広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

下新城笠岡

2015-07-14 23:38:07 | 秋田の地理
新城川の河川付け替えの続き。前回は天ノ袋橋へ寄り道したけれど、今回も川とはあまり関係ない内容になりそうです。

飯島地区を後にして、川の上流方向・下新城地区(大字は下新城笠岡)へ。
河川付け替え工事は、飯島側・下新城側で分離して行われ、その間では既存のルートそのままに川幅を広げただけの工事が行われた模様。
この区間では、道路と離れた田んぼの中を流れていて、堤防など川沿いを歩けるかは分からないので、川から離れた公道を歩くことにした。

その道は、県道112号線。国道7号線・上飯島駅から下新城や金足黒川を経て五城目まで至る。
飯島地区の家並みを抜けると、横山金足線(ここでは秋田市道)と交わり、周りは水田。そのすぐ先に土崎消防署飯島出張所がある。
かつて、新城川があふれた時には、水田が一面水浸しで、消防の建物だけがぽっかりと浮かぶように立っていたものだ。

消防出張所から先は田んぼの中を一直線に500メートルほど進む。
車の通行はさほど多くはないが、歩道はない。夜や積雪時は危険だし、炎天下では熱中症になりそう。
やがて、家が多く見えてきて、片側に歩道も出現。そこから先が下新城(笠岡)。
今までの田んぼは、かつての飯島村と下新城村の村境だったようだ。
急ににぎやかに
農村部らしい光景だが、よく見ると、県道の右(東)側は新しい家が多く、左側に古くからの農家らしいお宅がある感じ。その左側の道路と家の間には、
新城川が流れる
離れて流れていた新城川が、再び道路に寄り添っている。
ただし、ここは付け替えによって旧流路になった区間であり、埋める工事が進んでいた。
飯島字天ノ袋集落よりは明るい雰囲気ではあるが、同じような川幅。これがあふれたらひとたまりもないし、過去の洪水時の報道写真・映像の定番だった「農村部の小さな橋スレスレを濁流が流れている」場所はこの一帯のようだ。

県道の最高速度の道路標識の下の補助標識に「学童の路」とある。
初めて見た
補助標識には「対向車多し」などと「規制理由」を示すことができ、ある程度自由な文言を表示できるのかもしれないが、これは「道」ではなく「路」という文学的(?)表記(普通は「通学路」とするだろう)だし、手書きや丸ゴシック体でなく角ゴシック体なのも珍しい。
同じ秋田臨港警察署管内である土崎や飯島でも見たことはないし、ネットで調べても他の事例は見当たらないから、下新城地域(学区)独自の表記というか表示なんだろうか?
※北秋田市鷹巣に、類似の補助標識があった

とりあえず県道を北へ進んでみる。道路沿いには家並みが続く。新城川をさかのぼる形だが、川はまた、県道から離れてしまう。
日本海側で川をさかのぼる場合、東へ進む印象だけど、この地点では川は北から南へ流れているので、北進している。左手には秋田火力発電所の煙突が見え隠れ。

集落に入って500メートルほど進んだ辺りへ。ここは事前に調べた地図では、道路の線形が奇妙に曲がっていた。現地では、道路はまっすぐになっていたが、代わりに、
新流路に新しい橋が架かっていた(橋の北側から撮影)
2014年8月にできた「笠岡橋」。新流路に橋を架けるため、道路が迂回していた頃が反映された地図なのだった。
【15日追記】5月28日の通水記念式典は、この新しい笠岡橋の上流側右岸(北東側)の迂回路跡付近で挙行されたようだ。

そのすぐ先に、「下新城簡易郵便局」がある。簡易郵便局とは業務内容が「簡易」という意味合いだけど、ここは建物も簡易だ。そこに、旧流路の橋が架かっている。
郵便局の先にまた橋
こちらの橋は車道と歩道が別々の橋だが、どちらも新しそう。歩道部は「笠岡歩道橋」で2005年11月完成。

この旧・新城川の橋の先に小さい十字路がある。
県道を直進すると秋田市下新城地区コミュニティセンターや市立下新城小学校(校舎は箱型タイプで秋田西中、港北小、外旭川小とそっくりだけど、小さい)。かつての下新城村の中心地だったようだ。その先では新城川とも集落とも別れてまっすぐに田んぼの中を突き進む。
右へ曲がった市道が、新城川の上流伝いに下新城・上新城の各集落へと続く。

