続・蛙独言

ひとりごと

壊れている頭

2010-10-11 17:59:09 | 日記
ほんでもって「世界経済・政治状況」と「解放」って、何の関係がありますんやッ?って突っ込まんといてね。
長々と喋っていく内にそれとのう繋がってくるはずやからね。
それで、中国やけど、考えてみたら、「日本」って「戦争」が終わったとき、メッチャ貧乏やったよね。みんななーも持ってなかったから、人口やって相当なもんやったし、「物を売る側」からすりゃぁえぇ「市場」やわなぁ。「買い手」側に銭がなけりゃしゃぁないけど、「あの時」でんがな、「朝鮮特需」ってのがありましたわなぁ。
実際、この国の人が「それなりな」生活をやっていけてるんは、「朝鮮戦争」で流された血の上にあり得たんやって、蛙は思いますわ。恥ずかしげもなく「朝鮮特需」などという「ことば」を吐くこと自体、胸糞悪くなりますもん。
まぁ、それも相当大事な話なんやけど、ちょっと置いといて、中国ですなぁ。
こりゃ「もの凄い人口」なんやし「もの凄い貧乏」なんやね。全体としてみればそうだわ。
「日本」は「戦後60年」ばかりで一杯いっぱいまで「経済」を発展させてきたけど、ここいら辺が「天井」、「売りたい」ものはもう行きわたってしまったから「大きな消費」は期待できない。そやから「地デジ」だの「エコカー」だの「エコポイント家電」だのちゅうて「税金」を投入して「自動車・家電業界」に奉仕って話になったけど、こんなもので事態が解決するわけもないよね。
そこいくと「中国」は「おいしい市場」だわ。
世界中の「資本」が「ここ」での「経済戦争」に勝ちぬくために算段をしていて、それがまた、したたかな「一党独裁」幹部には「よく分かっていて」様々な策略が展開されてきたし、今後もこれが「世界の動向」で「中心的な課題」になってくるやろうね。
「尖閣」もこの「流れ」の中で「繰り出されてきたジャブ」だ。
「日本国」に一応「国籍」を持つ「企業」は「中国との関係悪化」を恐れている。
中国側から「足元を見られてる」わけで、ただ、中国にしても「どの辺が落とし所か」って判断が難しいところやね。
当分はこうした訳の分からん状況は続くんやろう。
それと、人件費が安い中国やアジアへ「日本企業」がどんどん進出をしていく話についていえば、大方の人々は「産業の空洞化」などと言っているけれど、そりゃ「資本主義」の必然の流れだわなぁ。
大いに「出りゃいい」と蛙は思う。
ここからが問題だけど、「進出した先」で、なんとか「その国の売国政府」が機能している間はともかく必ず「その地」での「労働争議」が頻発をしてくるはずだ。工場で働くということは「プロレタリア魂を鍛え上げる過程」でもあるからだ。「日本人の給料がこんなに高いのに我々の給料が何故こんなに安いんだっ!」つう話になる。既にそういう話はあちこちで始まっているようだ。
「日本」の労働者よ。進出先のアジアの労働者の反乱を支えることが是非とも必要とされる日が必ず来る。
その日は近い。
準備はできているだろうか。
(つづく)

混乱する頭

2010-10-11 10:24:46 | 日記
人と会って話をする分には左程には思わないのだけれど、自分の想いを、さて、「ことば」にしようとワープロソフトに向かってみると何故だか知らず「表現を見失ってしまう」そういう日が続いている。
特別な「失語症」なのだろう。
多分、「考えていること」について「自信を持って発言するほどには自身でよく分かっていない」からということだろうね。
第1に考えていることは「資本主義社会の現段階と今後の見通し」という辺りかなぁ。
マルクスの時代にあっては「イギリス労働者階級の状態」などでも明らかなように「厳しいもの」ではあっただろうけれども、世界大で言えば未だ「牧歌的な」時代だったのであって、そりゃぁもう「剰余価値と搾取」という話になるのだろうね。
レーニンの時代には明らかに歴史は1ページ進んだのであって、「帝国主義の時代」だ。
これはもうあからさまな「力」が支配する時代であって「植民地強奪戦争」の時代だったわけだ。
わが「国」も「日清・日露」から遅ればせながらこれに参戦をする。
「一次・二次」大戦を経て、「銀河の歴史がまた1ページ」じゃないけれど、赤裸々な「植民地支配」が打ち破られ、たぶん、ベトナムでのアメリカの敗戦が時代を画するものだったろうけれど、もう1ページ、日めくりはめくられる。
例えば「朝鮮半島併合百年」で明らかなような直截的な「植民地経営」は1945年を境に「一つの時代の終わり」を告げたのだった。
蛙が若かった時には「国家独占資本主義」などという「ことば」が言われた。
元来、市民社会レベルの「資本」の「運動」は「上部構造たる国家」とは相対的に「別のもの」だったろうが、「帝国主義の時代」には「資本によって国家が簒奪をされる」ということになったのだろう。「国独資」とは「そのような特別な時代」の「資本の在り様」だった。
次のページは「新植民地主義の時代」ということになるか。
米ソ両大国の冷戦の時代、ソ連も「社会帝国主義」と呼んでよいと思うけれど、旧植民地主義時代のようなあからさまな暴力は背景に押しやられて、大国の傀儡政権を通じての世界支配ということになっただろう。
現在では「資本」は「国籍」を持たないグローバルで強大な悪魔として君臨をしている。
さて、13億人口を抱えた人民中国をどう評価するべきだろうか。
紅軍に支えられた一党独裁は破綻することはないのだろうか。
蛙には相当長い期間、この「反・人民」「中国」が「生きながらえる」ように思われてならない。
(つづく)