2023年3月のJR東日本パス旅行記。前回は小僧寿し。今回は、初日に2時間弱ほど見て回った、長野市街地について。
計画段階では、長野市内あるいは松本市辺りで1泊しようと考えていた。しかし、安い宿が見つからず、そこまで長野にこだわりはないし、越後湯沢(越後中里)の宿を予約した。
それでも、越後湯沢直行では時間が早いし、フリーパスで乗れる北陸新幹線「あさま」の自由席は空いていそうなので、長野市に立ち寄ることにした。予想通り、あさまの自由席はガラガラだった。
長野市を訪れるのは4度目。前回は2016年。
駅は前回とほとんど変わっていない。ロッカーに荷物を預ける。
過去3回とも、善光寺の境内へ出向いている(うち1回は初詣客の多さに退散)ので、仏教徒の端くれとして、今回も。
今までは駅から徒歩で往復したが、そこそこ距離がある。今回は、時間も限られ、体力を温存したい歳にもなったので、初めて路線バスで行った。長野県内でバスに乗るのも初めて。
長野市内の路線バスは、長野電鉄のバス部門「長電バス」と、松本方面でもおなじみアルピコ交通の長野市周辺でのブランド「川中島バス」の2社。※長野市内の交通について2016年の記事。
善光寺方面は、川中島バスが運行している。善光寺前を経由して、もっと遠くへ行く路線のほか、善光寺大門が終点の路線もある。それが2016年の記事にも出てきた「びんずる号」。合わせれば、10~15分程度の間隔。※2023年4月にダイヤ改正があり、減便されたかも。
※長野市が2社に委託する市街地循環バス「ぐるりん号」も利用可。
びんずる号は、洋風なんだか和風なんだかよく分からない、専用塗装・色違いの日野レインボーのイメージ。今回乗ったのも、それの紫色。
乗ってみれば、普通の路線バス。
中ドアの開閉警告音が、ブザーなどでなく、電子音のウエストミンスターチャイム(開く時は前半、閉まる時は後半)が鳴るのにびっくり。Wikipediaによれば、大阪シティバス、川中島バス、神姫バスではそうらしい。アルピコでも松本・諏訪エリアでは違う音なのか。
善光寺行きらしい点は、車内放送や運転士の案内が、善光寺参拝客を意識したものであった程度(帰りについての案内もあって親切)。車内外、放送とも「びんずる号」の名は出てこなかったと思う。現地では「善光寺線」と呼ぶほうが多いみたいだ。
一般塗装のいすゞLVキュービックも入っていた
長野市ではKURURUというICカード乗車券があるが、現時点では他のカードと相互利用不可。2025年から地域連携Suicaに切り替わるとのこと。
久しぶりに、整理券を取って、両替して現金支払い。
ほかの乗客は、駅から善光寺に行く観光客2人連れ。あとは地元の人と思われるベビーカーの親子が途中から乗って、途中で降りただけだった。
駅側からまっすぐ進めば善光寺だが、バスは直前で脇道に入って、4回曲がって、お寺にお尻を向けて終点到着。10分・190円。
降りた位置から善光寺方向。この辺は「表参道」
バス停すぐが「善光寺」交差点で、渡ると善光寺になるのか、車が入れない参道。本堂までは500メートルほど歩く。※途中、車が通る小さい道路の横断あり。
バスを降りた付近は人通りが多くなかった。「仲見世通り」まで進むと、急に人が増えてにぎやかに。
車や観光バスで来た人たちなのか、新型コロナウイルスの外出控えも過去のものになったのだと思い知らされた。
境内~本堂は大混雑というわけではなく、以前と変わりなく参拝。
ところで、本堂に入ってすぐのところ(本堂外陣)に、触られてツルツルになった、木製のお坊さんの坐像があった。そう言えばそうだったなと、軽く拝んだくらいにしただけだった。
恥ずかしながら、これまでも訪問直後も、お名前もいわれも知らないままだった。
訪れて1か月もしない4月5日。この像が、盗難に遭って一躍有名になり、そのおかげでいわれを知ることができた。
「びんずる尊者像」。びんずる(賓頭盧)は釈迦の弟子である十六羅漢の一人。触った部位の病気が治るとされる「撫仏」。※ということは、遠足で行った山形県の「十六羅漢岩」にも、びんずる様がいらっしゃるのでしょう。
「びんずる号」も、何かの仏の名前だとは思っていたが、こちらが由来だった。
