続・蛙独言

ひとりごと

初めに躓いてはいけない

2009-10-16 20:07:32 | 日記
衆議院選挙は民主党の圧勝に終わったのだけれど、蛙は「あまりに永く続いた自民党を主軸にする政権」の「負の遺産」を受け継いでの出発なのであるから、大きな期待を持ってはいないということを言ってきた。
新しい「政権」の「政治哲学」は奈辺にあるのかも分からない段階だから、今の時点で、とやかく論評はできないのだけれど、ここにきて早速の「腰砕け」みたぁな話が出てきているのは悲しい限りではある。
鳩山君は「国民の意思が『赤字国債』は許さないということであれば『マニフェスト』の一部割愛もありうる」などと言っているようだ。
旧政権から引き継いだ「借金地獄」だけれど、そもそもそれはゼネコンを初めとする大企業と「銭ゲバ官僚」の「金儲け」のために結果したことなのであるから、「国民のための政治」に舵を切るならキッパリと「赤字国債も辞さず」というべきだろう。

あまりよくは見えていないが、「東アジア共同体構想」などということも言われている。
それがどのような意味であるかは今のところ不分明だけれど、榊原英輔氏の著作を何冊か読んできて、成程、彼がブレーンだと言われているのはこのことかと蛙は納得している。
反体制・反権力を標榜する蛙とは対極にある榊原氏ではあるが、彼の主張は概ね首肯できるだろう。
圧倒的な「経済力・軍事力」を以って「世界」を牛耳ってきたアメリカに対抗して、ヨーロッパは「EU」という選択肢を選んだのだが、榊原氏の持論は「EU」の「アジア版」の構築ということだった。
アメリカはあからさまな「不快感」を示しているし、当のアジア各国も、それがあの「八紘一宇・大東亜共栄圏」構想とどう違うのか、疑心暗鬼というところだろう。

「資本」に「国境」などというものは無いということは、もともとマルクスが言っていたことだ。
それだから、プロレタリアートの闘いもまた「インターナショナル」が必然なのだということも。
「マルクス以降」の「資本」の側は、マルクスから最もよく学んで、その「危機」を「一国主義的」に回避する道を選んできた。
労働者階級の側は、その「インターナショナリズム」が、「ソ連邦のソ連邦によるソ連邦のためのコミンテルン」に変質をさせられ、徹底的な敗北を喫した。
けれども、時代は進んで、「資本」の側は、「一国主義的対応」で延命を図ることはできない段階に達している。
今、この「国」の労働者は、何年も前から「資本」の側が先行して展開してきた「彼らなりのインタナショナリズム」によって、「賃金切り下げ」攻撃にさらされている。
この「国」の労働者階級が、アジアの民衆との連帯を築こうとしなかった「大いなる罰」なのだ。

榊原氏の構想を逆手にとって、アジアの民衆との恒常的な連帯の闘いを目的意識的に追及する、そういう土壌は既に準備されている。

今のところ、皆目、その兆しは見えないが、必ずそのように事態は展開するだろう。

アメリカに対抗し、内需を中心にこの「国」の経済が活性化されれば、現在の懸案事項も、この10年以内には必ず解決するだろう。
それが、「資本」の側の「思い通り」ということになるのか、労働者の側の「大いなる前進」ということになるのか、気がもめるところではあるが、そのような問題意識が希薄なのであるから、蛙は鬱々として眠れないのだ。

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