ここまで、上飯島駅付近の国道からだと、2.5キロほど。ずいぶん“奥”へ来たかのような感覚になってしまった。
しかし、十字路を左折して西へ1.4キロほど進んでも、横金、奥羽本線を渡って下新城中野付近の国道7号線へ出る。そう思えば、大して奥ではない。【15日追記】火力発電所の煙突が、かなり近い距離で意外な方角に見えるのが意表をつかれるが、それはこういう思い込みが原因。


ここで新旧新城川の配置をまとめておく。(末尾の地図も参照)
旧流路では、笠岡地区南部では集落中央部を流れていたのが、新流路では集落西端の田んぼとの間へと付け替えられていた。郵便局手前の新しい橋の上流側で旧流路に戻り、そこから上流側は川幅が広げられ、やがて工事区間が終わって元の川幅になる。※詳細は続きの記事にて
細かい風景や橋については、後日改めます。



ところで、今回は上飯島駅から歩いて現地を訪れた。まだ春だったので、気持ち良いウオーキングを楽しめたけれど、歩いたのは、気軽に使える交通手段がなかったのも理由。
(国道沿いは別として)下新城地域の公共交通機関は、昔は中央交通が秋田駅から新国道・土崎経由の路線バスを運行していた。
2008年に、金足、上新城方面と同時に廃止され、以降は秋田市が運行主体で民間会社に運行を委託する「マイタウン・バス北部線」として、土崎駅もしくは秋田厚生医療センター発着で予約式で運行されている。現在はキングタクシーに委託し、平日は10~12本、土日祝日は3往復の運行。

秋田市では「マイタウン“バス”」と称しているわけだが、受託したキングタクシー側では「乗合“タクシー”」とか「予約式“タクシー”」と称している。
停留所もバス停ならぬ「タク停」であることを、以前紹介していた。
(再掲)国道のタク停
実はこの路線はフリー乗降システムだし、運賃の区間もあまり細かくなく、停留所はあまり意味がないみたいだけど。

下新城笠岡の県道沿い南側の北部地区運動広場付近には「笠岡」停留所。下新城笠岡字笠岡という小字名由来だろう。
脚がクネッと曲がってしまっている
ポールは中央交通時代の「バスで行こう」の上にタク停の円形シールを貼ったお手軽変更。「バ」「う」が微妙に見えているのが切ない。
先日も書いたけれど、中央交通としては「バスで行こう」バス停は不要なのだろうか。元市営バスのは大事に使い回しているのに。秋田市やキングタクシーとしては、ポール新設の費用がかからなくていいでしょうけど。
※時刻表がない(はがれてしまった)が、運行経路上(先の老人ホームでUターンして戻って来る)、この位置から乗車する人は少ないと思われるし、そもそも予約式だからさほど問題ではないのでしょう。
反対面
笠岡の裏面は、中央交通時代のまま、中央交通の社名と「バスで行こう」をオレンジ色のテープで隠しただけ。「バスで行こう」は隠さなくても良さそうだけど、「タクシー」だから?

小学校・コミセンの十字路付近が、同じく小字にちなむ「堰場」。表側はタク停シールだったけど、裏面は、
隠しもずそのまま
この近くには、コミセン前、小学校前という停留所もあるかに見える資料もあるが、ポールはなかったような。施設自体が停留所なのかな? フリー乗降だし。

下新城小グラウンドの隅。
古びた棒?
この棒、かつて市営バスの閑散路線で見られた「棒バス停」だ!
(再掲)
かろうじて上が赤く、下が水色なのが分かる(他では黄色い中央部分も水色?)ものの、ただの棒になりつつある。
これの役目はなんだろう? ひょっとしてこれが「下新城小学校前」のタク停?

それにしても、過去をさかのぼっても、ここを市営バスが走っていたことはないはず。どういう経緯でここに置かれたのかも気になる。
もしかしたらスクールバスをかつて市営バスが運行していたとか?
【15日追記】いただいたコメントによれば、中央交通でも棒バス停が存在し、赤と黄緑の塗り分けだったとのこと。ここにあるのは元中央交通の棒かもしれない。


最後に、写真だけ撮ったもの。詳細は不明。
今は緑一面であろう水田を背に
「庚申塚」だろうか。台座は新しいので、最近並べ直されたのか。右から3番目のは「学友仲良く」とある。

何かの句を記した石碑
達筆で読めない。判読できるのは「緑蔭」「赤子」かな? 作者は「竹雨」?

国土地理院「地理院地図」に加筆(赤実線の現流路は大雑把です)
※続きはこちら
コメント (4)
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