それにしても、本堂外陣は人の出入りが多く、寺の職員も近くに常時いたはず。そこから盗み出してしまう/盗み出せてしまうなんて、なんとも…
参拝を終えたので、仲見世でソフトクリームでも食べたい気もあるけれど、まずは以前から気になっていたものを見る。
「善光寺の裏側」である。裏側というのはバックヤードではなく、本堂の向こう=反対側の一帯。
善光寺は、長野駅の真北に位置する。以前軽く見た、長野電鉄が地下を走る長野大通り沿い、長野市役所や権堂の一帯は、その東側。それ以外、つまり善光寺より北~西の長野市内は見たことがなかったので。
※権堂にあったイトーヨーカドー長野店は2020年に閉店。跡には地元店舗が入った。【21日追記・単なるテナント入れ替えや完全建て替えではなく、ヨーカドー時代の5階建てのビルを2階建てに減築して改装したとのこと。建物名は「長電権堂ビル」から「権堂ウエストプラザ」になり、核テナントが「綿半スーパーセンター権堂店」。】
バスを降りた「善光寺」交差点から本堂までは北に400メートルだが、その北側にも100メートルほどお寺の敷地が続く。東西方向は300メートルほどの広さ。
いくつかの施設や像・碑など見どころがあるので、じっくり見て回るべきなのだが、割愛させてもらって、適当に、本堂の右・東側から裏手へ。
本堂の南東角
表側からは激減するが、そこそこ参拝客は歩く。広い公園のような雰囲気も漂っていて、近所の子どもが遊んでいてもおかしくなさそう。
ここが善光寺敷地の北端
上の写真で、赤い柵の向こう左右方向が長野県道37号線、正面奥へ市道が伸びていて、それらが交わる丁字路。
県道を渡ったすぐ向かい左が、善光寺第1有料駐車場。見えないが右・東隣が「城山公園」で長野県立美術館などもある。
そのほかはほぼ住宅地。山が近く、斜面の途中まで家が続く。まっすぐ奥の高い所に仏塔が見え「善光寺雲上殿」。要は納骨堂のようで、上の写真に広告看板が写っている。
振り返って、
本堂の裏面
境内にあった「善光寺事務局」による看板
「毎日七日は市民防災の日」「火事をなくする市民運動」「毎日午後九時は火の元点検の時間」。いずれも長野市独自のフレーズのようで、なぜ「7日が市民防災の日」なのかは不明。
「なくする」は「なくす」と同義だが、一般にはあまり使わず、こういう標語ではそこそこ見る言い回しなような気がする。
敷地外に出て、外周の県道を西方向へ行ってみる。
丁字路の西方向
交差点名は「善光寺北」。※交差点名表示については後日続きにて。
見えている三重塔は、敷地北西角にあり、日本忠霊殿と資料館を兼ねる「善光寺忠霊殿 三重塔」。1970年築。
外周の道路の歩道は、片側に狭いのがあるのみ。100メートルほどで南へ曲がっても(=敷地西辺)変わらず。
西辺。案内標識は敷地内から生える。路線バスも通る
西辺のお寺の敷地側は立派な塀で、いくつか出入り口がある。
反対側は住宅地だが、善光寺第○駐車場(第5まである)や、土産物店(やってるのか?)もある。雰囲気は、弘前公園の裏側である、北西角近辺にどことなく通ずる。
西辺の中ほどに、信号機のある「善光寺西」交差点。見えないが、塀の中では、ここが本堂の位置。
塀の外では、西方向への道が交わり、県道37号は、お寺から離れてそちらへ。
東=お寺の敷地側は塀が途切れて出入りでき、そちら向きにも信号機が付く十字路。敷地内は「善光寺 宿坊専用バス第2駐車場(第5まであるうちの2番目なのだろうが、一般車は駐められないことになる)」で、歩行者の出入りはできない。
引き続き塀沿いを直進。三重塔のある北西角を曲がってから300メートルほどで、塀と塀沿いの道路は東方向へ曲がる。
この付近の塀の中は、善光寺を運営するお寺の1つ「善光寺大勧進」。
角から東方向は石畳風路面で、先で正面の参道と交わる。そこから南方向が仲見世通り。上記、バス停から本堂までの途中の「※途中、車が通る小さい道路の横断あり」の道路がこれ。
角を南へ直進すると狭い生活道路。その東側は宿坊や、善光寺大本願(これも善光寺を運営する寺)など、善光寺関係の施設が続くが、西側は普通の古めの住宅地の風情。
以上、善光寺の裏側~横は、表面的ではあるが、なんとなく分かった。
せわしなく歩いたので、バスを降りてからまだ30分経っていない。ソフトクリームからもバス停からも遠ざかってしまうけれど、善光寺から離れて、もう少し西側へ行ってみる。続く。
