田市大町五丁目の通称「川反(かわばた)」に、秋田銀行の「秋田支店」という店があった。
(再掲)
前身の銀行の店舗として昭和9年に建てられた建物を使い続けていたが、2014年7月に大町支店に統合される形で秋田支店は閉鎖された。
閉店後、建物はそのまま残り、建物本体に付け足したような構造のATMコーナーは営業存続。【31日追記】「大町五丁目」という名称だった。
店やオフィスだった建物本体側も、銀行が何らかの用途で使っていたらしく、人が出入りしたり、冬期はスチーム暖房による湯気が立ちこめたりすることがあった。
今年11月中旬、久々にここのATMコーナーを利用した。秋田支店閉店後初めて。
以前はATMが2台あったような気がするが、その時は1台だけ。
通りから見て右側がATMコーナー。したがって、左側に店舗だった建物本体へつながるドアがあるのは知っていたが、反対の右側に大きな窓があった。その窓からは、狭いながら「庭園」が見えた。松の木(道路から塀越しに見える)のほか、立派な石灯籠まであって驚いた。
感心しながらATM付近を見ると、小さな張り紙が出ていた。
それには「11月30日でATMコーナーを廃止します」とあり、また驚いた。
秋田銀行のホームページはおろか、ATMコーナーのドアなど外にも告知はなく、ひっそりとしたもの。
予定通り、11月末でATMは廃止された。
近隣のあきぎんのATMとなると、大町、南通り、馬口労町の各支店やドン・キホーテ内など、いずれも500メートル以上離れている。
さらに、建物の中から、荷物を運び出すと思しき光景も目にした。
そして現在。
覆われた
上の写真右手前の位置(バス停付近)にあった松などもなくなってしまっているし、建物本体も窓ガラスが外されているように見える。庭園の写真を撮っておけば良かった…
そう。解体されてしまうらしい。
「72年間ご愛顧ありがとうございました」の張り紙は最後まで残っていたようだ。
秋田銀行としては、建物を持て余し、維持管理費用が馬鹿にならないのは分かる。
でも、戦前の建物が今も立派に残っていたのを、簡単に壊してしまうのは惜しくも感じる。秋田支店閉店時には、秋田魁新報の投書欄に建物の活用を検討してほしい旨の市民からの投稿があったのだが…
秋田市内は戦災や震災の被害はほとんど受けていないのに、歴史ある建物は少ない。
近年でも、土崎の湊御蔵、川尻の刑務所のレンガ塀など、何のためらいもなく(実際どうかはともかく、傍から見る分には)消えてしまった。
秋田(県全体なのか、市だけなのか?)は古い建物を残したがらない地域性のようだ。新陳代謝も必要だし、それが悪いとは言い切れないけれど…
※続きはこちら

前身の銀行の店舗として昭和9年に建てられた建物を使い続けていたが、2014年7月に大町支店に統合される形で秋田支店は閉鎖された。
閉店後、建物はそのまま残り、建物本体に付け足したような構造のATMコーナーは営業存続。【31日追記】「大町五丁目」という名称だった。
店やオフィスだった建物本体側も、銀行が何らかの用途で使っていたらしく、人が出入りしたり、冬期はスチーム暖房による湯気が立ちこめたりすることがあった。
今年11月中旬、久々にここのATMコーナーを利用した。秋田支店閉店後初めて。
以前はATMが2台あったような気がするが、その時は1台だけ。
通りから見て右側がATMコーナー。したがって、左側に店舗だった建物本体へつながるドアがあるのは知っていたが、反対の右側に大きな窓があった。その窓からは、狭いながら「庭園」が見えた。松の木(道路から塀越しに見える)のほか、立派な石灯籠まであって驚いた。
感心しながらATM付近を見ると、小さな張り紙が出ていた。
それには「11月30日でATMコーナーを廃止します」とあり、また驚いた。
秋田銀行のホームページはおろか、ATMコーナーのドアなど外にも告知はなく、ひっそりとしたもの。
予定通り、11月末でATMは廃止された。
近隣のあきぎんのATMとなると、大町、南通り、馬口労町の各支店やドン・キホーテ内など、いずれも500メートル以上離れている。
さらに、建物の中から、荷物を運び出すと思しき光景も目にした。
そして現在。

上の写真右手前の位置(バス停付近)にあった松などもなくなってしまっているし、建物本体も窓ガラスが外されているように見える。庭園の写真を撮っておけば良かった…
そう。解体されてしまうらしい。
「72年間ご愛顧ありがとうございました」の張り紙は最後まで残っていたようだ。
秋田銀行としては、建物を持て余し、維持管理費用が馬鹿にならないのは分かる。
でも、戦前の建物が今も立派に残っていたのを、簡単に壊してしまうのは惜しくも感じる。秋田支店閉店時には、秋田魁新報の投書欄に建物の活用を検討してほしい旨の市民からの投稿があったのだが…
秋田市内は戦災や震災の被害はほとんど受けていないのに、歴史ある建物は少ない。
近年でも、土崎の湊御蔵、川尻の刑務所のレンガ塀など、何のためらいもなく(実際どうかはともかく、傍から見る分には)消えてしまった。
秋田(県全体なのか、市だけなのか?)は古い建物を残したがらない地域性のようだ。新陳代謝も必要だし、それが悪いとは言い切れないけれど…
※続きはこちら
管理人様と同じく本当に勿体なく惜しいです。
こういう古い建物は壊すのは簡単ですがお金では買えない財産を潰すのと同じ愚行と思ってしまいます。
他県他都市では何らかの保存を考えると思うのですが・・。
他県に住む知人が面白い事を言っていました。
「フランス人は役に立たない物でも意地になって保存し
ロシア人は使えるまで使って遂に駄目になると埋める
秋田人は手に持て余して壊す。」
旧・県立美術館よりも古いし、内部も時代を感じさせる設計が残っていて、何らかの活用方法があったように思えてなりません。
秋田の新しもの好きの性格のせいなのかとも思いますが、津軽の人はフランス人的な面があるかもしれません。その結果、弘前が「趣きのある建物」が点在する街になっているわけで。
この投稿の末文が引っ掛かり、コメントさせていただきました。
良くも悪くも、秋田市はすぐ解体したがる傾向がありますね。
近隣で言えば、文中にもある土崎湊御蔵です。
商業施設化に失敗したからといって、米蔵まで潰して更地にした挙句、某スーパーを建設してはみたものの開業に至ることなく現在は倉庫として利用されています。
せいぜい、蔵だけは残すべきだったと思うのです。
仰る通りで、『新陳代謝』を良くするという意味では理解できます。
青森・福島の国道を走っていると結構廃墟を目にしますが、それが少なく感じることはいいことですが・・・・・
長々と大変失礼致しました。
湊御蔵が飲食店として使われていた頃、何度か行っていて、きれいで良い雰囲気だと思っていました。解体されたと聞いた時、信じられないと同時に、なんて惜しいことをするんだと愕然としました。
個人所有であり維持費もかかるので、部外者がとやかく言えないのは承知ですが。
古い街なのに新しい建物ばかりが並ぶのは、歴史が感じられなくて味気ないと思います。バランス良く残していくことができれば、いいのでしょうけれど。