鳥取市・興禅寺の庭園 2011.06.06 2011年06月06日 21時31分53秒 | 神社・寺院 所在地 興禅寺の庭園 鳥取市栗谷町10 寛永9年(1632年)、池田光仲が岡山藩より鳥取藩に転封となった際、伯父で初代岡山藩主にあたる池田忠継の菩提寺を家臣団が鳥取に移したことに始まります。池田家の菩提寺ではあるが墓所はここにはなく、鳥取市国府町奥谷に墓所が造営されました。 本殿の左横の石段を上がっていくと、渡部数馬の墓が、岡山池田家家臣である渡部数馬の実弟が河合又五郎に斬殺され義兄剣客荒木又右衛門と共に見事仇討ちに成功した武士であったようです。 その隣には、猪多伊折佐の墓が、池田忠継・忠雄に仕え光仲に従い鳥取に移り、新陰匹田流・刀槍二術を極めました。刀槍二術の開祖・猪多伊折佐、剣豪・臼井本覚の墓が境内脇にあります。 山門のそばには自由律俳人の尾崎放哉(おさきほうさい)の句碑があります。 境内に入ると鐘楼があります。 境内をぐるっと回って、久松山系に連なる寺院裏の山裾で書院の北側に庭園がありますので、見させていただきました。 「切支丹灯籠」が、庭園の西の一隅のあります。形式は織部灯籠でありますが上部の陰刻はラテン語で父を、胴のアーチの中に神の子を左右に漢詩を刻み聖霊を表しています。 部屋の縁側の上には「駕籠」が、誰が乗っていたのかな? 縁先の庭園を見るとちょっと変わった石組みが? 書院の北側に約360坪の敷地にあります。山側に築山を盛り上げ芝生とし枯れ滝の石組みを配し鶴石組みとしています。その前の池の出島を亀島に見立てています。 池の東側には土の太鼓橋を設けて対岸の切石枠の井戸に渡る造りなっています。 この形式から、美しさで知られる書院造の蓬莱山水庭園は、桃山時代の様式を残す池泉観賞式庭園とされています。 作庭時期は江戸時代初期と推定されています。『日本庭園史大系』において重森三玲・重森完途が「絵画的表現美を誇る意匠」、「山陰を代表する名庭の一つ」と絶賛しますね。 今の時期、池には睡蓮の花が咲き、菖蒲にサツキが咲き新緑も綺麗です。庭園を鑑賞しながら、お茶を頂き少しの時間を過ごさせてもらいました。 次回をお楽しみに では またね « 初夏の新野の水車風景 201... | トップ | 鳥取藩主池田家墓所 2011.... »
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