計画段階では、長野市内あるいは松本市辺りで1泊しようと考えていた。しかし、安い宿が見つからず、そこまで長野にこだわりはないし、越後湯沢(越後中里)の宿を予約した。
それでも、越後湯沢直行では時間が早いし、フリーパスで乗れる北陸新幹線「あさま」の自由席は空いていそうなので、長野市に立ち寄ることにした。予想通り、あさまの自由席はガラガラだった。
長野市を訪れるのは4度目。前回は2016年。
駅は前回とほとんど変わっていない。ロッカーに荷物を預ける。
過去3回とも、善光寺の境内へ出向いている(うち1回は初詣客の多さに退散)ので、仏教徒の端くれとして、今回も。
今までは駅から徒歩で往復したが、そこそこ距離がある。今回は、時間も限られ、体力を温存したい歳にもなったので、初めて路線バスで行った。長野県内でバスに乗るのも初めて。
長野市内の路線バスは、長野電鉄のバス部門「長電バス」と、松本方面でもおなじみアルピコ交通の長野市周辺でのブランド「川中島バス」の2社。※長野市内の交通について2016年の記事。
善光寺方面は、川中島バスが運行している。善光寺前を経由して、もっと遠くへ行く路線のほか、善光寺大門が終点の路線もある。それが2016年の記事にも出てきた「びんずる号」。合わせれば、10~15分程度の間隔。※2023年4月にダイヤ改正があり、減便されたかも。
※長野市が2社に委託する市街地循環バス「ぐるりん号」も利用可。
びんずる号は、洋風なんだか和風なんだかよく分からない、専用塗装・色違いの日野レインボーのイメージ。今回乗ったのも、それの紫色。
乗ってみれば、普通の路線バス。
中ドアの開閉警告音が、ブザーなどでなく、電子音のウエストミンスターチャイム(開く時は前半、閉まる時は後半)が鳴るのにびっくり。Wikipediaによれば、大阪シティバス、川中島バス、神姫バスではそうらしい。アルピコでも松本・諏訪エリアでは違う音なのか。
善光寺行きらしい点は、車内放送や運転士の案内が、善光寺参拝客を意識したものであった程度(帰りについての案内もあって親切)。車内外、放送とも「びんずる号」の名は出てこなかったと思う。現地では「善光寺線」と呼ぶほうが多いみたいだ。
一般塗装のいすゞLVキュービックも入っていた
長野市ではKURURUというICカード乗車券があるが、現時点では他のカードと相互利用不可。2025年から地域連携Suicaに切り替わるとのこと。
久しぶりに、整理券を取って、両替して現金支払い。
ほかの乗客は、駅から善光寺に行く観光客2人連れ。あとは地元の人と思われるベビーカーの親子が途中から乗って、途中で降りただけだった。
駅側からまっすぐ進めば善光寺だが、バスは直前で脇道に入って、4回曲がって、お寺にお尻を向けて終点到着。10分・190円。
降りた位置から善光寺方向。この辺は「表参道」
バス停すぐが「善光寺」交差点で、渡ると善光寺になるのか、車が入れない参道。本堂までは500メートルほど歩く。※途中、車が通る小さい道路の横断あり。
バスを降りた付近は人通りが多くなかった。「仲見世通り」まで進むと、急に人が増えてにぎやかに。
車や観光バスで来た人たちなのか、新型コロナウイルスの外出控えも過去のものになったのだと思い知らされた。
境内~本堂は大混雑というわけではなく、以前と変わりなく参拝。
ところで、本堂に入ってすぐのところ(本堂外陣)に、触られてツルツルになった、木製のお坊さんの坐像があった。そう言えばそうだったなと、軽く拝んだくらいにしただけだった。
恥ずかしながら、これまでも訪問直後も、お名前もいわれも知らないままだった。
訪れて1か月もしない4月5日。この像が、盗難に遭って一躍有名になり、そのおかげでいわれを知ることができた。
「びんずる尊者像」。びんずる(賓頭盧)は釈迦の弟子である十六羅漢の一人。触った部位の病気が治るとされる「撫仏」。※ということは、遠足で行った山形県の「十六羅漢岩」にも、びんずる様がいらっしゃるのでしょう。
「びんずる号」も、何かの仏の名前だとは思っていたが、こちらが由来だった。
それにしても、本堂外陣は人の出入りが多く、寺の職員も近くに常時いたはず。そこから盗み出してしまう/盗み出せてしまうなんて、なんとも…
