続・蛙独言

ひとりごと

参院選 3

2010-07-24 09:47:09 | 日記
雨の季節が終わったと思ったら途端にこの暑さなんだから、蛙はもうバテバテだ。
酷暑の中の通勤地獄はこたえるよ。
歳も歳なんだし。
この土日は久しぶりの連休だから、それでも「松岡選挙」について、もう少し書いておこうと思う。
同盟機関紙「解放新聞7月19日号」で一面記事があるが、中央本部HPからも読むことができる。
周りの雰囲気も「残念だ」という捉え方だ。
蛙は「それ程、悲観的になる必要もないし、意気消沈なんてとんでもない。これが現実なんだ」ってところだ。
集められた「6万8千票」は誇りに思ってよい数字だと思う。

現状の「国政」の在り様や「選挙制度」なども問題があるだろう。
参議院なんて必要ないという議論もある。
国会に同盟の代表を送ることは意義あることだろうが、例えば松本竜副委員長の場合、福岡の地で「日常的」で具体的な政治活動の積み上げがあってこそ、そしてここが大切なところだけれど、同盟員以外からも大きな支持を受けて衆院に議席を持つことができている。
勿論、治一郎さんの業績も大きくものをいっているだろう。
それに比較すれば「参院比例区」で「松岡」という「名前」で票を投じてくれる人は同盟員以外では皆無と言ってよいのではなかろうか。
三百万民というけれど、ウチのムラの人で「松岡とおる」を見知っている人など、同盟員を除けば一人としていない。
かてて加えて、もともと「」は圧倒的に自民の力が強いのだし、創価学会の影響力も相当なのだ。共産党だって無視できない票を持っている。
冗談だろうと思うが「みんなの党から出てたら高位当選だったよね」っていう人もいる。
国民新党のトップは40万票とりながら落選しているが、公明・共産、それに「みんなの党」当選者は3万票から4万票というところだった。
それぞれ「党」の総獲得票数から割り出された数字だから文句は言えないかも知れないが、「参院比例区」は「その時吹いている風」で結果がおおいに左右されるのだ。

松岡氏の「不徳のいたすところ」などという弁は、こういう場合の常套句なんだろうが、個人的な「欠点」の故の結果なんかではない。
それに第一、彼とは個人的な付合いがあるわけではなく公式な場面での講演や演説しか知らないのは蛙ばかりではないだろうから「不徳云々」という話じゃないだろう。
「捲土重来」とか「この経験を次回に生かして」という話も蛙は支持できない。
どんなに頑張っても7万から10万までしか票は出せないのだから、「その時」にどんな「風」が吹いているかってことになる。
こんな闘い方はもうやめてよいと蛙は思う。
また、「解放の議席」を失ったことが「反人権派を勢いづかせ、同盟に対する逆風が強まる」かのように言うのもおかしな話だ。
自分たちの力をもっと信じてよいはずだし、「平和と人権」を共に闘う多くの信頼できる友人たちがいるのだということを忘れてはいけない。

蛙は「同盟はもっとスリムになってよいし、少数派運動の工夫をもっと強め、どんな戦線でも常に最先端に立って生き生きと活動する、そういうスタイルを獲得しなければならない」と常々思っているのだ。