参拝を終えたので、仲見世でソフトクリームでも食べたい気もあるけれど、まずは以前から気になっていたものを見る。
「善光寺の裏側」である。裏側というのはバックヤードではなく、本堂の向こう=反対側の一帯。
善光寺は、長野駅の真北に位置する。以前軽く見た、長野電鉄が地下を走る長野大通り沿い、長野市役所や権堂の一帯は、その東側。それ以外、つまり善光寺より北~西の長野市内は見たことがなかったので。
※権堂にあったイトーヨーカドー長野店は2020年に閉店。跡には地元店舗が入った。【21日追記・単なるテナント入れ替えや完全建て替えではなく、ヨーカドー時代の5階建てのビルを2階建てに減築して改装したとのこと。建物名は「長電権堂ビル」から「権堂ウエストプラザ」になり、核テナントが「綿半スーパーセンター権堂店」。】
バスを降りた「善光寺」交差点から本堂までは北に400メートルだが、その北側にも100メートルほどお寺の敷地が続く。東西方向は300メートルほどの広さ。
いくつかの施設や像・碑など見どころがあるので、じっくり見て回るべきなのだが、割愛させてもらって、適当に、本堂の右・東側から裏手へ。
本堂の南東角
表側からは激減するが、そこそこ参拝客は歩く。広い公園のような雰囲気も漂っていて、近所の子どもが遊んでいてもおかしくなさそう。
ここが善光寺敷地の北端
上の写真で、赤い柵の向こう左右方向が長野県道37号線、正面奥へ市道が伸びていて、それらが交わる丁字路。
県道を渡ったすぐ向かい左が、善光寺第1有料駐車場。見えないが右・東隣が「城山公園」で長野県立美術館などもある。
そのほかはほぼ住宅地。山が近く、斜面の途中まで家が続く。まっすぐ奥の高い所に仏塔が見え「善光寺雲上殿」。要は納骨堂のようで、上の写真に広告看板が写っている。
振り返って、
本堂の裏面
境内にあった「善光寺事務局」による看板
「毎日七日は市民防災の日」「火事をなくする市民運動」「毎日午後九時は火の元点検の時間」。いずれも長野市独自のフレーズのようで、なぜ「7日が市民防災の日」なのかは不明。
「なくする」は「なくす」と同義だが、一般にはあまり使わず、こういう標語ではそこそこ見る言い回しなような気がする。
敷地外に出て、外周の県道を西方向へ行ってみる。
丁字路の西方向
交差点名は「善光寺北」。※交差点名表示については後日続きにて。
見えている三重塔は、敷地北西角にあり、日本忠霊殿と資料館を兼ねる「善光寺忠霊殿 三重塔」。1970年築。
外周の道路の歩道は、片側に狭いのがあるのみ。100メートルほどで南へ曲がっても(=敷地西辺)変わらず。
西辺。案内標識は敷地内から生える。路線バスも通る
西辺のお寺の敷地側は立派な塀で、いくつか出入り口がある。
反対側は住宅地だが、善光寺第○駐車場(第5まである)や、土産物店(やってるのか?)もある。雰囲気は、弘前公園の裏側である、北西角近辺にどことなく通ずる。
西辺の中ほどに、信号機のある「善光寺西」交差点。見えないが、塀の中では、ここが本堂の位置。
塀の外では、西方向への道が交わり、県道37号は、お寺から離れてそちらへ。
東=お寺の敷地側は塀が途切れて出入りでき、そちら向きにも信号機が付く十字路。敷地内は「善光寺 宿坊専用バス第2駐車場(第5まであるうちの2番目なのだろうが、一般車は駐められないことになる)」で、歩行者の出入りはできない。
引き続き塀沿いを直進。三重塔のある北西角を曲がってから300メートルほどで、塀と塀沿いの道路は東方向へ曲がる。
この付近の塀の中は、善光寺を運営するお寺の1つ「善光寺大勧進」。
角から東方向は石畳風路面で、先で正面の参道と交わる。そこから南方向が仲見世通り。上記、バス停から本堂までの途中の「※途中、車が通る小さい道路の横断あり」の道路がこれ。
角を南へ直進すると狭い生活道路。その東側は宿坊や、善光寺大本願(これも善光寺を運営する寺)など、善光寺関係の施設が続くが、西側は普通の古めの住宅地の風情。
以上、善光寺の裏側~横は、表面的ではあるが、なんとなく分かった。
せわしなく歩いたので、バスを降りてからまだ30分経っていない。ソフトクリームからもバス停からも遠ざかってしまうけれど、善光寺から離れて、もう少し西側へ行ってみる。続く。